3.愛のカタチ
明るい陽の光が降り注ぐ神殿の庭を見つめつつ、ユリシズはぼんやりと先日まで自分の神殿にいた少女について思い出していた。
その朱金の瞳以外には、妹の面影は見出せなかったけれど、確かに美しい瞳の色は、自分の瞳の色と……否、かつて傍にいた妹の瞳の色とそっくりであった。
ーーレトビアの忠告が無ければ気が付かぬとは、なんと私は鈍いのだろう。
ここ数日の人間の国の神殿を巡って受けた報告に寄れば、今回の『儀』では、討伐隊は組まないというものだった。
向こうの神殿はかなり憤っているようだ。
ーー恐らくは、知能を持たない魔物が襲って来た場合には、上位の魔物を対峙させる算段なのだろう。
魔物の対応は、魔物に。
今回は魔王の身内だから、配下の魔物に人間を守らせるのだろう。
ーーそれが、人間達に魔物の生態を知らせる良い機会になると言うわけか。
『壁』は、人間達が想像もつかない程長い間、人間達を守って来た。
神殿は、昔は『壁』が無く神々と人間と魔物と聖獣は一緒に暮らしていたとは語るだろうが、『壁』が無い世界など今の人間達には想像すら難しいだろう。
ーー神からも、『壁』を無くす方向へ支持を出すのが良かろう。
母親を殺す選択肢があり得ない今、『壁』の維持は出来ない。
ーーあの男……初代魔王が動くなら、『壁』に繋がった現聖女を助ける方法もあるかも知れない。
初代魔王と再び会えるなら、ユリシズには聞きたい事があった。
妹女神の子がどのような子だったか、とか。
名は、何と言ったのか、とか。
何故、姪は『壁』を作るに至ったのか、とか。
どうやって1番始めの聖女を見つけたのか、とか。
何故、聖女なら『壁』を守れると思ったのか……とか。
そういえば、と、ユリシズは考える。
初代魔王の名前すら、私は知らなかったと。
※※※
今回討伐隊を組まない旨は各国に伝え、『儀』まで留まる予定にしていた使者や聖女達は帰国の途についた。
『儀』に際して、聖女は勿論『壁』を再生維持するのだろうなと確認してきた輩もいたが、その決定は魔王と聖女と神が顔を突き合わせて決める内容なので未定だと答えた。
今、城にサクラはいない。
『儀』の後の報告用のサクラの衣装は、改めて作り直しになった。
神に連れて行かれた後、帰って来た時には違う服で帰って来たからだ。
採寸は済んでいるので、サクラは居なくても祭服の作り直しに支障はない。
ヴィルヘルムが居ない間はカイがその役割を果たしていたが、一週間の休暇の後、彼は何事もなかった様にまた仕事に復帰している。
何かしら思うところがあったのだとは思うが、こちらから訊かなければ、何も言うつもりは無いようだ。
「そう言えば」
アーダルベルトがベリア嬢から受け取ったお茶のセットの乗ったトレイをテーブルに置きながら、思い出したように言う。
「今回此方へ来られたセクドル王国の聖女様は、帰国後、聖女を辞められたそうですね」
何処から情報かは知らないが、耳が早い。
「……そのようだな。サクラ誘拐未遂も限りなく黒に近いグレーの共犯者だったようだが」
あの日、サクラを狙って俺の部屋に押し入ったのはセクドルやウチとは違う他国の間者だった。
リーファが披露目の間は収納魔法で預かっていてくれていたが、披露目の日の騒動が落ち着いた後で、俺に引き渡してくれた。
あいつは、飄々とした態度や王子様然とした見た目に反して本当は穏やかじゃ無い。
間者達は地獄を見ただろう。
だが、セクドルの聖女引退に関しては、サクラの誘拐未遂が原因では無いらしい。
リーファが言うには、彼女には魔物の恋人がいるらしい。
国に帰って話を聞いたところ(恐らくは取り調べみたいなモノだったのだろうが)、リュイ侯爵家の思惑が『壁』を無くす事で、自分も恋人の傍にいるために『壁』が邪魔だった為、力を貸したと。
実際は、言う程協力する機会は無かったようだ。
神が聖女を連れて行ったなら、もう出来ることは無いので。
あっさりと白状したのは、もう聖女として神殿にいる事に意味を見出せなくなったからだと言っていたそうだ。
サクラ誘拐未遂の疑いをかけられたのを良い機会と、神殿から追い出されるように自ら仕向けたらしい。
「人生は短いわ。でも、人生は過ごす時間そのものだから」
だから、無駄な時間は一切過ごしたく無いし、愛する魔物の傍にいたい。
ーー俺だって、出来ることならそうしたい。
サクラに、プロポーズした。
だが、照れ臭過ぎて、『壁』に繋がらないための口実の一つにでもと言ってしまった。
ーーサクラ、どう思っただろう。
自分のヘタレ具合に頭が痛くなる。
先祖返りとは言われている。
力は父よりあるだろうが、短くなった寿命は長くはならない。
サクラの言う通り……俺は、サクラを置いて逝く事になるだろう。
だが、たとえそうであったとしても、何もせずに諦める事は出来なかった。
小さな仕草の一つ一つに、何気無い表情や声掛けに、胸が高鳴るのを抑えきれない。
好きだと言う感情を、何も言わずに無かった事には出来なかったのだ。
だが、生きる時間の長さが違う事も、恐らくはそうなのだ。
ーー言うだけは言えた。
あまり真剣に告白して、サクラを追い込んではいけない。
生きる時間の長さで考えるなら、サクラは、サクラの父と母のように魔物と結ばれるとか、3代目の聖女のように神と結ばれるのが現実的なのだ。
もし『壁』を維持しなくなるなら、シシリー王家の存在意義も、大半が失われる事になる。
聖女が召喚されることも無くなるかも知れない。
ーー見えざる意思の思惑に何処まで沿っているかは分からないが。
俺が直ちに跡継ぎを作らなくても良くなる訳では無いだろうが、いずれはそうなるかもしれない。
聖獣は、聖女の為に存在してきたのだから。
ーー俺は、幸せ者だ。
聖獣として、聖女の傍にいれたのだから。
もし、俺が誰か人間の令嬢と結婚して子をなしても、その子には聖女はいない。
父や祖父や、その前のシシリー王家を支えて来た王達の殆どに聖女がいなかったように。
そして、これから先に王になる予定の子孫達にも。
『壁』が無くなれば、恐らく役割が無くなるのだから、聖女はもう来ない可能性が高い。
「お茶が冷めてしまいますよ」
アーダルベルトが勧めてくれるお茶を、一口のむ。
「『儀』が済んだら、婚約について前向きに検討するかな」
突然の発言に、アーダルベルトが驚きを隠せないように漆黒の瞳を大きくした。
「突然ですね。サクラ様にプロポーズされたのでは?」
「だから、お前、その早耳は誰から情報だよ」
なんでお前が知ってるんだ。
「それ、情報源が殿下に怒られるなら、秘密です」
にっこりと笑って茶菓子を勧めてくる。
「お前を見てたら羨ましくなったからだよ」
アーダルベルトは、最近ベリア嬢と婚約した。
黒髪と漆黒の瞳が魔物の血が色濃く出ているだけらしいとカイから聞いて、黒色に拘らずに周囲を見渡して考えたところ、ベリア嬢が1番身近にいて誰よりも長い付き合いでお互いを理解出来ていると気が付いたらしい。
いつも助けられていて、優しく頭も回転が良く、笑顔が可愛らしく……とにかく、1番自分が気を許していた女性だと。
「恐縮です」
嬉しそうに微笑む魔法騎士団長に、俺も嬉しくなる。
ベリア嬢は、俺が物心つく頃から世話になってきた。
信頼しているこの2人なら、安心して見守れる。
「お祝いは後日改めて贈らせてもらう」
「恐れいります」
『儀』まで、もう日が無い。
サクラの母親……現聖女は、一度くらいは目を覚ましたのだろうか。
サクラは、恐らくもう城には来ない。
会えるとしたら、『儀』の時、始まりの地で、が、最後になるかも知れない。
母親と繋がり、その生命をながらえることがサクラの望みならば。
その望みを応援する事が、俺に出来る唯一の事だろう。