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5/10

5食パンはなくても曲がり角でフラグは立つ

 放課後にティナと会う約束を取り付けた私は、事態が好転しそうな気配に浮かれていた。あまりにも嬉しくて笑顔で廊下をスキップをしているが、致し方ない。周囲に他の生徒がいないので、不審者扱いされることもないだろう。


 私の評判も地に落ちているので、今さら悪評が一つ増えたところで問題ない。擁護してくれる友達もいなくなった。


 もう一度、泣いてもいいだろうか。モブ道まっしぐらな前世でも、友達はいたのに。


 アンネマリーとの出会いは、私が望む未来を引き寄せることになる。もちろんアンネマリーの「王子の周囲からルリエッタを排除したい」という望みも叶えることができる。


 私が望むことは安心安全な人生だ。普通に生きて普通に死ぬ、どこからどう見てもモブと思われるような生き様なのだ。決して光の乙女と持ち上げられて魔獣やラスボスと戦わされ、貴族社会に放り込まれて未来永劫にわたって功績を讃えられることではない。


 想像しただけで寒気がする。


 だから乙女ゲームと違う展開が欲しい。特にラスボスが襲ってこない保証を見つけたかった。フラグを粉砕してストーリーから逸脱することは、私が乙女ゲームのヒロインではない証拠になる。巡り巡ってラスボスの襲撃がなくなればいいのだ。


 つらつらと考えているが、要は怖いことから逃げたいし、痛いことはしたくない。その一点である。


「まあ、でも、ラスボスが襲ってこなければ、みんな平和に暮らせるんだし」


 中庭に面した廊下をスキップで進んでいると、金色の頭を見かけた。


 フランツだ。隣には黒い髪の同級生兼護衛、イレウスもいる。青っぽい髪はジュリアンか。細いフレームの眼鏡をかけているのは、副生徒会長だろう。


 攻略対象勢揃い。この風景を写真に撮れば、そのままゲームのパッケージイラストとして使えそうだ。


 悪いことは重なるもので、私が急いで逃げようとしたタイミングで彼らが振り向いた。


「あっ。ルリエッ――」

「ちっ」


 視界の端に見えたフランツたちは、きっと気のせいだ。私は鋼の意志でそう思うことにして、スキップから全力疾走に切り替えた。


 これでも前世は陸上部で短距離走をしていた。地方大会にしか出場したことがない私でも、走るフォームは魂が覚えている。加えて平民生活で鍛えた脚力で、そこらの男性なら余裕で振り切る自信があった。


 背後で私の名前を呼ぶ存在などいない。

 複数人の足音は幻聴に決まっている。

 私は今、風になっているのだ。

 私を止める者は、誰もいない。


 必死で自分に言い訳をして廊下を曲がった私は、反対側から歩いてきた誰かにぶつかった。


「ご、ごめんなさい! ちょっと急いでて、あの、大丈夫、ですか? 大丈夫ですよね!」


 ぶつかってしまった人物の服装を確認した私は、軽く血の気が引いた。


 王子の護衛だ。イレウスのような学生ではなく、入学式で見た、王家から派遣されている方の。学園の敷地内を巡回して、不審者がいないか見張っている姿を何度か見たことがある。


 王子の護衛なら王子の味方だ。背後から近づいてくる王子が、私の名前を呼んでいることは、とっくに気づいているだろう。


「……静かに」


 彼は私の背中を押して、近くの物置部屋へ押し込んだ。少しカビ臭い。背後で扉が閉まり、室内は真っ暗になった。


 部屋のすぐ外で足音が止まった。


「アレス、ここにルリエッタが来なかったか?」


 私をここへ押し込んだ護衛は、アレスというらしい。


「ええ、来ましたよ。楽しそうな様子で、あちらの方へ走っていきました。よほど良いことがあったのでしょうね」

「そうか。俺たちも笑顔のルリエッタを見かけたところでね。是非とも機嫌がいい理由を知りたいものだ。君は巡回の最中か? いつもすまないな」

「いえ、仕事ですので」


 会話が終了した数分後に、扉が開いた。先ほどは気が動転して、相手の顔をあまり見ていない。急に入ってきた光に目が眩んだが、すぐに慣れた。


 鮮やかな赤毛の男性だ。短い髪型は精悍な顔立ちによく似合っている。年齢は今の私とそう変わらないと思うが、落ち着いた態度が本当の歳を分からなくさせていた。もしかしたら、早逝した前世の私と同じぐらいかもしれない。


 アレスは物置部屋から出た私に、口角を上げるだけの笑顔を見せた。接客業のような心が伴っていない笑みだ。彼にとってはなんでもない行動だが、私には安心できる表情だった。


 この人は強制力に影響されていない確信があった。乙女ゲームならモブに分類される側だ。私の行動を全肯定せず、普通に会話をしてくれる。私を見つけても絶対に追いかけてこない。夜中に女子寮の近くを通りがかっても、窓を叩いて私に会おうとしない。


 弱っていた私の心には強く効きすぎた。普通に接してくれるだけでもありがたいのに、追われているところを助けてくれたのだから。


「殿下はあちらへ行ったよ。会いたいなら追いかけるといい」

「あの」


 言うだけ言って立ち去ろうとしたアレスを、私は急いで呼び止めた。


「ありがとうございました」

「何のことやら。俺は不審者がいないか、点検していただけ。特に物置の中は念入りに調べないといけなくてね」


 アレスはフランツから私を隠した。王族に背いたことになるわけだ。私はフランツの呼びかけを無視して逃げていた。お互いに表沙汰になるとまずい。全てを知った上で、なかったことにしようと提案してくれている。


 彼が自分の保身だけを考えるなら、私を隠す必要などなかった。フランツと合流するまで、私を捕まえていればいいだけ。自分の立場が危うくなるかもしれないのに、私の都合を優先してくれた。


「ええと……そうだ。物置の扉が開かなくて困っていたところだったんです。だから、助かりました」


 私が咄嗟に思いついた言い訳は、アレスのお気に召したらしい。今度は面白そうに笑ってくれた。


「それは良かった。もう行ったほうがいい。いつ殿下が戻ってくるか、分からないからな」


 私は振り返らずに、フランツとは逆の方へ走った。火照った頬に風が気持ちいい。強制力は攻略対象以外には働いてくれないことを、少し恨めしく思った。




 この日から、アレスはときどき私を助けてくれるようになった。助けるといっても、私が隠れていても王子たちに知らせない程度の、小さな助けだ。


 強制力に縛られているかは判別できない。でも必要以上に踏み込んでこないから、おそらく無関係なのだろう。

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