第二章【十一】
力が、力が欲しい。
それがあれば、守ることができる。変えないことができる。
汚されないことだってできる。
琴音を守り、変わってしまったかつての親友を間近で見て、その思いは日増しに強くなっていく。
魔法少女キューティクルスター。
その裡に秘めた強さは、桃香も知っているはずだった。
なのに、変わり果てた、世界に対してすっかりイジケた様子で現れた。
「男の顔になる」
そう打ち明けられた時、止めなかった。
少しでも心を修復する助けになるならと思った。
なにも変わらなかった。
琴音を守る強さが欲しかった。
そして、親友を救う手立てを求めた。
彼女はどんどんと暗い道を進んで行った。
目は落ちくぼみ、背は曲がり、世の中への貢献を夢見ていた少女は、世界に背を向けた。
「プリティプディングを殺す。チャンスは一度だけ、魔王を倒した、その瞬間よ。魔法少女が使い魔を作るプロセスから作った交雑システムで不意討ちをしましょう。貴女の力も借りるわ」
彼女は狂った。
かつては一歩ずつ進めれば良いと言っていた研究と開発。
しかし、彼女は日に日に追い詰められていた。
感情を人造魔力にする術では、極限の手段を用いなければ、雀の涙しか溜まらない。
それで納得していたと思っていた。
なにせ、もう闇の軍勢は最後の戦いでプリティプディングに成敗される日が近い。
かつて同じような戦いに身を投じていたから、そういった機微にも通じている。
だからてっきり研究は一旦中断するのだと思っていた。
「次の機会はいつかわからないから、絶対にこの機会を逃さない」
高級仏蘭西人形を思わせた美しさから、腐臭のする絶望が見えた。
声から、目から、臓腑から、死人の香りがした。
「やめましょう。一度、落ち着いて二人で温泉にでも行かない? あなたに必要なのは休息だと思う」
桃香は初めて、親友を否定した。
返事は殴打だった。
平手打ちを覚悟してはいても、拳を握られるのは予想していない。
頬の痛みがジンジンと響き、思考を麻痺させた。
一発殴り、相手は背を向け、振り返らなかった。
とぼとぼとその場を後にし、なんとかプリティプディングに連絡を付けようとした。
元キューティクルスターが指導していた縁で会ったことがある。
連絡先も知っていた。
無駄だった。
その日に最後の戦いが始まった。
空を暗黒の城が埋め尽くし、プリティプディングが居城に乗り込んだ。
無理をすればやりようはあったかもしれない。
もう騎士になる方法は修めていたから、戦闘機でも奪えば、忠告できたかもしれない。
しかし、桃香はそれをしなかった。
まだ幼い娘の琴音を守ることを優先した。
そのことを、後悔しない時はない、真田剛毅を引き取って、彼を見るだけで罪悪感に心が潰されそうだった。
見殺しにした英雄の弟を奪った事実が、真田桃香の心臓を締め付ける。
だからこれは報い。
かつての主に残る魔力を吸われたのも、理性のない魔獣にされたのも、息子に討たれるのも。
自分が力のなさ、無力であることから来る恐れに敗北したことへの断罪。
仕方がない。当然だ。
そう思って、真田桃香は理性を手放し、大人しく最期を迎えようとした。
ただ、もう少し苦しんで死にたいという、贖罪への思いが――
「死なないで」
青い焔が無我の領域に溺れる母の手を掴んだ。
竜の輪郭をていたが、それはたしかに真田剛毅だった。
「良いのよ、私のことはいいの。いつかはこの日が来ると思っていたもの」
彼を守ったのは罪滅ぼしのため。
少しは、琴音のためを言い訳に、無力でいることの恐れに屈した罪を償おうとして。
真田剛毅はとても良い子に育った。
ツッパリだのなんだのはよくわからないが、姉を喪って血の繋がりのない家族の中にいても、塞ぎ込まずに、優しさも喪わずにいてくれた。
琴音と二人でずっと支え合って強く生きてくれる。
「そうなったのは母さんのおかげだよ」
剛毅が真田桃香を“母さん”と呼ぶ。
彼女がしたことを知ったのに。
「恨んでない……っていうか怒ってないと言うと嘘だけど、だからって母さんを見殺しにする気はない」
「でも……私はもう終わったから……」
キューティクルスターが作った術、孵化によって、桃香を形付くっていた法則は解かれた。
それに使われていた魔力は、みんな相手のものになった。
もうどうしようもなくなったのだ。
「なら俺は願う、“家族と一緒にいること”を」
魔法少女ナイトスターの成長は目覚ましい。
しかし、それでも魔法を使うには程遠い。
魔法とは魔力で世界に法を敷くこと。
使い魔を人間の家族にするのもそれだし、キャナリークライが成し遂げようと夢見た“不老”もそれだ。
しかし、それは魔法少女が魔力を、第五次元より流れ込む想像力を、我が物同然にしなければならない。
「今は母さんを人間に戻せないかもしれないけど。とにかく側で見ていてくれ、俺ってすっげえ強くなったからさ。母さんのことだって守れるよ」
息子の言葉の意味がわからず、訝しむ。
剛毅が掴む腕から、真田桃香が形を取り戻していく。
豊かな巻き毛、豊満な乳房、マヨネーズのような太もも。
明るい瞳、厚い唇。
「でも私は……」
「もういい。俺達、家族なんだから、絶対に一緒に帰る。琴音ともそう約束した。”でも”とか”だって”とかは必要ない」
初めて、母の言葉を遮って、剛毅が意見をした。
「そう、それなら仕方ないわねぇ……」
目を閉じて、観念した桃香は呟く。
できるんもかとか、できないのかとかではない。
息子に断言され、娘のことも出され、母親は素直に思った。
生きていたい。
喩え、永遠に無力な存在に堕ちてしまおうと。
とにかく目覚めなければ。
起きて家族を守るのだ。
二人とも、親離れは遠いようだし。




