6.全てが繋がる時
「カイ‼︎」
漆黒の石造りの長い廊下の向こうから、聞き慣れた……それでいて最近は久しく聞いていなかった声を聞いて、カイは信じられない面持ちで顔を上げた。
「…サクラ‼︎」
駆け寄ってきた桜を両手を広げて抱き留める。
「久しぶりね。披露目までの間、あまりお城に居なくて会えなかったもの。お爺様のお城に来ていたのね…。あら?」
そこまで言って、桜は幾分高い位置にあるカイの顔を両手で挟んだ。
「カイの瞳、私と同じ色になってる」
あわてるカイに構わず、桜はじっくりと朱金の双眸を覗き込んだ。
「サクラ‼︎ 近いよ‼︎」
自らの両頬を挟む桜の細い両手首を掴んで、力尽くで引き剥がす。
「お爺様って何? ここは父さんと母さんがいる城だけど」
「カイのご両親?」
「? まだ何も聞いてない感じ…だな?」
話が噛み合わない2人は、言葉を止めてお互いに目を合わせた。
「サクラの瞳も金色になってる」
「いつの間にかなっていたの。神の国に行ったから?」
桜の、よく理解出来ていない様子に、カイは思いを巡らせた。
ーーサクラは、瞳の色が金色になったタイミングしか分かっていない。つまりは、多分力が解放されて、今は魔法が使える状態であることも、分かってないんだ。
「サクラ、此処へはどうやって来たの?」
さり気なく、話を逸らす。
「お爺様に連れて来てもらったの。カイにはお爺様のお話はしたわよね?」
少し興奮気味のサクラは珍しい。
確か、向こうの「ニホン」という国で4歳の時に父親を亡くして、その後17歳まで大切に育ててくれたという……。
そこで、カイは「まてよ?」と思う。
ーー確か、父さんは俺とサクラは双子だと言った。なら、サクラの言うお爺様は……。
父さんの前の魔王ということにならないか?
「今、サクラのお爺様は……」
「お前のお爺様でもあるがな」
真後ろに現れた漆黒の髪と瞳の美丈夫に、カイは息を呑んで振り返った。
「随分と回りくどい話し方だな。桜。槐はお前の双子の兄だ」
「は?」
「待って……」
「あと、お前の父も生きている」
「ええ⁈」
「おい…⁈」
「ほぼ寝ているが、お前の母親も生きているぞ」
「??⁈」
「じいさん‼︎!」
「三代目のひよっこの癖に生意気な。お爺様と呼べ」
がっと、大きな片手でカイの頭を押さえつけた。
「初対面でオジイサマは言い難い」
「私の知ったことでは無い」
「あれ? 何だかお二人とも仲が良いですね?」
いつの間に?
笑顔で首を傾げる桜に、魔王もにっこりと振り返る。
「血の繋がりがあるのだから、遠慮する事はない。今言ったことも冗談では無いぞ」
桜の顔から、するりと表情が抜け落ちた。
少し考えるように俯く。
桜の纏う空気が一瞬にして変わった様な気がして、カイは黙った。
「…カイは…、カイは、本当に私の兄なのですか?」
少し、声が震えているようだ。
「そうだ」
細い両手を胸の前で組み、桜は魔王を…自らの祖父を見上げた。
「お父様も、生きていらっしゃるのですか?」
カイは、はっと桜の顔を見た。
桜の朱金の瞳には、涙が浮かんでいる。
「ああ。生きている」
静かに桜を見下ろす魔王の瞳には、優しい光が溢れている。
「お母様も……?」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を拭いもせずに、桜は魔王を見つめ続けた。
「……辛うじてな」
ぐっ…と、カイが苦し気に表情を歪め、顔を逸らした。
カイがこの城に来てから、まだ一度も母紫苑は目を覚ましてはいない。
たまに目を覚ましていたと聞いているが、年々目が覚める時は減って来ているらしい。
ーー何よりも……。
『壁』について、サクラは何処まで知っているのか。
「時が惜しいので、簡潔に言うが、お前の母は現在『壁』に繋がっている聖女だ」
カイは、驚いて涼し気な顔をした魔王を見上げた。
「『儀』まで、あまり時が無い。悩む時間を作るには、その課題を先に提示せねばなるまい。桜は、現在の聖女に会いたいと言ったな?」
冷静な魔王…祖父の言葉に、桜は掌や甲をごしごしと顔に擦り付けて素早く涙を拭いた。
「はい。私が聖女として『壁』に繋がった後、現在繋がっている聖女様がどうなるのかを知りたいのです。他にも、何故壁の再生に諾と思われたのかお聞きしたくて」
少し赤くなった目や頬が痛々しい。
だが、涙を堪えて次に進もうとしている。
一瞬眉根を寄せて、祖父は口元を片手で覆うとその手を離した。
「新しい聖女が『壁』に繋がれば、前聖女は『壁』から切り離され、死に至る」
ーー無能な神だ。
何故そんな肝心な事をまだ桜に伝えていないのだ。
桜の傍にいた神の姿を思い出しながら、魔王は不快気に顔を顰めた。
そして、ふっと、その瞳の色を思い出した。
「……私が『壁』に繋がったら、現在の聖女様は……母は、死ぬのですね?」
はたと、その成長を見続けていた娘の、あまりにも頼りない声に、その顔を凝視した。
否、正確には、その朱金の瞳を。
ーーまさか。あの男。
「そうだ。だから、私は是非、桜には『壁』の再生維持はしないと言って欲しい」
ーー言わなかったのでは無く、言えなかったのか。
桜の金色に輝く瞳には、今までに無いほどの動揺が浮かんでいる。
「そんな事が、可能なのですか?」
桜は、それでも涙を堪えて祖父の静かな漆黒の瞳を見つめ続けた。
まだ見ぬ母であっても、大切な人である事に変わりはない。
写真一つ無かった母の姿を、何度想像しただろう。
「もしお前が再生はせず、『壁』には繋がらないと言えば、私はその後の後始末の全てを引き受けてやると誓おう」
「お爺様にとっても、大切な『壁』なのではないですか?」
桜の言葉に、一瞬祖父も、カイも言葉を失い桜を凝視した。
「……なに?」
「私が幼い頃に読んでくださったあの絵本は、お爺様と金の女神の娘……私達のお婆様に当たる方のお話なのでしょう?」
ーーああ。
なんて、頭の良い子なのだろう。
何故、そこまで分かってしまうのか。
「神の国でお世話になったユリシズは、妹女神様を亡くし、その為に姪御様が『壁』を作ったと言っていました。彼は私には言いませんでしたが、姪御様の創られた『壁』だからこそ、彼は『壁』を維持したいのだと、ご友人の方に教えて頂きました。私は、ユリシズが守りたいのは、彼が会えなかった金の女神の娘が創った『壁』と、『壁』を創ろうと思った彼女の心だったのではないかと思ったのです」
一旦言葉を切り、桜は流れ落ちる涙を拭いもせず、祖父の瞳を見続けた。
その瞳に浮かぶ感情を一瞬たりとも見逃さないと言うように。
「ユリシズは、神の中でもかなり昔から生きている力ある神だとお聞きしました。そんな彼が一目置いた貴方が、『穴』を移動し私をいとも簡単に此方に連れて来た貴方が、ただの魔物である筈は無い」
カイは、息を呑む。
ーーサクラは、何て……。
「『まだ死んでいないから、会えるかは分からない』。それは、貴方自身のことだったのですね」
無言で手を伸ばし、初代魔王は桜を抱き締めた。
ーーこんなに色々と分かってしまっては、又、こんなに優しい心根では、嘸かし辛かろう。
最近になっては、ついぞ感じる事の無くなった胸が、痛くて仕方がない。
「『壁』には、もう意味は無い。あの娘が望んだ形を失ってしまった以上、維持してやらぬ方が、あの娘の思いにも叶うだろう」
優しく、囁く様に話し掛ける。
「それに、今生きているお前たちこそが、あの娘の残した宝に違いない。そうは思わないか?」
ぎゅっと祖父を抱きしめ返し、桜は「うううっ」と、泣きじゃくった。
聖女として突然召喚された時も、魔法の練習がうまくいかない時も、此処まで感情を露わにする桜を見た事は無かった。
「お爺様、会いたかったっ。急に居なくなって、ごめんなさっ……」
「お前の所為ではない。謝る必要はない」
嗚咽を繰り返す桜の背中を、魔王はいつまでも優しく撫でてやった。