1.帰還
「ただいまー‼︎」
元気いっぱいで嬉しそうな声に、カイは軽く目眩を覚えた。
「…お帰りなさい。師匠」
聖女が召喚されてから3日が経った。
今やアーダルベルトとのローテーションは淀み無く為され、1回だけ、深夜に王様が王太子の為にお手伝いに来て下さって…失敗した。
王太子が初めにやったように、聖女様の中で光魔法を爆発させてしまったのだ。
結果的に部屋中の魔素がねこそぎ無くなったのだから、悪い結果では無いのだが。
王様は、目を離すと死んでしまう聖女を大変心配されて、その後、王太子の仕事を多めに引き受けられるようになったと聞く。
「召喚は上手くいった? 可愛い子来た?」
にこにこと矢継ぎ早に質問を投げてくる上司に、力無く頷く。
「上手くは行きました。ただ、少し問題が…」
そこで初めて、ヴィルヘルムは可愛い部下の目の下にある色濃いクマに気がついた。
「おやぁ?」
色白なカイの両頬を、普段はあまり力仕事もせず外に出ない所為で細く色白な両手で挟み上げる。
「おやおやおや?」
無理に顔ごと持ち上げられて、カイは自分の頬を挟み込むヴィルヘルムの両手首を掴んだ。
「師匠、やめて下さい」
ただでさえ、睡眠の足りない頭で師匠へ上げる報告事項を、簡単に口頭で伝えるためにまとめなおそうとしていたのに。
しかし、カイの頬から手を離したヴィルヘルムは腰に左手を掛けて、「めっ」と、人差し指を顔の前に立てた。
「睡眠と食事は生きる上での基本だよ。キミは今からしっかり睡眠を取る事。明日まで此処には立ち入り禁止。寮にお帰り」
ぺいっと部屋から放り出されて、鞄もおまけとばかりに渡される。
ひらひらと手を振られて、カイは諦めの嘆息を吐いた。
聖女に関しての報告事項は、全てを日誌にも報告書にも、詳細に記載している。
出された書類は隅々まで見てくれる人だから、恐らく僕がこのまま寮に帰ったとしても、師匠に伝え漏れるような内容は無いだろう。
何より、師匠は僕を心配してくれている。
「…ありがとうございます。詳しい報告書は師匠の机の上にあります。師匠も、お疲れ様でした」
素直に頷くと、ヴィルヘルムは優しい手つきでカイの頭をぽんぽんとしてくれた。
「ごくろーさま。あとの事は私に任せてくれたら何も心配はいらないから、ゆっくりお休み」
師匠が、安心させるようににっこりと微笑む。
ぺこりと頭を下げて、カイは魔道士塔を後にした。
急に寮に帰る事にはなったが、今はアーダルベルトが交代でレヴィアスに付いてくれている。
師匠の帰城の報告はもう受けているだろうが、レヴィアスの交代要員ができた旨の報告に、直接伺いたかった。
聖女はサクラと名乗り、公式にはまだだが、国王とも内々には顔合わせを済ませ、レヴィアスやアーダルベルトや僕とも問題無く打ち解けているように見える。
『私を、もといた世界に帰すことは可能ですか?』
カツン、カツンと音を響かせながら、長い渡り廊下を歩く。
あの日も、聖女を横抱きに抱えたレヴィアスの後ろに付きつつ、この廊下を歩いた。
そして、それより前の、あの時も。
『キミは、聖女を召喚する事をどう思う?』
僕が魔道士の試験に受かって魔道士塔にて師匠に挨拶を済ませた後。
魔道士長である師匠が国王に謁見の予定があるからついでに顔合わせをしてしまおうと、僕を王宮に連れて行った。
初めて、王宮と魔道士塔を繋ぐこの渡り廊下を通りながら、師匠は僕にそう訊ねた。
その頃、既に魔物の横行は増えつつあり、聖女召喚は決定事項だった。
ー聖女様が来られたら、全ての難を取り除いて下さると聞いています。
魔物の横行を阻止する方法を持たないのですから、聖女様におすがりするしか無いのでは。
教えられてきた通りの答えに、(恐らくはその答えも予測出来ていたのだろうが)師匠は苦笑して、こう言った。
『キミが、突然違う世界に召喚されて、元々持っていたか、何だか知らない間に聖なる力とか持たされたりしたかは知らないが、知らない人々に囲まれて、「聖なる力を持ってるんだから、助けてくれて当然でしょ? 私達は困ってるんだから助けて」って言われたら、キミは助ける?』
言葉を失った僕に、師匠はさらにたたみかける。
『其処にはキミの両親もいない。友人もいない。知り合いは誰もいないんだ』
ただ1人、放り入れられた世界で。
『聖女を召喚するということは』
返りたくても帰れない。
『「そういうこと」じゃないかな?』
カツン、カツンと響かせた廊下の先に、黒い鎧を身に付けたガタイの良い男が立っている。
ーいつ見ても、羨ましい限りだ。
均等に振り分けた「魔素の濃度感知係り」だが、通常業務と合わせても、明らかにカイよりもアーダルベルトの方が元気にこなしていた。
ー日頃の鍛え方が違うのかな。
筋肉が綺麗についた体躯は立ち姿が美しい。
シルエットだけで誰だか分かるくらいだ。
「ヴィルヘルム殿が帰ってきたんだろ」
近づくと、笑顔で話しかけられる。
白い歯が眩しい。
「はい。レヴィアス殿下にその旨をお伝えしようかと。今後はレヴィアス殿下とヴィルヘルム様が…若しくは、もしかすれば、主にヴィルヘルム様が聖女様の魔素浄化の担当になるかと」
忙しい王太子殿下に、いつまでも聖女の世話はさせられない。
それに、恐らく師匠は…。
「それはどうかな。レヴィアス殿下は殊の外聖女様を気に入っておられるようだから」
アーダルベルトの言葉に、僕はびくりとその漆黒の瞳を見上げる。
「傍に置いておきたいと、殿下から国王に進言されることになるかもな」
『私を、もといた世界に帰すことは可能ですか?』
ー師匠は多分、聖女を元の世界に帰してあげたいと思っているだろう。
あの、僕が垣間見た、魔素の全くない、精霊の気配の無い世界へ。
聖女が…。
サクラが、いつでも、何処ででも、誰といてもいなくても。
何の心配も無く、深呼吸が出来る世界へ。