疑念の始まり
教会からの帰り道、馬車の車内は静かだった。
リリアは姿勢を正してぼんやりと前を見つめ、アルベルトは対面で文書に目を落とし、時折ページをめくる。
その沈黙の中でアルベルトの脳裏に子供たちに囲まれたリリアの姿が浮かんだ。
花のように笑い、無邪気な声に優しく応える姿。
初めて屋敷にやってきた日の彼女と、先刻の彼女は同じ人物なのだろうか。
印象がちぐはぐになるリリアの様子にアルベルトは言いようのない疑念を抱いていた。
馬車を包んでいた静寂は不意に崩れ去った。
馬の甲高い嘶きが響き、車体が激しく揺れる。石畳で滑った車輪が跳ね、馬車は急加速した。
何事かと顔を上げたアルベルトの視界からリリアの姿が忽然と消えていた。まるで最初からそこにはいなかったかのように。
一方、リリアの姿は御者台の上にあった。
握るのが精一杯の御者から手綱を取り、一振りしならせる。馬は再び嘶き前脚を高く上げた。急な減速に車体は大きく揺れたが、前脚を下ろす頃には馬はすっかり落ち着きを取り戻していた。リリアは体を乗り出し優しくその首筋に触れる。
「大丈夫。怖くないわ」
鬣を掻き分け刺さっていた小さな針を引き抜くと、さりげなく自分のドレスに刺し隠した。
状況を確認しに馬車を降りたアルベルトは御者台に座るリリアに驚いて目を見開いた。
揺れる車内から御者台に登り、御者でも扱いきれない馬を宥めたというのか?
視線に気づいたリリアは御者に手綱を渡すと、軽やかに地面へ降り立ちスカートの裾を整えた。
「旦那様、お怪我はありませんか?」
荒唐無稽にも思える状況に反して穏やかな声音にアルベルトは眉を寄せた。
「・・・・・・・大事ない」
「よかったです」
困惑を含んだアルベルトの声にリリアはただ安堵した様子を見せる。その裏には何の含みも見えず、ますます彼女が掴めなくなる。
「先程の——」
「旦那様!馬も馬車も問題ありません!出立できます!」
核心に迫ろうとしたアルベルトの言葉は御者の声に遮られた。リリアは夕暮れの空を見上げ、心細げに胸に手を寄せる。
「もう日が暮れそうです・・・・。早く戻りましょう」
「・・・・・・・ああ」
今問いただすにはあまりにもわからないことが多すぎる。アルベルトは仕方なく問いを吞み込んだ。
二人が車内に戻ると馬車はゆっくりと走り出した。その揺れの中でアルベルトはふと違和感を覚え、顔を上げた。
揺れに合わせて自分の周囲では衣擦れや紙の擦れる音が小さく響く。しかし、リリアからは一切の音がしなかった。
視線を外せばたちまち空気に溶けてしまいそうな気配。その異様さに、アルベルトは思わず彼女を見つめた。
リリア・フレイン。
彼女は一体何者なのか。




