静寂の食卓
月が高く昇り始める頃。
アルベルトは最後の報告書を置くと静かに立ち上がった。重い足取りで食堂へ向かう。
食事はあまり好きではない。
幼少期の温もりを思い出させると同時に今はもう届かないことを思い知らされるから。
高い天井と長い白布の食卓。リリアはすでに席についていた。背筋をまっすぐに伸ばし、淡い光の下で夫を待っている。アルベルトはその向かいに腰を下ろした。
「先に食事を済ませて構わんと言っただろう」
「旦那様より先にいただくなど、滅相もありません」
恐縮した様子で答えるリリア。
「しかし・・・・・」
アルベルトはそれ以上返す言葉が見つからず、眉を下げ口を噤んだ。
二人の会話が終わったのを見計らい、控えていた使用人たちが料理を運び始めた。湯気の立つスープ皿が順に置かれていく。
アルベルトが一口目を嚥下したのを見届けた後、リリアも自分の料理に手を付け始める。
食堂に流れるのは食器の触れ合うかすかな音だけ。
ちらりと顔を上げるとリリアは丁寧な所作でスープを口元に運んでいた。一口含む度わずかに表情がほどけ、控えめながらも味わっている様子が伝わってくる。
一匙、また一匙と自らも口に運ぶうち、アルベルトの手が止まった。
舌先に触れる食事にいつもと違う感覚を覚えて戸惑う。長い年月、ただ温度と味の輪郭だけを追っていたはずの味覚が今になって急に息を吹き返したようだった。
「・・・・・・これは・・・・・・・」
思わず漏れた声にリリアが不安げに顔を上げる。
「お口に合いませんでしたか?」
「いや・・・・そうではない」
アルベルトは視線をさらに落としたまま小さく首を振った。
もう一口そっと掬って慎重に口へ運ぶ。
舌先に触れた温かさは先ほどと同じはずなのに、味はより明瞭で柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。確かめるようにゆっくりと嚥下すると、胸の奥に小さな波紋が広がっていく感覚がした。
久方ぶりの人との食事が長く空いた心の隙間をひとかけらだけ埋めてくれるのを感じていた。
数日後の夜、同じ食堂で。
「今晩も旦那様、夕食の時間通りいらっしゃったわね」
片づけをしながら若い侍女が小声で呟いた。
「本当ね。旦那様が三日以上も続けて時間通りにいらっしゃるなんて、この屋敷に勤めて初めて見るわ」
給仕頭が興奮気味に答える。
「少しわかるわ。奥様の召し上がる顔とても素敵だもの」
「ふふ・・・・・でもあの仕事一筋の旦那様が、ねぇ?」
笑いあう使用人たち。彼女らの声は屋敷を覆っていた重たい空気がゆっくりと書き換わり始めていることを物語っていた。




