3悪夢は唐突に
無難に始まるかと思われた学園生活だったが、やはり光属性持ちは注目されやすい。一番最初の授業から攻略対象に絡まれることになった。
「君が光の乙女だね。同じ教室になるなんて思わなかったな」
魔術基礎の授業での出来事である。私の隣に座った王子が、輝くような笑顔で話しかけてきた。私が恋愛脳の持ち主だったなら、彼の見目麗しさに頬を赤らめて挨拶をしただろう。
周囲にいる女生徒たちの反応は様々だ。王子の微笑みで小さく歓声を上げる者、私に敵意を向ける者、または私がどんな生徒なのか様子を見ている者など。
きっと王子に対して好感度が高い受け答えをすると、権力者に色目を使う不届者の烙印を押されるのだろう。面倒だ。
だが強制力の恩恵は、攻略対象たちに大切に守られる私を演出してくれるはずだ。私を批判する者は排斥され、いずれ私を中心とした世界が作られていく。ディストピアの完成である。
私は出涸らしよりも薄い愛想が滲む笑いを浮かべた。
「初めまして。ルリエッタと申します。申し訳ありませんが、授業中は必要最小限しか喋らないことに決めているんです。授業を聞き逃して落第なんてしたら、両親に申し訳なくて」
授業中に会話をしたくない理由のうち、絶対に選んではいけないのは、攻略対象に助けてあげたいと思われる言動だ。
貴族は入学前に基本的なことは家で習っている。家庭教師が個人に合わせて授業をしてくれるのだ。勉強方法から苦手科目への対策もできている。教会が行っている平民向けの学校で習った私とは、圧倒的にスタート地点が違う。
乙女ゲームでは、最初の学力テストで成績が悪かったヒロインのために、攻略対象たちが自主勉強に付き合う継続イベントが発生する。ヒロインは攻略対象と二人きりで勉強をして、ステータスを上げていくのだ。
学園の人気者に気に入られただでは飽き足らず、勉強に付き合わせる図々しい光の乙女の誕生である。私はハーレムを作りたいのではなく、強制力に縛られない生き方をしたいのだ。
私が塩対応をしたにも関わらず、王子は楽しそうだった。
「それなら仕方ないね。僕のせいで授業を落とす生徒がいるのは好ましくない」
ここで油断をしてはいけない。授業が終わってから話しかけてくるパターンもある。初日だから大丈夫だと思うのは危険だ。王子の婚約者に邪推される隙を作ってはいけない。
王子の婚約者はヒロインのライバルとして設定されていた。ヒロインが王子ルートへ入った場合、彼女はヒロインをいじめた罪で婚約を白紙にされてしまう。以後は心身衰弱のため領地で静養となっていた。よくある悪役令嬢の破滅ルートである。
いきなり現れた平民が婚約者と親密にしているのを諌めただけで、悪女扱いされるのは可哀想だろう。彼女は貴族として当たり前の礼儀を教えていただけだ。適切な距離を保つよう指摘されたヒロインは、自分の行動を省みることなく、王子と恋人になってしまうのだからタチが悪い。
略奪愛なんて最大のゴシップなはずなのに、誰も騒がず祝福しているところを含めて、私には受け入れ難い。
私としては王子と距離をとって、婚約者の令嬢を悪役にしてしまう展開を避けたかった。
授業を終えた私は、話しかけてきた王子に「トイレへ行きたいので失礼します」と言って教室を出た。紳士な性格の王子なら、女性が嫌がることをしない。狙い通り、王子は私を引き留めなかった。
それから数日間は、王子から話しかけられることはなかった。それぞれ別の授業に参加していたことの他に、王子は友人たちと行動していたのもあるだろう。私にも無事に仲良くしてくれる同級生が増えてきた。
だから油断して忘れてしまっていた。強制力の存在に。
「ルリエッタも遊びに行かない? たまには寮じゃなくて喫茶店で話そうよ」
ある日の夕方。授業が終わった私は、同級生たちに遊びに誘われた。
「ごめんね。今日は魔術の授業があるんだ」
残念なことに、私には特別な授業があった。
光属性は使える人が少なく、学園に教えられる教師がいない。そのため魔術の研究所から特別教師として魔術師に来てもらっていた。今日は週に一度の授業がある日だ。
同級生たちは私が光属性持ちだと思い出したらしい。しつこく誘うことはせず、楽しげに町へ出掛けていった。いいなあ。
彼女たちと別れた私は、近道をしようと中庭を通った。これが誤りだと気がつくのは、王子ともう一人の攻略対象に遭遇した時だった。
「やあ。珍しいところで出会うね」
「これが光の乙女? なんか地味だな」
随分と失礼な感想だ。これがもう一人の性格だから仕方ない。彼――イレウスは公爵家の子息で、王子の同級生であり護衛でもある。護衛といっても彼に求められているのは、襲撃者を倒すことではなく、他の護衛が到着するまで王子の盾になる役割だ。本当の意味での護衛は今、離れた位置からこちらを見ていた。
イレウスのはっきりと物を言うところは、短所であり長所にもなる。私が地味な格好をしているのは、誰にでも好かれるヒロインという強制力に抗っているためだ。イレウスの言葉で、ちゃんと地味に見えていると証明されて安心した。
「こんにちわ。授業があるので失礼します」
失礼にならないよう笑顔で挨拶をしてから、私は二人の横をすり抜けようとした。だが今回の王子には通用しなかった。
「授業? 今から?」
「……光属性のことを教えてくれる先生は、普段は研究所で勤務しているんです。私のためにわざわざ来てくれたので、遅刻するわけにはいかなくて」
「へぇ。光の乙女様は真面目だな」
「イレウス、茶化すんじゃない。彼女は光の乙女としての勤めを果たそうとしているんだ」
申し訳ないが、そんな高尚な心は持ち合わせていない。学園から言われたことに従っているだけである。平民の私に、貴族の理事長や学園長が許可をしたことを拒否する権利などない。
この王子は乙女ゲーム内でもヒロインがやること全てに反対しない。懐が広いキャラクターとして設定されたようだ。だがしかし製作陣の思惑とは裏腹に、プレイヤーにはなんでも肯定してくる印象しか残らなかった。案の定、ネットのプレイヤーには「全自動肯定王子」という洗濯機の亜種のような異名を付けられている。
ヒロインが息をしてても誉めてくれるんじゃないか、という掲示板の書き込みを鼻で笑って同意したころが懐かしい。
「じゃあ今日は僕も参加しようかな」
今日の王子様は、とんでもない提案をしてくれた。特別授業に参加したところで、王子に得られるものは何もないのだが。
「面白そうだな。俺もいいだろ?」
「私では判断しかねますので、先生に聞いてください」
いいわけあるかと言いたくなるのをグッとこらえ、私は無難に返した。ここで反抗的な言葉を選ぶと、イレウスから「面白い女」と認識されてしまう。私はオンリーワンなおもしれー女ではなく、くそつまんねーモブ女になりたいのだ。
授業が行われるのは、職員室の隣にある小さな会議室だ。教師が王子たちを追い返してくれるのを期待して扉を開けると、いつものおばあちゃん教師はいなかった。
服装は教師と同じ魔術師だ。だが年齢は私たちとあまり変わりがない。直に会ったことはないが、私は彼の顔も名前も知っている。
「あの、先生は?」
「師匠は急な仕事が入った。代わりに俺が授業を受け持つことになったんだが……君が光の乙女か」
彼はジュリアンと名乗った。もちろん攻略対象である。おいおい、今日は攻略対象が爆釣れだなぁ、と心の中にいるおっさんがつぶやいても、致し方ないことだ。
ジュリアンは研究所以外では滅多にイベントが発生しないから、完全に存在を忘れていた。研究所にさえ近づかなければ大丈夫だと思っていた、過去の私に教えてあげたい。強制力を舐めるなと。
ああ、癒し系おばあちゃん教師を返して。
彼は王子たちがいる理由を聞くと、興味がなさそうに頷いた。
「いいんじゃないか? 光の魔術は秘匿されていない。師匠も部外者に教えるなとは言わなかった」
あっさりと王子たちの参加が決まった。
これが私の悪夢の始まりである。