第10話 『その場に、いること』
号令が重なり、野営地の空気が裂けた。
「前線が押されている!」
「補給路が詰まる、急げ!!」
金属音と足音がぶつかり、声は途中で切れて次の声に踏み潰される。
意味より先に、圧だけが走る。
ルカは立っていた。
補給路と撤退線、その交点。
右で箱が倒れ、
左で誰かが地面に膝をつく。
熱い血の匂いをまとった黒い軍馬が、視界に割り込む。
低く湿った息。
蹄が地面を叩くたび、音が下から突き上げてくる。
その上から、声が落ちてくる。
乾ききった黒い汚れを顔に貼りつかせたまま、
上官が叫ぶ。
「補給は通したな!」
「今の判断だ!」
「……はい!」
声は出る。
周囲の音に混じり、輪郭を失う。
軍馬が一歩、前に出る。
距離が詰まる。
「なら次だ!」
「その列を、そのまま前へ回せ!」
一瞬、動きが緩む。
前へ。
この列を。
「主力が下がるまで持たせろ!」
「時間が要る!」
言葉が落ちた途端、
複数の足が止まり、別の方向へ動き出す。
「……!?」
喉が鳴る、鈍い音。
すぐに、荒れた声が重なる。
「ふざけんな!」
「俺たち、運ぶ側だぞ!」
「武装も揃ってねえ!」
声量が跳ね、間隔が詰まる。
ルカは軍馬の上を見る。
上官の視線は、もう別の方向にある。
「……ルカ?」
近い距離。
補給隊の一人が、袖を掴む。
「行くのか?」
「俺たち、前に出るのかよ!」
布が引かれ、体が半歩ずれる。
別の方向から、投げつけるような声。
「……待てよ」
「バルガスだけじゃ足りないってか!」
一瞬、空気が止まる。
「今度は、この隊ごと出せって話かよ!」
「冗談じゃねえ……!」
視線が集まる。
位置が定まる。
ルカは口を開く。
「……」
喉が動き、音になる前で止まる。
軍馬の蹄が鳴る。
「何をしている!」
上官の声が、上から叩き落とされる。
「さっきは即断しただろう!」
「今さら黙るな!」
別の声が被さる。
「答えろ!」
「どっちだ!」
距離が詰まり、
声の方向が重なる。
ルカは、その場から動かない。
指に何かが触れたが、わからなかった。
「……もうよい!」
軍馬の太い息と共に、頭上から吐き出された上官の声。
視線を上げた、次の瞬間、
眼前の軍馬の蹄が、重量を伴って上がる。
「これが選ぶという事だ!!」
硬い蹄が、反論していた団員の胸元に当たる。
身体が地面に落ち、砂と布が跳ねる。
「逆らう者は切る!」
「前へ出ろ!!」
剣が抜かれる音。
誰かが後退し、誰かが踏み外す。
ルカに上官の顔が、向く事はなかった。
「第三列、前だ!」
「遅れるな!」
指示が、直接飛ぶ。
周りの空気が変わる。
周りの金具や泥を踏む音が、ルカを置き去りにしていく。
誰も止まらない。
誰も振り返らない。
「……なんだよ」
吐き捨てる音。
確かめる事はできない。
「結局、何も言わねえのか」
声は流れ、戦場の音に紛れる。
箱が足元で倒れる。
拾う手は入らない。
遠くで、別の叫びが鳴っていただけ——




