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異世界に召喚された聖女は呼吸すら奪われる  作者: 里尾るみ
第一章 召喚
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5.九条 桜


 父1人、子1人。

 それが、十数年前までの「我が家」だった。

 13年前、私がまだ4歳だった頃。

 父が事故で死に、私は1人になった。

 正確には、身内は他にも沢山いたが、家族と呼べる人は、その頃の私には父だけだった。

 

 厳格な祖父は大きなグループ会社を経営し、親戚の中で特に父を跡継ぎにと考えて教育していたようだったが、父が事故死した事を受けて、跡継ぎ教育を諦めたようだった。

 父が務めていた社長職と現行の会長職を兼務し、親戚の中から新しい社長を選ばなかったのだ。


「お前は、父の死を受け入れてはならない。あれは事故死などではない」

 祖父は、私と顔を合わせる度にそう言った。

 よほど、受け入れ難い事だったのだろう。


 我が家の運転手の運転する車で、とあるパーティーへ出席する為に移動していた春先の夜。

 私達の乗った車に、横から猛スピードで他の車が突っ込んで来たのだ。

 真横から追突された車は激しくガードレールに押し付けられ、運転手と父は車体に挟まれて動けなくなった。

 ぶつけて来た車もグシャリと潰れて、運転手はぴくりとも動かなかった。

 幸い、チャイルドシートの隙間から抜け出せた私は、父に車から離れるように言われた。

 私は幼い頃に母を亡くしたと聞かされており、顔も憶えてはいなかった。


 ただ1人、優しい父の側を、どうして離れられるだろうか。

 

 火がつくと危ないから、消防の方がくるまで離れておいで。

 大丈夫。

 きっと助かるから。


 父はそう言って、血だらけの大きな手で、私の頭をいつものように優しく撫でてくれた。


 大丈夫。

 ただ、帰るだけだよ。


 いい子だから、離れていなさい。

 離れるのは、少しの間だけだから。

 ほら。

 あそこの電柱まで離れて待ってて。


 そう言った父の言葉を信じて、私は、おずおず少しずつ離れて、車内から優しく私を見送る父を振り返った。


 ドンッ‼︎


 凄まじい衝撃と共に、一気に車が火に包まれた。

 熱風に吹き飛ばされて、私は背後の電柱にしたたかに頭と背中をぶつけた。

 ゴウッと鳴る音に、赤々と燃え盛る炎の中に。


 それでも、父の眼差しは優しかった。


 そんな筈は無いのに。

 炎に巻かれて、穏やかな優しい眼差しのままの筈は無いのに。


 私の記憶の中ではそれが、父の最後の姿で。



 知らず頬を伝う涙に、私は目を覚ました。


 温かく感じた涙の伝った後が頬にひやりとして、無意識に右手でごしごしと拭った。

 随分と昔の記憶を夢で見たようだ。


ーどうして、あんな昔の夢を見たのかしら。


 何気なく起き上がろうとして、左手が動かない事に気がつく。


ーん? 誰かの手? が? んん?


 温かい手の感触に、左手を見ると、蜂蜜色の美しいブロンドの頭が見えた。

 何故か、桜の左手を握り締めたまま眠っているようだ。

 綺麗な白肌に、桜色の頬の、王子様のような青年。


ー…。 まだ、私、夢の中?

 きっと、肌が白いから、血色が良く見えるのね。


 そして、その横には、椅子に座ったまま眠る黒髪の青年。

 かくんと垂れた頭が、寝苦しく無いのかと心配になる。

 膝には重そうな大きな書物を開いたままだ。


 黒髪の青年の着ている白く長い装束に何処となく既視感を覚えて、桜はあの一瞬の、しかし永遠にも感じた、肺を焼くような痛みと苦しさを思い出した。


ーそうだわ。私、あの時、息が出来なくなって…。


 無意識に、右手を喉に当てる。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って…。


ー今は、出来てるみたい。


 落ち着いて来ると、周囲の様子が視界に入ってきた。


ー…豪華‼︎ お爺様のおウチよりも煌びやかだわ。


 某グループ会社を経営、運営し統括する祖父の家は、それは広い敷地にどんと建てられたお屋敷であった。

 車止めのある正面玄関から外門までは見えない程距離があり、広い庭には、白い孔雀が闊歩していた。屋敷の中も、高い吹き抜けの天井。各階にはぐるりと引き回しバルコニーがあって、広いそこは屋根もあり、風通しも良かった事から、引き取られて後、ずっと私のお気に入りの遊び場だった。


 (おもむろ)に、ベッドの上に視線を移す。

 天蓋付きのベッドの、さらに上に見える高い白亜の天井。そこに美しいレリーフが彫られているのが、窓から入る朝陽にてらされた陰影にて(うかが)える。


ー天蓋付きのベッドの中で無ければ、もっとしっかりと天井のレリーフの模様を観察できるのにな。


 天井をもっと良く見ようと、何気無く身を右側に乗り出そうとした時。

 かちゃりっと、控えめな音を立てて、部屋の大きく艶やかなドアが外開きに開いた。

 と、素早く、音を立てない様に閉められ、全身艶やかな漆黒の鎧に包まれた、大柄な男性が1人、入って来た。

 男は、桜と目が合うと、にこりと微笑んだ。

「お目覚めでしたか、聖女様」

 小さな声は、明らかに眠っている2人を慮っての事だろう。


ー悪い人では無さそう。


 考えて、桜も微笑んだ。

 静かに歩み寄って来た男は、極力音を立てない様にベッドの横に跪いて、桜の右手を優しく取った。

「アーダルベルト・フォン・フリードリヒ。

魔法騎士団の団長をしております。以後、お見知り置きを」

 丁寧過ぎる挨拶に、桜は戸惑いながら、取られた右手の形を握手に変える。

「九条桜と申します。こちらこそ、宜しくお願いします」

 ぎゅっぎゅっと握手で握られて、一瞬驚いた顔をした黒髪の美丈夫は、次の瞬間には愉しそうな笑みを浮かべた。

「今は大丈夫だとは思いますが…。息苦しくは無いですか?」

 尋ねられて、桜はふるふると左右に首を振った。

「? 大丈夫です。あの…。こちらの方々は」

 左手を掴んだまま離さないハニーブロンドの王子様風男子と、その横に座ったまま眠る線の細い青年に目をやると、アーダルベルトは優しげに漆黒の瞳を細めた。

「出来ればそのままで。寝かせておいて頂けると助かります。とても疲れているでしょうし。まだ暫くは、聖女様も大丈夫でしょう」

 何が大丈夫なのかは分からなかったが、それ以上は何も言わないので、桜も黙って頷く。

 それにしても。

 当たり前の事のようでかえって尋ねづらいのだが。

「此処は何処なのでしょう?」

 思い切って、尋ねてみた。

 質問を反復するように小さく頷きながら腕を組んだアーダルベルトは、黙って暫く桜を見つめると、今度は申し訳なさそうに微笑んだ。

「言いづらい事ですが、その答えを聖女様に伝えるのに、私は相応しく無い様に思われます。其方で眠っておられる、2人…カイ殿、白い魔導士服を来た者か、もう1人の目が覚めたら、聞いて頂きたいのです」


ーあの人はカイと言うのね。


 未だ首をかくんとさせながらすやすやと眠っている黒髪の青年をチラリと見た。


ーセイジョサマ? て、何だろう?


 疑問もあったが、今はとりあえず棚上げしておく事にした。


「わかりました」

「申し訳ありません」

 謝られて、慌てた。

「私こそ、すみません」

「こちらこそ」

 ごちんっ。

 頭がぶつかった痛みで、思わず両手を頭に当てた。

「ふっ」

「ふふっ」

 寝ている2人を起こすまいと声を落として会話をしていたが、思わず洩れた笑い声も、お互いが口に手を当てて音が出ないようにした様子が可笑しくて、笑いが止まらなくなってしまった。

 握り締めていた手が無くなった所為か、眠そうな(まなこ)のまま、王子様風男子がむくりと起き上がった。

 薄く開いた瞳の濃いスカイブルーの色が美しい。

「おはようございます。殿下」

 さらりと微笑みながら挨拶を口にしたアーダルベルトに高速で向き直り、桜はあわあわと言葉を失う。

「でん…?」

「はい。こちらのお方は、ここ、シシリー王国の王太子、レヴィアス殿下です」

 身近では聞き慣れない言葉のオンパレードに、桜は慌てて思い返す。


ーそう言えば、アーダルベルトさんも、あまりの美丈夫で似合い過ぎてるから気にならなかったけど、なんだか鎧みたいなのを身に付けてるし、なんだかさっきは『マホウキシダンのダンチョウ』をしてるとか…。


×『マホウキシダン』→◯『魔法騎士団』

×『ダンチョウ』→◯『団長』

×『セイジョサマ』→? 棚上げ続行


 さぁっと、血の気が引く音がする。


×『デンカ』→◯『殿下』

×『オウタイシ』→◯『王太子』→『王子様?』


 変換終了。


「って、王子様⁈」

 思わず上げた声に、にこりと微笑んだ王子様が桜に右手を出してきた。

「シシリー王国第1王子、レヴィアス・フォン・ドゥ・シシリーだ。宜しくたのむ」

 握手だと思って出した手は、先程のアーダルベルトのように、ついと取られて、口付けられた。

 

ーひゃっ柔らかい‼︎ くっくっっ唇が⁈ あったかいし‼︎ 何よりリアル王子様⁈ 笑顔が眩しすぎる…‼︎


「わわわっ‼︎ 私は、九条桜と申します‼︎ こちらこそ、宜しくお願い致します‼︎」

「うむ」

 満足気な王子の後ろから、すっと、控えめな手が差し出された。

「私は、カイ・リシュー。王宮の魔道士をしています。以後お見知り置きを」

 カイと名乗ったのは、先程まで椅子に寄り掛かって、膝の上に大きな本を開いたままにして首がカクンとしていた、線の細い…。 

「…宜しくお願いします」

 さらりとした艶やかな黒髪に、漆黒の瞳に、あまり日に当たらないのか、白い肌。


ー寝てる時から整った顔立ちだとは思っていたけれど、洩れなくカイさんも美青年だわ…。


 あまり見慣れない美青年・美丈夫の連続投入に、桜は少々食傷気味である。

 差し出された手に左手を取られて、キスをするように近づくが、カイは桜の手の甲にキスはしなかった。


 無意識に、手を握手の形にして、にぎにぎと握手をする。

「…あっ。あの…?」

 戸惑ったようなカイの声に、桜ははっと握手したままの手を見た。

「あの‼︎ 九条桜と申します‼︎ 宜しくお願いします‼︎」

 恥ずかしくて、慌ててぺこりと頭を下げた。

「良いな。私も握手がしたい」

 カイと握っていた手を取り返して、レヴィアス殿下が改めて握手してくる。

「ところで、名前はクジョーサ…クラ? 家名はあるのか? 何処で切る?」

 殿下の質問に、握手している手を知らず強く握った。

「桜と。サクラと呼んで下さい」

 レヴィアス殿下の顔が少し赤くなったような気がした。

「…わかった。では、サクラ。何故お前が此処に連れてこられたか、これから我々がお前にどうして欲しいか。そして、お前がその事についてどうしたいか。お前の今置かれた状況を出来うる限り丁寧に説明しよう」


 一瞬にして、部屋の中の空気がピリッとしたのを感じた。


ー望むと望まぬとに拘らず、私はもう帰れない場所に来てしまっている。


 その事だけは、改めて説明を受けずとも分かっていた。

 あの魔法陣の様な紋様の上に立っていた記憶が正しいなら、私は、何かの力によって『此処』に『連れて来られた者』なのではないかと、考えていたからだ。

 アーダルベルトが「大丈夫か」「まだ大丈夫だろう」と確認するのは、あの時出来なかった呼吸の事で間違いは無いだろうし、あんなに苦しかった記憶は、残念ながら無かったこととして夢だったなどと考えられない。

 あの時は出来なかった呼吸が今は問題無く出来ているようなのは、方法は分からないが、恐らく此処で私のそばに居てくれた、そして来てくれた彼らのお陰に違いない。


『セイジョサマ』が、『聖女様』であったなら。


ーこんな事なら、もっとお友達のお話を聞いて、『ラノベ』と言うものを読んでおけば良かったわ。


 財閥の令嬢であった為に、通っていた私立高校の中での友好関係も限られていた上、脇目も振らず勉学に勤しんでいた桜には、あまり友人がいなかった。

 近くの席で盛り上がる女の子達の話しを溢れ聞くのがせいぜいだったが、確か『ラノベ』という本の中に『聖女』が出てきていた様な気がする。


ー耳にしたお話を家に帰って調べたりもしたけれど、『聖女』=『神の恩寵を受けて奇跡を成し遂げた、若しくは社会的弱者に対して大きく貢献した女性の事』とか、すべて「過去形」なのよね。

 何も成し遂げていない私を初めから『聖女』と呼ぶのは…。


 聖女召喚。


 やはり、クラスメイト達が盛り上がっていた『ラノベ』とやらの方が、しっくりくるのである。

 あまり詳しくない情報を漁って、桜は嘆息を吐く。


ー連れてこられた感、満載だったし。


 学園の下校時刻。

 校門前に待つ、お爺様が毎日寄越してくれている我が家の送迎車に向かう途中。

 いつもは寄り道しないのに、その日、私は校庭で子猫の鳴き声を聞いた。

 ふらふらと、鳴き声の主を探して校庭内の菜園の方へ向かう途中、一瞬にして視界が変わったのだ。


 未だ身に付けている紺色の制服が、元々は学園内を歩いていた事を雄弁に物語っている。

 濃紺の縦詰襟のブレザーに、白いブラウスと濃紺の膝下丈のワンピース、白いブラウスの襟元には紅く細いリボンが結ばれている。

 ブレザーの左肩には、学園の校章のエンブレムもある。


ー亡くなったお父様も通った学園だとお爺様に聞いて、どうしても首席で卒業したかったのだけれど。


 そっと、エンブレムに右手を添える。


ーお爺様、きっと心配しているわね。


 簡単には帰れないだろう事を予測していても、こう訊ねずにはいられない。


「私を、もといた世界に帰すことは可能ですか?」

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