第6話 『選ぶ手の震え』
夜明け前の空気は、ひどく冷たかった。
息を吸うたび、喉の奥がひりつく。
号令が短く飛び、隊列が動き出す。
眠気を引きずった足音と、鎧の擦れる音が混じる。誰も多くは喋らない。
ルカは補給の列の横を歩いていた。
前でも後ろでもない。詰まったら手を出せる、いつもの位置。
斥候が戻ってきた。
土に汚れた顔、速い呼吸。
上官が一度だけ頷く。
それで十分だった。
「前へ」
声が落ちる。
その瞬間、乾いた音が鳴った。
弦が弾かれる音。
次いで、地面に突き刺さる鈍い衝撃。
矢だ。
考える前に、身体が動いた。
ルカは荷の陰に身を滑り込ませる。
胸が早鐘を打つ。
鼓動が、耳の裏でうるさい。
剣の柄に、手が触れた。
握る。
指に力が入る。
――戦える。
そう判断するより先に、手を離していた。
一瞬、冷たい風が頬を撫でる。
矢が、どこかで折れる音。
ルカは息を吸い、周囲を見る。
前。後ろ。横。
誰かが叫ぶ。
誰かが倒れる。
まだ、崩れてはいない。
ルカは、もう一度剣に手を伸ばした。
今度は、迷わず握る。
刃を抜く。
金属音が短く鳴った。
敵に向かう距離ではない。
ルカは横に走った。
崩れた荷。
地面に伏せる兵。
肩に手を入れ、持ち上げる。
重みが、腕にずしりと来る。
「置いていけ!」
誰かの声が飛ぶ。
ルカは答えなかった。
代わりに、視線で合図を送る。
別の兵が駆け寄り、二人で運ぶ。
足元の土が、やけに柔らかい。
矢が落ちる。
近い。
反射的に肩がすくむ。
それでも、足は止まらない。
剣は抜いたまま。
振らない。
ただ、そこにある。
前方で、バルガスが踏みとどまっていた。
盾を構え、動かない背中。
一瞬だけ、視線が合う。
言葉はない。
ルカは頷き、担架を地面に下ろす。
次の負傷者へ向かう。
列は、まだ進んでいる。
止まらない。
流れが、ほんの少しだけ変わった。
剣を握る手が震えた。
だが、離さなかった。
冷たい朝の空気の中で、
ルカは初めて、自分の選択を身体で確かめていた。




