夜会の支度
日が傾き始める頃、アルベルトは書斎で一通の封書を手にしていた。
王家の紋章が封蝋に刻まれた、深紅の招待状。
王弟主催の夜会。社交界の一大行事であり、貴族として避けては通れぬ義務でもある。
封を切る手がわずかに止まる。ただでさえ人の多い場所は苦手であるのに、今回は妻の顔見せの場も兼ねている。未だ得体のつかめぬリリアの存在にアルベルトは小さく息を吐き、傍らに控える執事に声をかけた。
「彼女を呼んできてくれ」
しばらくして控えめなノックとともにリリアが現れた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
小首を傾げる彼女に変わった様子はない。
アルベルトは軽く警戒を解き、手にしていた招待状を差し出した。
「三日後、王弟殿下主催の夜会に出る。支度をしておけ」
「承知いたしました」
リリアは受け取った招待状を見つめた。記載されている文字のすべてを追う目の動きにわずかに違和感を覚えながらもアルベルトは話を続ける。
「ドレスと他に必要なものがあれば仕立て屋に言っておけ」
「ありがとうございます」
頭を下げるリリアの姿を見つめたまま、アルベルトはふと口を開いた。
「お前は——」
呼びかけたはいいものの言葉が止まる。矛盾する印象が胸の中で渦巻き、うまく言語化できない。
「?」
リリアが静かに瞬く。その目を見つめ返すと理由のないためらいが喉を塞いだ。
「・・・・・・・・いや、なんでもない。下がっていいぞ」
沈んだ声でそう告げると、リリアは一礼して部屋を辞した。
三日後の夕刻。
屋敷の一角では夜会の支度が整えられていた。侍女たちがリリアを囲み髪を結い、化粧を施し、装飾品の角度を整えていく。
リリアは椅子に腰かけたまま黙ってその手に身を任せた。櫛が髪をすくう度、銀糸のような光沢が静かに揺れる。
「お美しいですわ、奥様」
「ありがとう」
リリアは鏡越しに自分の姿を見つめる。いつもとは違う華やかな装いに戸惑う顔が微笑み返した。
支度が整い侍女たちが部屋を辞すと、リリアは静かに立ち上がりドレッサーの引き出しを開けた。中から細い金属片を一つ取り出す。針とも剣ともつかぬ得物。その切先を指で確かめるように撫で、コルセットの隙間へと滑り込ませた。
扉の向こうからアルベルトの声がかかる。
「準備はできたか?」
「はい。すぐに参ります」
リリアはゆっくりと部屋から歩み出た。アルベルトの視線がリリアを捉える。艶やかな光を纏った彼女の姿に一瞬息が止まった。アルベルトは口を開いたが出すべき言葉を見つけられず、代わりに鼻を鳴らし目を逸らした。
「行くぞ」
短く告げる声はいつもより少しだけ低かった。




