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1ヒロインに転生するのが幸せだと誰が言った

 鏡に映った自分の髪を見て、私は言葉を失った。茶色く染めてくれるはずの染料が、シャワーの水と一緒に流れていく。徐々に面積が増えるピンクブロンドの髪は、私がこの世から消し去りたいものの一つだ。


「……なんで」


 私は元通りの色に戻ってしまった髪をつまんだ。


「なんで、染まってくれないの……?」


 頑張ってお金を貯めた努力が流れてしまう。だが定着しなかった染料を止める方法なんてない。頭から落ちる茶色い水をすくっても、指の間から逃げていく。


 髪用の染料は高かった。両親には金銭面で負担をかけたくない。両親が反対しないバイトを見つけて働いたのに、全てが無駄になってしまった。


「これが強制力っ……」


 私は己の無力を感じて、その場にへたりこんだ。



***



 物心つくころから、私には違和感がまとわりついていた。何をしても大抵のことがうまくいく。周囲の人が優しい。近所では煙たがられている偏屈な老人だろうと、私がいると機嫌よく話をしてくれた。


 その正体に気がついたのは、たまたま両親と一緒にとある建物を見たときだった。


 初めて来た場所なのに、どこか懐かしい。記憶の中の光景とは少しだけ違うけど、絶対に知っているはずだという確信があった。


 両親に尋ねると、そこは王立学園だと教えてくれた。貴族の子弟や平民の特待生が通う、全寮制の学園。王族も通う由緒正しき場所らしく、勉強だけでなくクラブ活動も盛んだ。学園内の問題は教師と生徒会によって解決させるため、治安も悪くない。


 どこかで聞いたなと思った。


 モヤモヤしながら帰宅した私は、その日のうちに隣の家へ引っ越してきたという家族と会って、確信した。


 新しくお隣さんになった家族は、私と同じ年齢の男の子を連れていた。今は可愛いが、成長したらそこそこ格好良くなるんだろうなと思わせる顔だち。人懐っこい性格。長い付き合い、つまり幼馴染になる存在。


 ――あっ、こいつ攻略対象だ。


 私は恐怖した。

 よりによって、あの乙女ゲームかよ、と。




 私がルリエッタという女性として、この世界に生まれる前。私は別の世界で生きていた。ごく普通の家庭で生まれ育ち、幼稚園から大学まで特に目立つこともないモブのような人生だ。それでもなんとか就職先を見つけて、卒業まで残り数日というところで記憶は途切れている。


 つまり、早逝したのだ。

 思い出したら怒りがこみ上げてきた。


 大学卒業に必要な単位をとり、卒業間近になって就職先が決まった私は、少し浮かれていた。内定が決まるまで我慢していたゲームを開封し、徹夜で楽しもうと計画を立てたのだ。


 当時の私は学生アパートで一人暮らしをしていた。叫んだり暴れたりしなければ、誰にも迷惑をかけずに徹夜ができる。コンビニでお菓子を買いだめ、心置きなくゲームに熱中できるように風呂も済ませておく。誰がチャイムを鳴らしても絶対に出ないと決めて、玄関の鍵もしっかりかけておいた。


 そうやって万全の状態で挑んだ乙女ゲームがクソゲーだったというわけだ。


 特に酷いのはヒロインだった。


 このヒロイン、とにかくプレイヤーが「なんでそうなる」と言いたくなるような言動ばかりをする。役立たずなのに攻略対象について行って敵に捕まるなど、足を引っ張ること二回。中途半端に情報を隠して攻略対象とモブを誤解からの仲違いをさせたこともあった。最終的に誤解は解けたのだが、ややこしくさせた原因のヒロインはお咎めなし。それどころかヒロインは、仲直りのために尽力したことになっていた。


 とにかく最初から最後まで、ヒロインがやることは肯定的に受け入れられる展開が続く。あまりにもヒロインにとって都合がいい世界すぎた。


 発売日に新品で買ったから、私には怒る権利があるはずだ。登場人物たちに全く感情移入できなくて、自分だけなのかと思ってネットで感想を漁ったら、酷評ばかりが目についた。


 たかがゲームに、ここまでイラつくとは思わなかった。禁欲生活解禁初日にクソゲーは効きすぎたのだ。もったいない精神で全部のルートを終わらせ、私はゲームを売ってしまおうと徹夜明けの勢いで外へ出た。


 まあ、この日はとことん運が悪かったのだろう。信号待ちをしていた私に車が突っ込んできたのか、それとも看板か街路樹でも落ちてきたのか、とにかく前世が呆気なく終わった。


 特筆することのない人生だったが、それなりに未練はある。


 なにもプレイしたばっかりのクソゲー世界に転生しなくてもいいじゃないか。百歩譲って転生は仕方ないとしても、なぜ私が苦手なキャラ設定のヒロインなのか。転生の神なんてものが目の前にいたら、胸ぐらを掴んで問い詰めたいところだ。


 このヒロイン、ネットでは「イラつく」とか「ヘイトしか溜まらない」とか、散々な言われようだった。ヒロインの行動全てがプレイヤーのストレスになる。しかし攻略対象も頭の中に花が咲いているような、恋愛のことしか眼中にない言動だったため、ある意味では釣り合いが取れている。


 もし、この世界が前世で遊んだ乙女ゲームと同じなら、何をしてもゲームのシナリオに沿った未来になるではないだろうか。


 私は恐怖した。


 成長したら光属性の力が現れて王立学園に入学させられ、攻略対象たちに囲まれ、学園生活を満喫する未来。光の乙女だなんだと担ぎ上げられ、時には同級生の貴族令嬢からいじめられる日々。でもヒロインは持ち前の明るさを失うことなく、困難に立ち向かう。その健気な姿が攻略対象たちの心を動かし、絆が深まっていく。やがてそれは世界を救う奇跡を呼び起こし――絶対に嫌だ。


 前世も今世も平民として生きてきた私に、世界を救えだなんて荷が重すぎる。


 いくら攻略対象たちの見た目が良くても、相手は貴族だ。恋愛だけならともかく結婚となると、覚えるべきマナーや知識が多すぎる。貴族の令嬢が何年もかけて身につけていくことを、一年ぐらいで覚えなければいけない。


 結婚後は社交界で人脈を作り、慈善事業や流行を生み出して社会に貢献。光属性持ちのため、時に魔獣討伐や政治的な問題に巻き込まれ――うん、やることが多すぎて胃に穴が空きそう。


 私は、もっと気楽に生きたい。


 残念だけど、この世界に生まれてしまったものは仕方ない。私はヒロインではなく、普通の平民として生きていこうと決意した。本物のヒロインみたいに世界の危機に立ち向かったり、大恋愛をするつもりはない。ひとまず前世より長生きするのが目標だ。


 それに、もしかしたら乙女ゲームに偶然似ているだけで、違う世界かもしれない。


 私は自分が置かれている環境と、ヒロインを比較してみた。

 ヒロインの家族構成は、両親と双子の弟の四人家族。今の私と同じである。


 ゲーム内で両親の職業は明言されていないが、父親は大工で母親は針子らしき描写があった。今の両親と同じである。


 両親の髪の色は茶系。ヒロインはピンクブロンド。弟は明るめの茶色だった。今の私たちと同じである。


「え? 詰んでる?」


 ゲームでは一部の設定しか明かされることはない。きっと私が知らない裏設定では、別の世界だと断言できる部分があるはずだ。


 この世界が乙女ゲームとは違う証拠が欲しい。


 まず私は珍しすぎるピンクブロンドの髪を染めようと試みた。記憶の中のヒロインとは全く違う存在になろうとしたのである。


 結果は失敗に終わったけれど。


「い、いや、まだ失敗と決まったわけでは……」


 一つの結果だけで全体を判断するのは早すぎる。テフロン加工をしたフライパンのように染料が落ちるのは、私だけの体質ではないかもしれないのだ。そう仮説を立てて、私と髪質が似ている弟に目をつけた。


 私は弟の背後からこっそりと近づき、後頭部の一部に染料を馴染ませてみた。結論から述べると、染料をつけた部分は焦茶色に染まったままだった。地団駄を踏んで悔しがる気力すら湧かない。


 次に私は、腰まである髪を切ることにした。女性は肩甲骨ぐらいまでなら常識的な長さとされている。本当はゆるふわな髪をストレートにしたかったけれど、この世界に縮毛矯正をしてくれる美容師はいない。


 やると決めた日の夜、私は長かった髪をざっくりと切った。ただ切り揃えるだけなので、鏡を見ながら自分でもできる。家族にも似合っていると褒められ、私は晴れやかな心で眠りについた。小さな一歩だが、ヒロインとは違う証を手に入れた気がしたのだ。


 そして次の日、ベッドから出た私が見たのは、腰まで伸びた自分の髪の毛だった。家族の記憶からは、私が髪を切った出来事が綺麗さっぱりと消えているおまけ付きで。


 控えめに言ってホラーである。

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