8話 クロエの新たな生活
あたしとレアが応接室に戻ると、貴族の少年が待っていて、レアを見て大はしゃぎ。
少年はレアに話しかけているけど、レアはキョトンとしていた。
少年は15歳ぐらいに見えるけど、頭の中はあたしより年下なのかも。
「そもそも精霊とはどういう存在なんだろうな? お前は精霊士だから意思の疎通ができるんだろう?」
少年が突然、あたしに話を振った。
レアとは会話が成り立たないと理解したのだろう。
「あ、あたしはその……」
精霊がどういう存在か、なんてあたし知らない。
そしてぶっちゃけると、意志の疎通も割と怪しい。
「っと、悪い。俺はパストル・リニイ。お前の兄になる男だ。年齢は15歳で、趣味は本を読むこと。目標は世界の謎を解き明かすこと。ヨロシク頼むぞ妹」
「は、はい……」
ずいぶんと壮大な目標を掲げるんだなぁ、と思った。
それと、そんなすんなり降って湧いた妹を受け入れるの?
もちろん、あたしとしては助かるけども。
ただ、あたしは伯爵家の人たちから「あんなどこの馬の骨とも知れない田舎娘を伯爵家に加える? ふざけんな」という反発があるかもと身構えていたのだ。
なので、パストルのこの反応は拍子抜けだった。
「いやぁ、しかし精霊士が妹かぁ」パストルが楽しそうに言う。「兄貴は中央官僚だし、親父は伯爵、母上は元冒険者。そんで妹が精霊士かぁ。俺だけ普通じゃん!」
「君の母上は」ジョスランが話に入る。「現役だろう」
「そうっすね」パストルが肩を竦める。「今もどっか行ってるしな。いつ帰ってくるのやら」
「冒険者……」と呟いたのはあたし。
「ああ」パストルが頷く。「親父が惚れて、追いかけ回して結婚したらしいぞ」
「そうなんですか!?」
見た目とは裏腹に、伯爵のアンジェロは行動力がある。
「最後、彼女は折れたのだ」ジョスランが遠い目をして言う。「兄上の積極性に……」
「まぁそんなわけで」パストルが言う。「うちは貴族だけど、割と雑な感じだからお前も気軽に過ごしてくれ」
「はい。ありがとう、ございます」
「うむ。それとな、俺のことはお兄様と呼べ」
「お、お兄様?」
あたしはおっかなびっくり言った。
あたしの家は兄妹が多かったので、兄もいたけど『お兄様』なんて呼んだことない。
パストルが満面の笑みを浮かべ、何度か頷く。
と、レアがあたしの肩に座った。
「なんかアレだな。精霊ってか、ペットみたいな感じだな」
「おおおい!」ジョスランが慌てた様子で言う。「見た目は可愛くとも、レアは上級精霊だぞ!? 我々なんて指先1つで粉微塵にできるんだぞ!? 言葉に気を付けろ!?」
例の空中大爆発魔法を見てから、ジョスランの中でレアは上級精霊になったみたい。
「ああ、でも、言葉通じなくね?」
パストルは笑いながらあたしを見た。
「そうですね。通じてないと思います」あたしが言う。「でも大まかな意思疎通はできるので……」
「マジか。気を付けるけど、今のも別に悪口ってわけじゃ、ないんだけどな」
パストルがレアを見ると、レアは笑顔で小さく手を振った。
パストルも手を振り返す。
「大丈夫そうですね」とあたし。
「そういや、親父がペットを飼うように言ってたから、明日俺と買いに行こう。希望はあるか? 我が妹クロエよ」
「あれ? あたし名前……」
教えてない、と言おうと思ったのだけど、普通に誰かに聞いたのだろうと気付いた。
パストルはニコッと笑って、「親父に聞いたんだ」と言った。
「ですよね……」
あたしはちょっと恥ずかしくなって、俯いた。
頬が赤くなってるかも。
「それで? ペットは? 何がいい?」
んー。
今までの人生でペットを飼うことを考えたことはない。
自分たちの生活でいっぱいいっぱいだったもん。
「えっと、じゃあ、犬を……」
なので、あたしは酷く無難な選択をした。
「分かった。じゃあ今日は……」
パストルの台詞の途中で、アンジェロが慌てた様子で駆け込んできた。
「親父?」
「大変だパストル、ジョスラン、たった今、中央から手紙が届いたんだけど」ふぅ、とアンジェロは一度、呼吸を整えた。「隣の領地と係争中だった鉱山の件、領地戦で決着を付けることに決まった」
「そうか」ジョスランが頷く。「1人はワシが出場するが……」
「領地戦?」とあたしが首を傾げる。
「ああ、領地戦ってのは」パストルが言う。「外交の延長だな。話し合いで解決しない時に、領地戦で決着を付ける。勝った方が絶対正義ってルール。昔は戦争をしてたんだけど、戦争はお互いにダメージ大きすぎるから、今は領地の代表3人による3対3の勝ち抜き戦形式に変わったんだ」
「なるほど」とあたしが頷く。
「てか、ラッキーじゃん」パストルが言う。「うちには今、精霊士と闇の上級精霊がいるんだから」
「ほえ?」
あたしは変な声を出してしまった。
大事な領地戦に、あたしが出るの?
普通に嫌なんですけど?
◇
伯爵令嬢になってからのあたしの日常は、酷く慌ただしかった。
まずは30日後の領地戦に向けて、身を守る術(という名目の戦う技術)を覚えなければいけなかった。
精霊士って基本的には精霊に戦ってもらうんだけど、念のため自分自身を守れるだけの力は必要である。
そんなわけで、あたしはジョスランに体術を教わっていた。
ちなみにパストルも一緒にいる。
ここはリニイ伯爵家の庭。
空は高く晴れているけど、気温はそこまで高くない。
あたしもジョスランもパストルも、ラフな運動着を着ている。
「よし、休憩にしよう」とジョスラン。
あたしとパストルがその場に座り込む。
疲れた……。
レアは宙に浮いた状態で、あたしたち3人の訓練をただ眺めていた。
あたしたちが休憩を始めると、レアはあたしの頭の上に乗っかった。
「体術はどうだクロエ」とジョスラン。
「し、しんどいです……」
村娘のあたしは、畑仕事など、身体を動かすことも多かった。
山歩きも森歩きも苦にならない。
でも!
体術はまったく勝手が違う!
身体のあちこちが痛かった。
「ふむ。だがこれは基本だ」ジョスランが言う。「剣術だろうが魔術だろうが、4段ぐらいまでは体術も一緒に学ぶのだ」
「ちなみにお兄様は剣術5段だぞ」
パストルがニヤッと笑いつつ言った。
「さ、さすがお兄様」
「ふっふっふ」
「レアの予言では、クロエは魔術王になる」ジョスランが言う。「だからこのあとは魔力の扱いも教える」
ちなみに、剣術を使う者も魔力操作を覚える必要があるみたい。
なぜなら、【身体強化】などの魔法を使って戦うから。
「夕方からは貴族としての勉強もあるし」パストルが言う。「大変だろうけど、必ずお前のためになるから頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
あたし自身、勉強はできる限りやりたいと思っている。
村娘のままなら、絶対に受けられない高度な教育なのだ。
受けなきゃもったいない!
◇
クロエの家に辿り着いてから数日が経過したけど、なーんか、クロエって毎日忙しそう。
体術のお稽古に、お勉強に、自分の時間がないみたいね。
だから家出したのかな?
私の中で、クロエは家出少女になっている。
クロエはさっきまで体術の稽古をしていて、今は休憩中。
クロエの兄とイケオジも一緒。
てゆーか、たぶんクロエ兄の名前はパストルかパステルかパストオ。
なんとなく会話を聞いていると、イケオジがクロエ兄をそのように呼んでいるのに気付いた。
だからまぁ、私はクロエ兄をパス君と呼ぶことにした。
私の見立てでは、パス君はイケオジよりずっと弱い。
まぁクロエは更に弱いんだけどね。
強くなりたいなら、私が手伝ってあげてもいいけれど。
これでも戦闘能力向上には定評があるのだ、私は。
前の世界でみんなを鍛えたからね。
と、休憩が終わったらしく、クロエとパス君が瞑想を開始。
イケオジが指導している。
どうやら、魔力の操作を教えているみたいね。
ふむ。
クロエは魔力経路がちゃんと開いてないみたい。
魔力経路というのは、身体を巡る魔力の通り道のこと。
私はクロエの頭から離れ、顔の前に移動。
「クロエ」
呼びかけると、クロエが目を開く。
私は両手を伸ばす。
クロエは少し困惑しつつ、右手で私の手に触れた。
「経路、開いてあげるね」
私は自分の魔力をほんの少しだけ、クロエの身体に流した。
私の魔力はクロエの身体を巡り、魔力経路を次々に開いていくのだった。