富士山を愛でることのできる我々は幸せだと思ったので書いた話
みなさん、いきなりですが、『竹取物語』って知ってますか。
中学校1年生の国語の教科書に載ってますし、だいたいの方は知ってると思うんですよ。
まあ、それにしたって、全部読んだことがある人は、あんまりいないと思いますが、あらすじは相当多くの人が知ってるんじゃないでしょうか。
ほとんどの人が、言わなくても理由はわかるとは思いますが、一応、書いときます。
Q なぜみんな知ってるの?
A 昔話の『かぐや姫』の基になった話だから。
茶番におつきあいいただきありがとうございましたw
さて、みなさんよく御存知の『竹取物語』と『かぐや姫』。
竹の中から見つかった女の子が、美しく成長し、いろいろな貴公子から結婚を申し込まれるも断って、最後は十五夜の晩に迎えが来て、月に帰ってしまう。
というストーリーは共通ですが、2つの物語には、1つ大きな違いがあります(※古語か現代語かという意味ではありません)。
『かぐや姫』の話は、多くの異本がありますが、私の知る限り、どの『かぐや姫』も原作の『竹取物語』と、この1点だけは違っていました。私が知らないだけで、もしかしたら竹取準拠のものもあるかもしれませんが、仮にあったとすれば、童話としては不適切です(後で理由は述べます)。
では、どこが違うのか?
それは、ラストの部分です。
『竹取物語』のラスト、あらすじはこんな感じです。
かぐや姫は月に帰るにあたって、帝に不死の薬を献上します。ところが、帝は「かぐや姫に会えないなら、不死になっても意味が無い」と、家臣に命じて、駿河国にある天に一番近い山(※富士山)の頂で、その薬を焼かせます。その煙は今も立ちのぼっているということです。
これ、おとぎ話の『かぐや姫』では、一切触れられてません。
理由は、多分、こんなこと書いたら嘘つきになっちゃうからです。
おとぎ話自体が嘘っぱちだと言われると身も蓋もないのですが、少なくても、子どもが見てもわかるような嘘は書かないのが礼儀でしょう。
そんなわけで、おとぎ話『かぐや姫』には、『薬を焼いた煙が今も立ちのぼっている』という記述が入っていないのです。
さて、ここからが本題です。『竹取物語』の成立は平安時代前期と考えられています。
平安時代前期というと、今から1,000年ちょっと前ですが、『竹取物語』の記述からもわかるとおり、『富士山はいつも山頂から噴煙を噴き上げている山』だと、この時代は世間一般で考えられていたようです。
それもそのはず、富士山は有史以後に限っても、わかっているだけで、10回を超える噴火を繰り返しています。
そもそも、富士山があんなに高くなったのは、人(?)一倍活発に噴火を繰り返していたからに他なりません。
ちなみに、有史以降の噴火のうち、3大噴火と呼ばれるものがあります。
延暦、貞観、宝永の大噴火です。
延暦の大噴火(※『大噴火』に含めない説もある)では、当時の東海道が埋まってしまい、新道を切り拓いた話が残っています。
貞観の大噴火では、流れ出した溶岩が、山の北にあった剗の海に流れ込み、湖を西湖と精進湖に分けてしまいました。なお、その溶岩流の上に出来たのが、青木ヶ原樹海です。
宝永の大噴火では、東側に新たなできた噴火口から大量の軽石や火山灰を噴出させ、麓の御殿場周辺では3メートル、江戸でも数センチ積もるなど、甚大な被害が出ました。
これらの大噴火で、富士山の標高は、一体どれぐらい高くなったのでしょうか。
答えはゼロです。
なぜなら、これらの3回の大噴火は、全て山腹からの噴火だったからです。
それどころか、山頂で最後に噴火したのは、約2,200年前と考えられており、それより後の噴火は、富士山の背を伸ばすためには、なんら貢献はしていないのです。
じゃあ、いつから山体が成長し始めたのかと言うことになりますが、なんと、現在の新富士火山が活動を始めたのは、たったの1万7,000年前です。
それ以前から3,000m級の古富士火山が活動していたとはいえ、1万5,000年程度の活動期間しかないのに、700mも山を積み上げてしまったのです。
間違えないでいただきたいのは、平地に700mの山が出来たのとは、わけがちがうということです。3,000mの古富士火山の上に、更に700m以上積み上げたのです。どれだけ頻繁かつ大量に噴火すれば、3,000mの上に、700mの岩石は積み上がるのでしょうか。
更に言うならば、積み上げるだけだったのなら、まだいいのです。ところが、富士山は、わかっているだけで12回も、山体崩壊という大規模な岩石なだれを起こしています(※全て有史以前)。
2,900年ほど前に起こった、最後の大規模な山体崩壊は、『御殿場泥流』と呼ばれ、御殿場方面に崩れた山体が泥流となって山裾を駆け下り、東は足柄平野まで、南は三島を経て、駿河湾にまで到達したとされています。
活発な噴火によって、短期間に山体を積み上げただけではなく、頻繁にそれを崩しながら、現在の3,776mの山体を維持しているのが、富士山なのです。
こんなわけですから、有志以後に限っても、富士山は大きく姿を変えてきました。
織田信長の見た富士山には宝永山はありませんでしたし、万葉集に富士山の歌を詠んだ山部赤人や高橋虫麻呂の時代には青木ヶ原溶岩流はありませんでした。
そして『御殿場泥流』を起こす前、縄文人たちが見ていた富士山は、もしかすると今とはかなり違う姿だったかもしれません。
2,200年前から上に成長していないと言っても、どんどん姿を変え続けている。それが富士山なのです。
では、この富士山の姿を、私たちはいつまで目にすることが出来るのでしょうか。
残念ながら、それはわかりません。
富士山はいつ噴火してもおかしくない、日本有数の活火山だからです。
そして、いつ噴火してもおかしくない証拠は、いくらでも転がっています。
たとえば、フィリピン海プレートは、富士山の下でユーラシアプレートに潜り込み、今この時間も、少しずつ富士山にエネルギーを供給し続けています。
たとえば、富士山は、噴火の少ない休眠期を迎えたこともありましたが、有史以後は、休眠期間は300年程度でした。そして、前回の宝永噴火は今から300年ちょっと前の出来事です。
たとえば、大地震と噴火に連動性があると言う説もあります。
東日本大震災から10年が経ちましたが、地質学的に言えば10年は誤差の範囲です。南海トラフ巨大地震だって、いつ起きてもおかしくないのはみなさんも御存知でしょう。
現在噴火の予兆は確認されていないようですが、1か月後、1年後にも、同じ状態が続いているかは、誰にもわからないのです。
もしかすると、我々の生きている間に、大規模な噴火は起きないかもしれません。ただ、富士山は噴火しながら成長してきた山です。全く噴火が起こらないと、逆に風化が進む可能性があります。すると、地震等を引き金にして、いきなり山体崩壊を起こす可能性だってあるのです。
「まさか!」とは言わないでください。前述の通り、富士山には既にその前歴があるのですから。
今、当然のように私たちは富士山を見ていますが、今の姿で富士山がいてくれたのは、間違いなく1つの奇跡です。
そして、先程来申し上げていますとおり、その奇跡がいつまで続くのかは、神ならざる私たちにはわかりません。
だからこそ、今あるその雄姿を、忘れずに目に焼き付けておきたい。そう願ってやみません。
いつまでも、あると思うな。親と富士
お後がよろしいようで。