第5話 『夜の焚き火と、言いかけた言葉』
夜は、気づけばそこにあった。
谷を抜けた直後は、まだ空に色が残っていたはずなのに、野営の準備が始まるころには、焚き火の明かりがなければ足元も見えない。
薪が組まれ、火が入る。
爆ぜる音は小さく、煙も少ない。慣れた手つきだ。
ルカは火の輪の外側に腰を下ろした。
近すぎない。だが、離れすぎてもいない。
「今日は、ついてたな」
誰かが言う。
「ついてなきゃ、今ごろ静かすぎる」
別の声が返す。
笑いは、起きない。
ルカは薪を一本、足で寄せて火にくべた。
熱が、頬にじわりと伝わる。
「補給、崩れなかったのは助かった」
若い兵の声。
視線が一瞬、ルカに集まる。
「壊れなかっただけですよ」
ルカは軽く肩をすくめた。
「壊れないように並べてただけです。たまたま、今日は当たりだった」
冗談に近い言い方。
空気が、ほんの少しだけ緩む。
焚き火の向こうで、バルガスが鎧を外していた。
刃を布で拭く音が、一定の間隔で続く。
ルカは、それを見ていた。
火の明かりに照らされた刃が、一瞬だけ鈍く光る。
その光を見たとき、胸の奥がわずかに重くなった。
鉄の匂いと、焦げた薪の匂いが混ざる。
――今なら、言える。
そんな感覚が、喉元まで上がってくる。
ルカは立ち上がり、焚き火に近づいた。
火の熱が、足元から伝わる。
「……さっきの谷」
声は、思ったより低く出た。
バルガスは顔を上げない。
刃を拭く手も止めない。
「道、他にも――」
そこまで言って、ルカは止まった。
焚き火が、ぱちりと爆ぜる。
火の粉が舞い、すぐに闇に消える。
言葉は、続かなかった。
続けようとすればできたはずなのに、音にする前に、形を失った。
バルガスが、ようやく顔を上げる。
責めるでもなく、促すでもなく。
ただ、見る。
「終わったことだ」
短い一言。
ルカは、ゆっくりと頷いた。
「……ですね」
それ以上、言わない。
誰かが咳をし、
誰かが寝具を広げる。
夜は、静かに進んでいく。
ルカは腰を下ろし、手を膝に置いた。
ポケットの中で、指が動く。
金貨に触れる。
冷たい感触が、皮膚に残る。
弾こうとして、やめる。
欠けた縁を、親指でなぞるだけ。
「お前は」
不意に聞こえた声。
バルガスだった。
「動きが早い」
評価なのか、確認なのか、分からない。
ルカは口角を上げた。
「遅いと、置いていかれますから」
いつもの調子。
それで、この話は終わる。
バルガスは刃を鞘に収め、立ち上がった。
「休め」
命令ではない。
背中が、火の向こうへ遠ざかる。
ルカは焚き火を見つめた。
炎は揺れ、形を変え続ける。
言いかけた言葉は、
煙にもならず、夜に溶けた。
それでも、胸の奥に残った重さだけは、消えなかった。




