6.見届けた者
「じゃあ、私が先に死んだら、私を食べて」
あれが、魔物にとっては熱烈な愛の告白であると、お前は知っていただろうか。
亡くなる時も、お前は私に自分を食べろと言った。
髪の一本も、爪の一片も残さずに、全て食べてくれと。
きらりと光る鎖の先に巻き付く、金色の髪の一房。
「喰らう事による一体感だけでなく、寄り添い続ける感覚を、お前は私に教えてくれたな」
ふっと、金色の髪を握り締める。
もう、今はどこにもいないあの娘。
娘は、最後まで名を名乗らなかった。
「名前は無いから、付けて欲しい」
人間として両親と暮らしていて、名前が無いなんて事があり得ないことくらい、私でもわかる。
だが、煩わしい事が嫌いだった私は、それ以上名前について聴くことはなかった。
そう言えば、お前の叔父にあたる神に会ったよ。
お前が亡くなってから実にニ千年も経ってから、お前がいた事とお前の死を、知ったらしい。
女神の子ならもっと長く生きると思っていたと。
会えなかった事と、知らなかった事を悔やんでいた。
だが、私だってお前はもう少しは長生きすると思っていたよ。
彼と会ったのは、孫を迎えに行った時と『儀』の時と桜の結婚式の3回だけだ。
そう言えば、『儀』の時に少し話したが、悪い奴では無かった。
ただ、聖女をシシリーの城に送り込んだ人数については、1人合わなかった。
お前も会ったあの1人目の聖女を、神は知らないと言う。
自らを聖女といったあの娘は、一体誰の指示で、何処から来たのだろう?
そう言えば、桜とシシリーの結婚式は盛大だったぞ。
元々聖獣は聖女を大切な存在だと感じるらしいが、それを差し引いても、シシリーは桜にぞっこんの様だった。
桜が自分以外の男を見る事を許さない勢いで抱き締めていた。
式の間、数えていたが回数は……両手でも足りない程だった。
その後、桜は双子の男の子と女の子を産んだ。
双子を育てるのは大変で、紫苑が喜んでお世話の手伝いをしていたよ。
2人のステイタスは槐が確認していたが、「聖女」だとか「魔王」といったような大変なモノは、特には無かったらしい。
紫苑はあの『儀』の後、20年程生命を繋いだ。
私からしたら僅かな時間だったが、桜やウォルディアスや槐と過ごせて幸せだったと。
紫苑との繋がりがなくなっても、桜はシシリーとの繋がりを解かなかった。
どれだけの長さを生きる事が出来るかは分からなかったが、同じ時を生きたかったらしい。
シシリーも承知で繋がり続け、それから300年程を共に生き、共に亡くなった。
ウォルディアスは紫苑の亡骸を食べた。
桜の亡骸は、私とウォルディアスと槐が髪や爪先などを少しずつ食べ、後はシシリーと一緒に葬った。
シシリーの王国は、桜とシシリーの子供の子供のそのまた子供達と、何代も続いて栄え、今もセクドルや他の国と共に繁栄している。
そう言えば、聖女はあれから来なくなった。
『壁』があったからこその、聖女需要だったのか。
『壁』は、もう失くなったよ。
私は聖女達のように『壁』を補修したりはしない。
繋がりはしたが、ただゆるゆると『壁』が朽ちていくのを、ただそのまま見守るだけだ。
『壁』は、あれから200年もせずに無くなったが、その間にシシリーやセクドルが率先して人型の魔物や魔力の強い人間達を集めて、世界中に獣型の魔物から人間を守るギルドという組織を作ったらしい。
悪さをする魔物は駆除の対象になるらしいが。
ここまで滞りなく人間に受け入れられるとは。
神々も、時折り手を貸すらしい。
私も、たまにシシリー王国に顔を出すよ。
だが、もう聖獣の特徴を持った子は生まれていない。
次は、黒髪に紫紺の瞳の王子が王太子になるらしい。
ルドヴィアが亡くなって、レヴィアスが亡くなって……。
もう、シシリーの、何代の王を見送っただろう。
『大丈夫よ。人間も魔族を食べるから』
ふっと、あれの言葉が甦った。
あれから何年経っただろう。
孫の槐が魔王を継ぎ、その息子が継ぎ…。
数えるのが煩わしくなり、辞めて久しい。
魔物と人間との交わりも深く、私の様な純粋な魔物はもう存在さえしない。
髪はすっかり白くなり、肌の皺も深くなった。
魔物も、老いるのだな。
力の差により寿命も違う為、私と同じ時を歩むモノはいなかった。
たぶん、もう、終わるのだ。
やっと来た最後の時に、私は歓喜している。
あの娘のいない時間が、やっと終わるのだ。
私は、力の入りにくくなった指と腕を動かし、胸元に大事に下げていた金色の髪の房を取り出した。
すっかり艶を無くした髪は、その本数をかつて残した時よりも減らしていた。
あまりに寂しくなった時に、食べてしまったからな。
ふふっと、誰にも聞こえぬ空間で小さく笑い、房を握り締め、そして口に入れた。
『やっとこちらに来るのね』
魔王に似つかわしく無い金の光に包まれながら、懐かしい声を聞く。
「お前に沢山の土産話をと思い、少し長居しすぎたらしい」
うっすらと目を開くと、目の前には出会った頃と全く変わらない姿の、あの娘がいた。
『残らず食べてくれたのね』
ああ。だから、死しても一緒にいれる。
「食べるごとに、お前の存在が私の中で大きくなることがわかった」
『そうやって、人間も魔物を食べるのよ。食べ方が違うだけ』
「そうか」
光が強くなる。
もう周囲は何も見えない。
「私はね。お前を食べながら、初めて泣いたよ。後にも先にも、あの時だけだ」
娘に頭を抱き抱えられ、暖かさを感じながら、目を閉じる。
『知ってる』
あの時の貴方の涙、とても暖かったよ。
魔王の城を包んだ金色の強い光がうっすらと消えていき、完全に無くなった時、地上に最後の1人として残っていた純血の魔王は、もう何処にも存在しなかった。
※※※
「上手く混ざったわね」
混沌とした世界の中央にある世界で、宙に浮かんだ球体に映し出された世界を見つめつつ、女が呟いた。
「素材から混ぜ合わせて丁度中程の能力に落ち着かせるのは難しいよね」
傍に立つ男が右手を上げて球体に翳すと、球体に映される景色が姿を変えた。
「B班は失敗したんでしょ?」
「凄かったわよ。神と魔物が戦いを始めたかと思ったら、一瞬で星ごと破壊してたわ」
「D班は、初めの時点で病原菌に人間を全て抹殺されてアウトだし」
「神と魔物だけ混ぜ合わせても駄目だしね」
健康的に微笑む人々が映し出され、男は安堵の息をもらす。
神・人間・魔物を混ぜ合わせて、30年くらいだった人間の寿命は90年くらいには伸ばせた。
途中、『聖女』というカンフル剤を投与することにはなったが、何とか、目を離しても勝手に発展出来そうな域までは育成できた。
「次の指示も来てるの?」
女に、男は微笑みながら頷く。
「次は獣人がいる世界を作れって」
こたえに、女が驚いた様に目を大きくした。
「レベル高っか‼︎ 混ぜるの大変じゃない?」
「君のところには負けるよ。悪意と嫉妬も存分に盛り込んだ人間達の育成でしょ? ウチはまだ比較的善意だけで育成任されてるからマシな方だよ。悪さする子も少ないし」
「そう? 私は『欲』モリモリに盛り込んで育成するの、結構好きよ?」
人には得手不得手がある。
「さすがだね。僕はこの先どう仕上げるかを先生に聞いてくるよ」
「うん。私もいま育成してるの、行き詰まってるから先生に質問したい。一緒に行こう?」
「わかった。ノート取ってくる」
「ね。あなたのところにいた初代魔王」
「?」
「次の育成でも使うの? 魂、確保済みよね?」
女の質問に、男は首を振る。
「あの子は暫くはお休みだよ。今、皆んなと再会中だから」
「みんな?」
女が首を傾げると、男はふふっと笑った。
「そう。みんな」