7.『壁』からの解放への道
一頻り泣いた桜を促して、カイと祖父は、最近ウォルディアスが一日の殆どを過ごす、紫苑の眠る部屋へと向かった。
「入るぞ」
返事も聞かず、祖父はがちゃりと扉を開けた。
部屋の奥の大きなベッドに眠る黒髪の女性と、その手を握っているウォルディアス。
ーー披露目で、カイと話していた人だわ。
祖父の後ろについて部屋に入りながら、桜はその姿に見覚えがある事に気が付いた。
長い黒髪をゆるく編み、肩から垂らしている。
ーーこの流れだと、お父さんの筈…よね?
4歳の時に亡くなった父は、普通の日本人らしい短髪の黒髪を清潔感のある形でセットし、いつもカッコ良く三揃いのスーツを身に付けていた。
服装が違う事も大きいが。
ーーお爺様もそうだけど、見た目年齢層が違うのよね。
それに、顔も…。
4歳の頃の記憶だからと考えれば、多少は違っても仕方ないと思うが、比較的最近別れた祖父と再開しても、道ですれ違ったとしても見た目では絶対気が付かないと自信を持って言える程、違うのだ。
ーー此方の姿が本当の姿なのね。
「桜か」
立ち上がって、静かに歩み寄ってくる。
ーーあっ……。
泣きそうな表情で微笑む父に、桜は胸の奥に何とも言えない懐かしさを感じた。
胸の中の何かをぎゅっと引き絞られているような……。
「お父様」
ウォルディアスは無言で両手を広げ、桜を抱き寄せた。
「長い間、寂しい思いをさせてすまなかった」
しっかりとした力強い腕に抱き締められて、桜は安堵に目を瞑る。
「この方が、お母様ですか?」
ベッドに横たわる女性へ視線を移す。
ウォルディアスは桜の手に女性の手を握らせた。
「ああ。名は紫苑だ」
優しげな父の眼差しに、父は本当に母の事が好きなのだなと思った。
「私や槐の名前は、母が?」
問い掛けに、父は桜の顔を見つめて微笑んだ。
「……そうだ。どちらも花の名からだ」
母の手を握ったままベッドサイドの椅子に座り、桜は父親に向き直った。
「お父様がお元気そうでよかったです。私達がこのような生い立ちになったのには何か理由があるのでしょう?」
問い掛けに、微笑みが寂しげに姿を変える。
「本当にすまなかった」
「お父様。謝って欲しいのでは無いのです。『儀』まであまり時間がありません。何故今の現状があるのかその理由と、お父様は『儀』をどうしたいのか。そして、お爺様や槐がどのような未来を思い描いているのか。私が人間代表としてどうすべきなのか。教えて頂きたい事と、話し合いたい事が沢山あるのです。その中で、私が望むことは1つです」
真剣な桜の眼差しが、鋭く金に光る。
「人間も、魔物も、神も、皆が『儀』による聖女の犠牲を正確に知り、『壁』を維持しない事に納得する事です」
ぴくりと、母の手が動いた様な気がして、桜は眠り続ける母を見た。
ーー気のせい……?
静かに眠り続ける母を少し見つめて、桜は顔を上げる。
「勿論、お爺様1人が悪者になるような計画も却下です」
「なに?」
驚いたように声を上げたのは、勿論祖父だ。
「誰もが納得する形で、『壁』の再生維持を放棄し、母の生命を繋ぐ方法を考えるのです」
ーーそれは、確かにそうなれば良いと思う。
槐は、強い光を宿す桜の朱金の瞳を見つめた。
ーーだが、今まで『壁』に頼り切ってきた人々が。魔物に恐怖する人々が、そう簡単に『壁』を手放すだろうか?
「槐。ここにレヴィアス殿下を呼ぶ事は出来ませんか?」
「殿下を?」
「相談に乗って欲しい事があるのです。ですが、私は一度城に戻れば、恐らく『儀』までは人々の手前、あまり此処には来れなくなってしまうのではと。今暫くは、まだ神の元に連れて行かれている事にしておきたいのです」
『儀』で、『壁』の維持を拒否する理由を、魔物に唆されたからだと言わせない為に。
「私が魔王と聖女の娘だと言う事は、公にするべきだと思います。それは、自分の親を殺したく無いからこそ、『壁』には繋がる事は出来ないという、正当な主張になるでしょうから。ただ、それを公にするまでは、まだ私は魔物の国に長い期間いてはいけない立場だと思っています」
悪戯に人々に魔物への猜疑心を植え付けたくは無い。
「だが、人々は魔物が人の亡骸を喰う事に嫌悪を示す。魔物もまた、愛する者の亡骸を喰らう時、自らの愛した者の家族に恨まれる事は望まない」
「もし、お母様が亡くなって、お父様がお母様を食べたとしても、私はお父様を嫌いにはならないし、愛しているからだと理解できます。何故でしょう?」
桜はにこりと父の顔を見た。
「私が、お父様の為人を知っているからです。魔物は、生涯に、血の繋がらない愛する人を1人だけしか食べない事を知っているからです。恐らくは、お母様も、お父様に食べられたいと思っている事を、知っているからです」
驚いた様に、朱金の双眸を見開き、二代目魔王…桜の父は桜を見つめた。
「亡くなった後、また死んだ後も一緒にいる為に愛する人を食べたい、又は愛する人に食べられたいと願う事は、よっぽど人間らしく、魔物らしい…自らの願いに忠実だと思うのは、私だけでしょうか?」
ぎゅっと、眠り続けるあたたかな母の手を握る。
「皆、知らないから恐れるのです。獣型の魔物が人々を襲わないように人型で力のある魔物が人間を護る立場になれば良いのです。魔物は、特殊な事情が無ければ人を食べないと、理解できれば良い。私の知る限り、神も魔物も、みんな人間を大切に思ってくれています。その思い遣りのために出来た『壁』が、誰かの犠牲の上に成り立っていたと知れば」
それでも、人々は『壁』を望むでしょうか?