第11話 『選択の残響』
命令は、後ろへは向かなかった。
「詰めろ!」
「列を前へ寄せろ!」
「間を空けるな、そこで止めろ!」
怒声が、鉄を叩くように前方へ飛ぶ。
誰も「下がれ」とは言わなかった。
足音は、地を蹴って重なる。逃げる動きではない。
押し出す、というより、押し寄せる動き。
ルカは、その流れの、わずか脇に立っていた。
前に進む者と、前に押し出される者が、同じ顔で、同じ方向を見ている。
肩がぶつかる。肘が当たる。
けれど、足は動かない。
「止まるな!」
「前だ、前!」
命令の残響が、背骨を伝って落ちてくる。
ルカは一歩、横へずれた。
それだけで、人の波は、彼を“避ける”動きに変わる。
音が、やけに遠い。
鎧が擦れる。木箱が地面を跳ねる。
担架が、無理に押し戻される。
すべてが近いのに、どれも繋がらない。
耳の奥で、音が空気に溺れていく。
視界の端で、補給兵が列を崩す。
すぐ背中を、別の兵が押し戻す。
「戻るな!」
「前を向け!」
その叫びは、命令というより“圧”だった。
ルカは、足元を見た。
踏み固められた土。木箱の角の跡。
誰かが立ち止まった痕のかたち。
「……商人!」
背中から、声がかかった。
振り返ると、若い兵士がいた。
荒い息、焦点の定まらぬ眼。血と汗が混じった顔。
「何してる! この列、止める気か!」
問いではなかった。
ただ、流れに戻すための衝動。
ルカは、答えなかった。
兵士は、一瞬止まり、
それから何かに背を押されるように、前へと吸い込まれていった。
爆ぜる音。何かが砕ける音。
「伏せろ!」
「持たせろ、今だ!」
叫び声は、前方に吸い寄せられていく。
ルカの周囲だけ、妙に空いていた。
人は通る。命令は飛ぶ。
けれど、そのどれもが、ルカの肩を叩いてこない。
ポケットの中で、金属の重さが転がる。
指でつまんで出したそれは、金貨だった。
怒声と共に、何かが体にぶつかる。
金貨が、弾かれ、落ちた。
膝をついて、目だけがそれを追う。
泥と血と油に塗れたそれが、地面で光った。
手を伸ばす。が、途中で止まる。
「……」
ルカの口元が歪む。
落ちてきた誰かの言葉が、耳の奥に残っている。
――これが、選ぶということだ。
選択は、もう終わっていた。
判断も、命令も、結果も。
それでも、戦場は動いている。
生きている者は、前へも、後ろへも、走っている。
ルカは、その場に膝をついたまま、
焦点の合わない眼で、前線の彼方を見ていた。
もう――
止める言葉も、
進める言葉も、
どちらも、ここにはなかった。




