動き出す影
夜明けとともに屋敷の空気が動き始めた。
陽光が窓辺を淡く照らし、静寂をゆっくりと押しのけていく。
アルベルトはベッドの縁に腰を下ろしたまま昨夜の光景を思い出していた。月明かりの下、門の方へと消えてゆく人影。
それは——リリアの姿に見えた。
問いただすべきか。
どこへ、何のために。
傍机には王宮から届いた召喚状が置かれている。
今日も早朝から会議がある。アルベルトは静かに息を吐き、立ち上がった。
「・・・・・・今は、仕事だ」
秩序の上に立つものとして私情を挟むことは許されない。身支度を整え、屋敷を後にした。
会議の場には重苦しい空気が流れていた。
議題は依然として夜会での殺人。
だが今やエルンハルト派の動向と絡み合い、事態はより深刻なものとなっていた。
遺体には目立った外傷はなく、毒の痕跡もない。宮廷医師の調査でも結論は出なかった。
また、出席者たちの証言に食い違いはなく調査は難航していた。
アルベルトは手元の資料に目を落とし、ふと思い出す。調査官が屋敷を訪れたあの日、リリアはアルベルトの行動について補足を加えただけで、自らの行動については一言も語っていなかった。リリアの話を一つずつ紐解いてみると、ずっとアルベルトの傍にいたと調査官が思い込むのも致し方ないほど自然な話口だった。
昨晩の影。足音を忍ばせ人知れずどこかへと向かう後姿。
教会からの帰り道や食卓で見たリリアの人の身を離れた動きが重なる。
——まさか。
夜会で男を殺したのはリリアなのか?
しかし、何のために?
いや、それより——次の刃が振り下ろされる先は自分かもしれない。
夜更け。
長い会議を終えたアルベルトは重い足取りで王宮を後にした。冷たい夜気が頬を指す。
馬車の前にたどり着いたとき、月光を遮るように一つの影が揺らめいた。徐々に近づいてくるその人影は間違いなくリリアだった。
アルベルトの背筋に冷たい緊張が走る。
目の前に迫るリリアの手がわずかい動いた。月光を反射して鋭い閃きが走る。
死を覚悟したアルベルトの後ろで、男がゆっくりと崩れ落ちた。喉元を切り裂かれ息絶えている。その手には剥き身の短刀が握られていた。
夜風が二人の間をすり抜ける。
リリアは短く息を吐くと、まるで何事もなかったかのように一礼した。
「ご無事で何よりです、旦那様」
月光が背後から彼女を照らす。影が落ちその表情は見えない。
アルベルトは息をすることさえ忘れて立ち尽くした。




