異世界ファンタジーの定番、村を救って英雄になる。
ソフィアは、自分がどこにいるのかわからなかった。彼女は、自分が放った魔法の爆発によって、空中に飛ばされたのだと思った。しかし、彼女は、自分がどれだけ飛んだのか、どの方向に飛んだのか、どこに着地するのか、何もわからなかった。彼女は、自分を守るために発動したディメンション・プロテクションの魔法によって、真っ暗なバリアに包まれていたからだ。バリアは、外からの攻撃を防ぐだけでなく、内からの視界も遮ってしまっていた。彼女は、ただひたすらにバリアの中で落下を待っていた。
「どうしよう……どうしよう……。」
ソフィアは、不安と恐怖に震えながら、祈るように呟いた。彼女は、自分がこの世界に来てからまだ数分しか経っていないということに気づいた。彼女は、自分が元の世界からトンネルを通ってこの世界に来たこと、自分がゲームのキャラクターになってしまったこと、自分が魔法を使って周囲一帯を壊滅させてしまったこと、を思い出した。彼女は、自分の行動に後悔と罪悪感を感じた。彼女は、自分がこの世界で生きていけるのか、もしも先ほどの攻撃で誰かが亡くなっていたらどうやってこの世界の人々に謝れるのか、何もわからなかった。
「助けて……誰か助けて……」
ソフィアは、涙を流しながら、助けを求めた。しかし、彼女の声はバリアに吸収されてしまい、誰にも届かなかった。彼女は、孤独と絶望に打ちひしがれた。
やがて、ソフィアは地面に近づいていることに気づいた。バリアの中では見えなかったが、彼女は落下速度や風圧で感じ取った。彼女は、自分がどこに落ちるのか不安だった。もしも、人や動物や建物などにぶつかってしまったら、また大惨事を起こしてしまうかもしれない。彼女は、そんなことにならないように祈った。
「どうか……無事に着地できますように……。」
ソフィアは、そう願った。そして、バリアが地面に衝突する音を聞いた。
やがて、バリアは、地面に落下した。防御魔法は衝撃を吸収し、割れることはなかったが、土壌は大きく損傷し、衝撃で捲れ上がった。ソフィアは、バリアの中で揺さぶられたが、怪我はしなかった。
彼女は、恐る恐る防御魔法を解除した。
「ああ……良かった……。」
バリアが消えると、ソフィアは、安堵した。彼女が落下した先には、周囲に人や動物や建物などがなかったからだ。どうやら、畑に落下したようだった。
安心せた彼女は、改めて周囲の景色を見まわした。
「わあ……!」
ソフィアは感嘆した。彼女の目に映ったのは、青い空と緑の草原と色とりどりの花々だった。彼女は二つの太陽が輝く空を見上げた。彼女はこの世界が美しいと思った。
「ぎゃああああ!」
しかし、その美しさも束の間だった。ソフィアの耳に飛び込んできたのは、恐怖と悲鳴と怒号だった。彼女は驚いて声のする方へ視線を向けた。
すると、畑から少し離れた場所にある小さな村が見えた。その村では、大きな騒ぎが起きていた。
「何が起きているの?」
ソフィアは疑問に思った。彼女は村の方へと歩き出した。すると、村の反対側に、巨大な怪物がいるのが見えたのだった。
それは、異世界アニメでよく登場する定番の魔物のオーガだった。オーガは二足歩行だが、人間よりも二倍以上も大きくて、筋肉質で、硬い外皮に全身を覆われ、醜い姿をしていた。
オーガは、村人を襲っていた。オーガは、村人を殴って殺して回っていた。どうやらオーガは、村人たちをワザといたぶって遊んでいるようだった。
「ひどい……」
ソフィアは、オーガの暴虐に怒りと悲しみを感じた。彼女は、村人が助けを求めているのに気づいた。
「助けて! 誰か助けて!」
「オーガだ!」
「村長! 村長はどこだ!」
「子供たちを守れ!」
「神様! 神様!」
村人たちは、泣き叫んでいた。しかし、彼らを助けることができる者はいなかった。
また、村人たちは、自分たちでオーガに対抗することもできなかった。農具で対抗しようとする若者が何人かいたが、まるで闘いになっていなかった。彼らは、ただオーガの餌食になるしかなかった。
「こんなの……許せない……!」
ソフィアは、決意した。自分がこの世界に来てから初めて感じる感情だった。それは、正義感だった。
「私が相手よ!」
オーガに向け、ソフィアはそう叫んだ。彼女は、杖を持ち直し、オーガに向かって走り出した。
攻撃魔法を使うわけにはいかなかった。先ほどのファイヤーボールで懲りていたからだ。あんな大威力の攻撃を放っては、オーガを倒せたとしても、村ごと消滅してしまう。
だが、肉弾戦で十分な筈だった。彼女の網膜に投影されたAR表示によると、オーガのレベルはたったの23。一方のソフィアはLevel.556。負ける要素はどこにもなかった。彼女は、魔法を使わずに杖でオーガを殴った。
「ぐあああああ!」
魔法を使うまでもなかった。オーガは、ソフィアのその一撃で倒れた。ソフィアの杖は、ゲーム内で最高ランクのアイテムだったからだ。その杖は、魔法だけでなく物理攻撃も強化する効果があった。レベル差による基本ステータスの差も加味すれば、その杖で殴られれば、一撃で死ぬことになる。
「やったわ!」
ソフィアは喜んだ。ソフィアは、オーガを倒した後、村人たちに囲まれた。彼らは、ソフィアに感謝と敬意と賞賛の言葉を投げかけた。
「ありがとうございます! あなたは私たちの命の恩人です!」
「すごいです! あんな大きなオーガを一撃で倒すなんて!」
「あなたは誰ですか? どこから来たのですか?」
「あなたは私たちの英雄です! 神様が送ってくださった救世主様に違いありません!」
ソフィアは、村人たちの言葉に戸惑った。だけど、英雄と呼ばれて悪い気はしなかった。
彼女は、自分がこの世界に来てからまだ数十分しか経っていないということに気づいたが、早くもこの世界が満更ではないとおもいはじめていた。
「ええと……私はソフィアです。」
ソフィアは、村人たちに答える言葉を探した。
「通りすがりの旅人です。」
すると、群衆の中から、一人の老人が出てきた。立派な顎髭をたたえ杖をついたその男性は、ファンタジー小説における典型的な村長といった見た目だった。
「旅人ですか? どこからいらしたのですか?」
村長らしきその老人が尋ねた。
「それは……ええと……」
ソフィアは困った。自分がどこから来たのか、どう説明すればいいのかわからなかった。自分が地球からトンネルを通ってこの世界に来たこと、自分がゲームのキャラクターになってしまったこと、なんて言ったら信じてもらえるだろうか。それとも、嘘をついてごまかすべきだろうか。
「あの……私は……」
ソフィアは言葉に詰まった。
そのとき、群衆の中から助け舟が出た。
「村長、人の過去は詮索するものじゃないですよ。」
そう言って、ソフィアの横に立ったのは、一人の青年だった。彼は、オーガに襲われていた村人の一人で、ソフィアに助けられたのだった。彼は、オーガに殴られて意識を失っていたが、つい先程、目を覚ましたのだった。彼は、ソフィアに感謝の気持ちを持っていた。
「あなたは私たちを助けてくれた英雄です。どこから来ようと、何をしようと、私たちはあなたに敬意を払います。」
青年はそう言って、ソフィアに微笑んだ。彼は、ソフィアに好意を持っていた。
「ありがとう……」
ソフィアは、青年に感謝した。
「とんでもない! 感謝するのは私達の方です! 村を救ってくれて本当にありがとう!」
青年はそう言って、右手を差し出した。
「どういたしまして」
ソフィアも返事をしながら握手を返した。
「私はカインと言います。この村の自警団のリーダーです。」
カインは自己紹介した。彼は、背が高くて筋肉質で、茶色の髪と緑色の目をしていた。彼は、村人から尊敬されていた。
「私はソフィアです。」
ソフィアも自己紹介した。
「ソフィアさん……素敵な名前ですね。」
カインは赤面しながらソフィアの名前を褒めた。
「ええと……ありがとう……」
ソフィアも赤面しながら返事をした。
「ところで、ソフィアさんは冒険者なのですか?」
カインの問い。
「冒険者?」
ソフィアはカインの質問に首を傾げた。彼女は、この世界のことをほとんど知らなかった。彼女は、冒険者という言葉がこの世界でどういった意味で使われているのか、分からなかった。
「冒険者とは、この世界にある様々な危険や謎に挑む者のことです。魔物や魔法や秘宝や伝説などに興味を持ち、それらを探求する者です。冒険者は、冒険者ギルドという組織に所属し、そこから依頼を受けて報酬を得ることもあります。」
カインは、冒険者について説明した。説明する様子を見る限り、彼は冒険者に憧れているようだった。
「なるほど……」
ソフィアは、カインの話に興味を持った。彼女は、自分が元の世界でプレイしていたゲームのことを思い出した。そのゲームでは、自分も冒険者として活躍していた。そのゲームでは、自分も魔物や魔法や秘宝や伝説などに触れていた。
「私は……冒険者ではありません。でも、興味があります。どうやったら冒険者になれるのですか?」
☆☆☆☆☆
その日の夜、村では宴会が行われた。それは、死者を弔うためのものであり、ソフィアのオーが討伐をたたえるものだった。
もちろん、祭りの主役はソフィアだ。素手でオーガを倒し、村を救った英雄だからだ。しかし、肝心のソフィアは浮かない顔をしていた。
その理由は、
『おトイレに行きたい……』
という、非常に切実なものだった。だが、問題があった。ソフィアは今まで男として生きており、女の排泄の仕方が分からないのだった。ソフィアは悩んでいた。一体、女の子は、ホースもないのにどうやって小便を流しているのだろうか? もしかして、小便が足を伝ったりはしないのだろうか? ソフィアの中で、女の子の排泄に関する疑問や羞恥が大きくなっていく。
だが、いつまでもウジウジしている訳にはいかなかった。尿意が限界に達していたからだ。ええい! 女は度胸よ!
「すいません。私、ちょっと、お手洗いに行ってきます。」
そう言って、宴会を中座したソフィアは厠へと向かったのだった。
そして、オーガ殺しの英雄にあるまじきことに、盛大に小便の狙いを誤り、自分の足を汚したのだった……。