4.朱金の瞳
案外、強そうだな。
ユリシズが連れて来た聖女を見た時の第一印象は、そんな感じだった。
水鏡は、聖女の様子を映している。
一瞬、泣いているのかと思ったが、がばりと顔を上げたその表情は、意外としっかりとしていた。
水鏡の部屋から出て廊下を歩いていると、前方からユリシズが歩いてくる。
レトビアは、聖女の事を聞こうと歩み寄った。
「ユリシズ」
名を呼ばれて、ユリシズはレトビアに気が付いた。
「レトビア。どうした」
レトビアは、聖女に会ってみたいと思った。だから、率直にそのまま聞いた。
「ユリシズ。聖女に会いに行ってもいいか?」
問い掛けに、ユリシズは一瞬驚いた様に朱金の双眸を瞬かせ、破顔した。
「ありがたい。女の子の扱いは分からないのでどうしようかと思っていた所だ」
確かに。
朴訥としたユリシズでは、普段の会話の話題にも事欠きそうだ。
「私もあまり女らしいとは言えないがな」
戦いの女神に名を連ねるだけあって、レトビアはお淑やかとは言い難い。
だが、それでもユリシズよりは寄り添えるかもしれない。
苦笑して、ユリシズを見た。
「今から行ってもいいか」
「大丈夫だ。私は今日は人間の世界の神殿にいくつか行って様子を見なければならない」
ばさりと大きな純白の翼を広げる。
神は、世代を追う毎に、翼は小さくなり、寿命も短くなって行く。
それでも人間に比べれば、持て余すほどに永いのだが。
ユリシズには、兄妹の女神がいたらしい。
大切に、大切にしていたが、妹は人間に恋をし、兄の必死の反対も届かず、人間と結ばれたと聞いた。
全ては、レトビアの生まれる前の話だ。
彼には彼なりに、人間に対して複雑に思う所もあるだろう。
「じゃあ、ユリシズの神殿に今から伺うよ。お勤め頑張って」
「ああ。行ってくる。サクラを頼む」
サクラと言うのか。
ひらひらと片手を振って見送り、レトビアはユリシズの神殿へと向かった。
※※※
「初めまして。九条桜と申します。桜とお呼び下さい」
笑顔で右手を出されて、その小さな手を、力加減に気を付けながら握って握手した。
「レトビアだ。宜しく」
何に興味があるかは分からなかった為、取り敢えず人間の世界に行って甘い菓子と幾つかの本を入手してきた。
差し出すと、一瞬驚いたようだが、直ぐにふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「私も頂く。一緒に食べよう」
「レトビア様も召し上がるのですか?」
菓子を、神殿の使用人が用意してくれた皿に並べながら、再度驚いた様に大きな目をした桜に、レトビアが可笑しそうに言う。
「なんだ。1人で全部食べたいのか?」
「いっ…いえ‼︎ 決してそのようなことでは無く、ユリシズは食べ物は食べないと聞いていたので、神様方は皆、何も食べないのかと…」
ーーそんな事だろうと思った。
レトビアは、果物を乗せて焼いた菓子を一つ掴むと、ぱくりと一口で食べてしまった。
「美味いな。たまに人間の世界に菓子を買いに行く。ユリシズには内緒だ」
悪戯っぽく微笑んで、小さめのフィナンシェのような菓子を摘んで、桜の口に含ませる。
「私は、かつて人間とも契った神の血筋の子らしく、人間の物を食すし、人間の世界にもたまに行き来する。神の中にはそういうのもいてる。全てがユリシズのように完璧な神ではない」
意外な事実に、桜は口に入れられた菓子を咀嚼しながら瞳を瞬かせた。
「ユリシズは、もしかして、神々の世界の中でも凄い方なのですか?」
レトビアもそうだが、神殿内にいる誰よりも立派な体格と翼を持っている。
それに、何だか力も強いように感じている。
それは、不思議な感覚だった。
今まで、個人個人の力を個別に感じた事など無かった。
なのに、こちらに来て目が覚めてから、全ての人々の力の大きさ、強さのようなものが何となく感じ取れるのだ。
因みに、レトビアは神殿の使用人と思しき人達よりもかなり強い。が、ユリシズには及ばない。
神々の国は、何かそのような感覚が鋭くなる様な力が働いているのだろうか。
「ほぅ」っと、話に耳を傾けていたレトビアが頷く。
「『鑑定』を持っているのか。それは神特有の能力だから、サクラも先祖から神の血を引いているんだね」
言って、桜の瞳を覗き込んだ。
「…神の血…?」
「ああ。まあ、そんなにはっきりと色を持っているのだから、言われなくても知ってるよね…」
言いながら、レトビアが桜の頬に手をそっと添えた。
「しかも…とてもユリシズの持つ色と似ている。もしかして、君はユリシズに縁のある人なの?」
見つめられて、何を言っているのか分からない。
「色?」
頬に添えられた手を取って、桜は訝し気に首を傾げる。
「我々神は、皆金色を纏うけれど、微妙に違う金を纏っているんだよ。私は薄いプラチナブロンドだし、他にはピンクブロンド、ハニーブロンド、アッシュブロンド。瞳はアンバーやイエローゴールドもあれば、ピンクゴールドの瞳もある。ただ、朱金の瞳は、神の国でもユリシズだけの色なんだ。彼の家族が亡くなって、彼だけになってからは」
改めて、レトビアが桜の両頬に手を添えてじっくりと顔を覗き込んだ。
「…レトビア様?」
「サクラの朱金の瞳は、ユリシズとそっくりだよ」
ーー何を言っているのかしら?
私の瞳は生まれた時からずっと黒い筈なのに。
この言い方では、まるで私の瞳が朱金色みたい。
不意に、来たばかり時の、ユリシズの言葉が脳裏に蘇る。
『…水鏡で見た時は漆黒だったと記憶していたが…』
あれは、そういう事だったのか。
「鏡を…。鏡をお持ちではないですか?」
桜は、静かに、レトビアに訊いてみた。