3.空気清浄機ならぬ魔素浄化機
世界や国の歴史とか、成り立ちとかは置いといて。
魔法には凄く興味があるけど、今はちょっとこれも横に置いておいて。
魔物や『穴』が原因で呼ばれたらしいし、結構重要らしいけど、これも後回しに。
とにかく。
ー空気中に魔素が含まれる所為で、呼吸するところから他人にお世話にならないと生きていけないなんて。
桜は、心の中で盛大な嘆息を吐いた。
おかげで、何処に行くにもレヴィアス殿下が付いてくる。というか、レヴィアス殿下について回らないといけないので、自分一人で過ごせる時間は無いに等しかった。
ーまるで、一国の王子様が私専用の空気清浄機みたいになってるわ。
一人で考えたいことや、考えをまとめたい事もあるのに、そのような時間や場所は今のところ桜には一切無い。
今も、政務を行う殿下のすぐ近くに置かれた桜専用の机について、歴史書を読まされていた。
ー感謝しないといけないのは分かっているわ。今、私が生きていれるのも、レヴィアス殿下の光魔法のお陰なのだし…。
召喚されてしまった経緯については、迷惑以外の何物でも無いが、国策として行われたのであれば、殿下には拒否権は無かっただろう。王家も、国の危機に無策ではいられないだろう。
どちらかというと、そこで、自分の様な面倒臭い、大変手の掛かるのが召喚されてしまって、申し訳ないくらいだ。
ましてや、何とか1日1日を生き延びているような聖女が、果たして魔物相手に役に立つのかも疑問であるし、聖女と呼ばれるのすら、おこがましいくらいである。
ーこの召喚は失敗だったとかってなって、元の世界に帰してくれたら良いのだけれど。
何の役にも立たない自分が、下にも置かない扱いを受けて、申し訳ない限りだ。
その上、元々ある程度は放ったらかしで育った桜は、こんなにも四六時中人が側にいる生活に慣れていない。
ーお爺様と暮らしていた時は、広いお屋敷の自室で学校に行く以外はほぼ一日中一人で過ごしていたから。
忙しいお爺様や秘書の方と会うのも週に何度かくらいだったわ。
家政婦さんにはそれなりに会っていたが、それでも、買い物や用事のタイミングもあって、毎日では無かった。
この世界に来て、そろそろ10日になる。
桜のストレスも限界だった。
ーヴィルヘルム様にお会いしたい。
切実に、そう思った。
ヴィルヘルムが魔素浄化を請け負った間、彼は桜を部屋に1人にしてくれた。
『ゆっくりすると良いよ。私は隣の部屋にいてるから、何か問題があったら呼んでくれるかな?』
ヴィルヘルム様は自身の持つ探知魔法で魔素も管理出来るので、レヴィアス殿下のようにすぐ側にくっついていなくても魔素浄化も魔素濃度管理もできるとおっしゃると、私に優しく微笑みかけた後、意味ありげにレヴィアス殿下をじとりと見つめた。
殿下は、何故か凄く気不味そうに目線を逸らしていたようだった。
『魔素の浄化は、側にいなくても出来るものなのですか?』
と訪ねると、ちらりと王太子殿下を見た後、にっこりと私に微笑み、
『何せ私は優秀だから。この王宮で長年魔道士長を任されるくらいにはね』
と、ウィンクされた。
ーとにかく、どなたかにヴィルヘルム様に来て頂けるように伝言をお願いしなくては。
開いた歴史書の端を握り締めながら、歴史書越しに、魔法騎士団長のアーダルベルトと話をしているレヴィアスを見つめた。
と、扉がノックされた。
「誰だ」
レヴィアスの声に、扉の向こうの声が応える。
「ヴィルヘルムです」
ヴィルヘルム? と、王太子が小さく呟き、「入れ」と、返事をした。
「失礼します」
掛け声とともに、ヴィルヘルムが入ってきた。
あまりのタイミングに、桜の瞳はきらきらと輝いた。
「何かあったか?」
訝しげに問う王太子に、いつも通り柔和な笑みをのせて、桜の方を向いた。
「サクラ様をお迎えに来ました。前回浄化していた時に、レヴィアス殿下に日頃のお礼に何かしらプレゼントを探してお渡ししたいと仰っていましたので」
「なに?」
2人に見つめられて、桜は歴史書から顔を上げた。
「はい?」
「そうなのか?」
ちょっと嬉しそうな、それでいて戸惑いを隠せない複雑な表情の王太子に、悪戯っぽい顔でウィンクしてくるヴィルヘルム。
そんな約束は無かったが、折角の心遣いだし、乗る以外の選択肢は無かった。
「…はい‼︎ ヴィルヘルム様のお時間の大丈夫な時にと」
がたんと立ち上がり、ヴィルヘルムと挨拶を交わす。
「やっとゆっくり時間がとれました。大変お待たせしてしまいましたね」
「とんでもありません。お時間を取ってくださり、ありがとうございます」
では、と、2人してレヴィアスに向き合った。
「何を贈るか1から考えてますので、少し時間が掛かるでしょうが、楽しみにしてお待ち下さい。しっかりとサポートさせていただきます」
ーヴィルヘルム様の柔和な笑みが、少し黒く見える気がする。
思ったが、今は指摘しない事にする。
今日は午前の講義も終わったし、この後は1日予定は無かったはずだ。
きっと、ヴィルヘルムも、分かっていて誘いに来てくれたに違いない。
「行って参ります」
桜が挨拶すると、レヴィアスが桜の手を取った。
「楽しそうだな。私も一緒に行こう」
ーは⁈
力一杯心の中で突っ込んで、表情筋に笑顔を作らせる。
「お渡しするまで、殿下には秘密にしておきたいのです。どうかご容赦下さいませ」
「…そうか」
しゅんとしたレヴィアスの頭に、項垂れた犬の耳が見える。が、見なかった事にして、最近習った美しいカーテシーを決める。
「気を付けて。ヴィルヘルム、サクラを頼む」
「お任せ下さい」
簡単な挨拶を済ませて、2人して王太子の部屋を出た。
しずしずと王宮を離れて、魔道士の塔へ繋がる渡り廊下へ差し掛かったところで、2人が笑顔で視線を合わせる。
「なかなか演技派ですね」
「ヴィルヘルム様こそ」
何度か通ってわかった事だが、この渡り廊下は、比較的人気が少ない。
「そろそろ限界では無いかと伺ってみたのですが、表情を見て当たりだったと確信しました」
ヴィルヘルムはいつも穏やかな表情ではあるが、決して優しいだけでも、意志が通せない人でも無い。
「…どのようにして、ヴィルヘルム様に来て頂こうかと悩んでいたところでした」
「魔法も使えないのに、瞳が光を放っていましたからね」
それでも、突然あらわれた手のかかる厄介者にも心を砕いて下さる、優しい方だ。
魔道士塔の客間に着くと、薄い碧色のコットン生地の可愛いワンピースや靴に、日除けの帽子まで用意されていて、桜は思わずヴィルヘルムの顔を見上げた。
「城内に閉じ籠り続けるのも、いい加減息苦しいでしょう。今日は、街に降りてみませんか?」
提案に、ぱあっと表情が明るくなる。
しかし、すぐにしゅんとしぼんだ。
「私の周辺の魔素を浄化しながら街を歩くのは、大変なのでは」
余計な迷惑は掛けたくない。
俯いてしまった桜の頭に、ヴィルヘルムの繊細であたたかな手が優しくのり、ぽんぽんとされた。
「私はきっと、貴女が思うよりとても使える男ですよ。少なくとも、王太子よりは優秀な光魔法の使い手です」
もっと、寄りかかってくれても大丈夫ですよ。
姿勢を低くして顔を覗き込まれて、視線が合う。
「貴女も、たまには息抜きが必要です。貴女も私も、髪がこのままでは目立ち過ぎるので魔法で髪の色は変えましょう。そして、街で色々なモノを沢山見て周りましょう。気に入ったものがあったら、食べたり買ったりしましょう。言い訳にはしましたが、王太子に何か贈り物を用意しなければならなくなりましたし。元いた世界では、こういう息抜き方法は無かったですか?」
ふわりと微笑まれて、綺麗な笑顔に、桜は顔が熱くなるのを感じた。
ーかっ顔がっ‼︎ 綺麗なお顔が近い‼︎
この世界では魔力が強い者がより黒い色を身に纏うようで、黒髪に黒曜石の瞳である桜は、素晴らしく大きな魔力の持ち主に認定されている。
日本人なら大抵皆黒髪に黒い瞳では? と思ってしまうのだが。
今のところ、桜の周囲では魔道士長であるヴィルヘルム、その部下のカイ、魔法騎士団の団長であるアーダルベルトが、皆艶やかな漆黒の髪と瞳を持ち合わせている。
王太子は、シシリー王国でも数少ない光魔法の使い手だが、国王様と同じハニーブロンドに、濃い空色の瞳だ。
考えに則れば、あまり力は強く無い事になる。
ーつまり、真っ黒な髪の私達がこのまま街に行くと目立ってしまうから、魔法で色を変えたりして、変装して遊びにいきましょうってことね。
なかば押し切られるように了承し、服を着替え、魔法を掛けてもらって髪や瞳の色を変えた。
桜は綺麗なアッシュブロンドと琥珀色の瞳に。
ヴィルヘルムは落ち着いた紺色の髪に、濃紺の瞳に。
「貴女の着ていた『セイフク』の色が綺麗だと、ずっと思っていたのですよ」
綺麗な色だと何度も言ってくれていたが、まさか本当にそう思っていたとは思わなかった。
桜も好きな色だっただけに、嬉しい。
「従騎士も、1人声を掛けてあります。早く行きましょう」
まるで自分の方が待ち切れないような顔をして、ヴィルヘルムが桜の手を引いた。
「ご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願いします」
気が引けてそう言うと、ヴィルヘルムが「ちっちっちっ」と桜の鼻先で人差し指を振った。
「違うでしょ。そこは、『すごく楽しみ‼︎』でしょ?」
優しく言われて、桜が破顔する。
「…すごく楽しみです。ありがとうございます」