表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/10

6悪役令嬢ってなんだろう

 放課後になり、私はアンネマリーとティナを自分の部屋に案内した。寮は個室だが、平民生徒は最低限の家具だけの質素な部屋だ。


 二人は平民用の個室を興味深く見回した後、一つしかないベッドを見て困惑した顔になった。


「もう一つベッドを置くのは、無理そうね」

「ティナさんはベッドを使ってください。私はクローゼットの中で寝ます」

「え?」

「真夜中に来る人たちにうんざりして、一昨日からクローゼットの中で寝てます」

「え?」

「大丈夫ですよ。中から鍵を開け閉めできるようになったんで、お手を煩わせることはありません!」

「そ、そう……」

「いえ、問題はそこじゃないような……?」


 ティナが私の部屋を使っている間、クローゼットの中で好きなだけ眠るつもりだった。ところがアンネマリーがそれに反対し、彼女の隣室を使わせてもらえるようになった。元はメイドの控え室として設計された部屋だ。


 この部屋の良いところは、なんといっても窓がないところだろう。この部屋にたどり着くには寮の中を通らなければならず、男性の攻略対象たちが人目を避けて訪問するのは不可能だ。私の安息地は、ここにあった。


 部屋の鍵は、アンネマリーが管理していた。貴族生徒は実家からメイドを連れてくることが認められており、私に貸し出された部屋は、そのうちの一つだった。


 さすがは王子の婚約者である。私はアンネマリーの優しさに、また泣きそうだった。将来、彼女が王子妃になった暁には、光属性の力を最大限に発揮してお祝いしようと密かに計画している。とりあえず彼女の結婚式に、光の雨で彩りを添えればいいだろうか。


 久しぶりに快適な夜が訪れた。攻略対象は私が部屋を移ったことを知らない。開放感から、私はうっかり寝過ごすところだった。


「……すごい。朝まで眠れた」


 体が軽い。頭の中が冴え渡っている。


 スキップをしたくなる気分で部屋を出た私は、無表情のティナと遭遇した。幽霊かと思って叫びそうになったことは、私の心に秘めておく事実だろう。彼女は私のために犠牲となってくれたのだ。


「おはようございますティナさん! お陰様でよく眠れました!」

「……良かったわね。あなた、あんなのを毎日のように経験していたの?」

「はい!」


 昨日も攻略対象たちが入れ替わりで部屋を訪問してきたそうだ。眠りかけた絶妙なタイミングで窓を叩いてくるので、私は殺意を堪えるのが限界だった。ティナが交代してくれなかったら、いつか攻略対象たちの首を絞めていたかもしれない。


 王子の首を絞める平民生徒――大問題である。その場で斬り捨てられても文句は言えない。


「とりあえずアンネマリー様に報告してくるわ」

「よろしくお願いします」


 その後、私は報告を受けたアンネマリーから、可哀想なものを見る目で見られた。


「ルリエッタさん。証拠もないのに大勢で責めるようなことを言って悪かったわ」


 理解してもらえただけでも、私には大きな進歩だ。


「今日は一日、あなたと一緒に行動するけれど。問題ないかしら?」

「私は大丈夫です」


 あらかじめ、私は教室を移動する際の注意事項を伝えた。


「廊下は基本的に使いません。庭の茂みとか人目につかないところを走りますから、汚れてもいい服装でお願いします」

「待って」

「食事は携行できるものを。授業で使う教科書や教材は、落とさないように気をつけてください。立ち止まったら、奴らが来ます。落とし物を拾われるイベントが発生しますから、絶対に落とさないように」


「待って待って。あなたが何を言っているのか理解できないわ。まるで魔獣から逃げているみたいじゃない」

「アンネマリー様。私のお父さんが、男は魔獣だと思えって言ってました」

「それは少し解釈が違うような気がするわ」

「そうだ。確かアンネマリー様の取り巻き――じゃないや。ええと、ご友人の中に、スポーツが得意な方がいらっしゃいましたよね?」

「え、ええ。そうね。教室を移動する時は彼女にお願いしようかしら」


 深窓の令嬢のようなアンネマリーが、学園内を疾走したり、特殊部隊のごとく茂みに隠れながら移動するのは無理だろう。私だって見たくない。


 私と一緒に行動するのは、運動神経が抜群な令嬢に決まった。


 教室ではアンネマリーやその友人たちが周囲を固めてくれるので、攻略対象である王子と護衛が入ってくる余地はなかった。それでもフランツが近付いてきたら、アンネマリーを会話に巻き込み、二人が話し始めたタイミングで離脱する。取り巻きの令嬢たちも協力して私を隠してくれたおかげで、落ち着いて授業を受けられた。


 代わりに、アンネマリーはフランツが気になって授業に集中できなかったようだが。婚約者なのだから、隣に座っただけで赤面しないでほしい。初々しくて甘酸っぱい空気に身悶えしそうだ。


 ともあれ、久しぶりにまともな学園生活が戻ってきた。


「次は歴史の授業ですね。王子たちとは別の教室ですけど、この先の廊下で遭遇する確率は高いです。だから、あの角の近くから一気に駆け抜けます」

「本当にそんな偶然が待っているのかしら?」


 一緒に駆け抜ける令嬢は信じられない様子だった。実はこの廊下、乙女ゲームのスチル背景に使われている。絶対にイベントが起きる条件しかない。


「会わないだろうと思って行動すると、だいたい会うんです。じゃあ、アンネマリー様。私は先に行きます」


 走り出した私の後ろから、令嬢もついてくる。彼女は体育会系特有の闊達な生徒だ。息切れすることのない、余裕の走りだった。


 攻略対象たちに遭遇せずに教室へ入った私とは違い、アンネマリーは授業が始まる直前になって入ってきた。


「……廊下でフランツ様に会ったわ」

「ほら! ね?」


 私のことを疑っていた令嬢の顔が引きつった。


「今までこんなことはなかったのに。今日だけで三回もお会いできたわ」


 ふわりと幸せそうに微笑んだアンネマリーの姿は、私の心に刺さった。見ているだけで、こちらまで満たされた気持ちになる。


 この幸せな光景を壊さないために、私はこれからもフラグを粉砕することを誓った。ただ会えただけの時間を大切な思い出にして笑える人を、婚約者の座から蹴落とすなどできるわけがない。


 取り巻きの令嬢たちを見ると、ティナ以外の彼女たちも同じように頭や胸を抱えて悶えていた。会話をするようになって一日しか経過していないが、彼女たちとは共通の話題で盛り上がれそうな予感がする。


「もしかして、これが尊いってこと……?」

「あなたは何を言っているの?」


 隣に座っているティナが不審者を見る目になった。攻略対象を避けて隠れながら移動していたせいで、学園中から奇人扱いされつつあった私には効かない。


 ティナはアンネマリーの学友というよりは、副官や補佐のような立ち位置にいる。私たちとは違って一歩引いたところから、アンネマリーを支えているようだ。あまり感情を表に出そうとしないが、アンネマリーが微笑むと安堵の笑みを浮かべることがある。


 こっちはこっちで、別の意味で尊い。


 順調に昼を迎え、私は売店へ行くとアンネマリーに告げた。


「なぜ売店へ? 皆は食堂を利用しているのに」

「食堂は高確率で隣に座られました」

「安心なさいな。私たちがいるから、もしフランツ様が来ても座る席はないわよ」


 一緒に行きましょうと誘われ、私は不覚にも鼻の奥が痛くなった。アンネマリーに呼び出されてから、普通の学生らしいことばかりしている。


「同級生とゆっくり食事をしてもいいんですか!? もう一生、ついていきますアンネマリー様……」

「あ、あなたは大袈裟なのよ! バカなことを言っていないで、早く行くわよ!」


 怒られてしまったが、取り巻きの令嬢たちが微笑ましそうにしているということは、本気で怒っているわけではないのだろう。


 食堂までの道すがらは、取り巻きの令嬢たちとアンネマリーの良いところを挙げて盛り上がっていたら、再び怒られた。怒りながら照れるところが可愛いと言いたかったが、本気で避けられたくなかったので我慢した。アンネマリーの死角で取り巻きの令嬢の一人が音が出ないように拍手をしていたから、私が何を考えているのかは伝わっている。


 食堂の席についてすぐ、私は背筋に悪寒が走った気がした。視界の端に輝く何かが見えた瞬間、体が動いてテーブルの下へ潜り込む。清潔なテーブルクロスが私の姿を完全に隠していると信じて、両手で口を覆った。


「あれ? アンネマリーじゃないか。今日はよく会うね」


 フランツの声がする。きっと護衛もすぐ近くにいるはずだ。


「まあ。フランツ様」

「ああ、座ったままでいいよ。皆も、そのままで」


 立ち上がりかけたアンネマリーと取り巻きたちだったが、フランツの好意で座り直した。


「ルリエッタがいたような気がしたが……」

「あら、そうですか? 私は見てませんわ」

「まあいいか。それよりアンネマリー、学園生活は順調かな? 教師からは優秀な生徒だと評判らしいね」

「友人にも恵まれて、充実した毎日を送っておりますわ」

「それは良かった。君が婚約者であることを誇りに思うよ」

「わ、私なんて、まだ未熟でっ……」


 あーこれは盛大にデレてますね、青春だわごちそうさま、と心の中のおっさんが満足そうに頷いている。


 フランツは私がいないところでは、理想的な王子であるらしい。取り巻きたちにも優しく声をかけてから去っていった。


「……行きました?」


 完全に気配がなくなってから、私はテーブルの下から這い出た。ティナがびくりと肩を震わせ、どこから出てくるのよと怒っている。


「だって、あのまま座っていたら見つかるじゃないですか。光魔術で姿を見えなくさせることもできますけど、ものすごく魔力を消耗しますし」


 なお失敗すると全身から強烈な光を発してしまうという、諸刃の剣のような魔術だ。見た者全てに目潰しをくらわせてから逃げるという作戦もあるが、さすがに王子や貴族令嬢の目を犠牲にするのはよろしくない。


「ど、どうしましょう。フランツ様が、誇りに思うって」


 アンネマリーは頬を赤らめて狼狽えている。恋する乙女の姿に、私と取り巻き令嬢たちは和んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ