3.神々の国
目が覚めた時に見覚えのない天井を見るのは2回目だ。
シンプルに、ひたすらに白い室内に、少し寒々しい空気を感じる。
ーールイーズ様とカテリーナ様に連れられて会場を出た所までは覚えているけれど…。
肌触りの良いシーツの中でもそりと寝返りをうって、部屋を見渡す。
シシリー王城の部屋の様な、既に見慣れた華美さは無く、シンプルな中にも洗練された家具や設えを見て、『王城では無いのかも』と、ぼんやりと考える。
ーー取り敢えず、呼吸は出来ているわ。
息苦しさを感じる事が無いのは、せめてもの救いだ。
目が覚めてしまったし、寝ていても仕方がないので、桜は身体を起こした。
ーー私、また知らない場所に来てしまったのね。
「取り乱さないのだな」
静かに空中に現れた男に、桜は視線を向けた。
金の髪に金の瞳の、随分と体格の大きな男性。
目付きは鋭いが、何故か怖さなどは無かった。
ふわりと床に降り立つ男に、桜は首を傾げて微笑んだ。
「…初めまして。九条桜と申します。どうか、桜とお呼び下さい」
寝かされていたベッドから足を下ろして床に立ち、丁寧にお辞儀をした。
男は、一瞬驚愕に目を見張り、そして桜を朱金の瞳で見つめ返した。
「…ユリシズだ」
「ユリシズ様」
「様はいらない。呼び捨てでいい」
「…はい。では、ユリシズ」
にっこりと微笑んで、桜がユリシズの高い位置にある瞳を見上げた。
「…此処は、神の国の私の神殿だ。何故、ここにいるかわかるか?」
質問に、桜は自分がいる場所を初めて理解した。
「恐らくは、私が聖女と呼ばれる役割を持つ者だからでしょうか」
この娘は、頭の回転が早いのか、理解が早い。
ユリシズは無言で頷いた。
近くのテーブルにある椅子を引き、桜に座る様に促した。
桜は素直に支持に従い、椅子に座った。
ユリシズはテーブルを挟んで桜の正面の席に着く。
「暫くは、こちらで生活してもらう。不自由はない様にすると約束しよう」
静かに耳を傾けていた桜は、一瞬眉根を寄せたが、次の瞬間には笑顔をのせた。
「わかりました。分からない事が多いと思いますが、宜しくお願いします」
頭を下げて、再びユリシズの顔を見る。
ユリシズは、桜の感情を探る様に、真っ直ぐに見つめて来るその桜の瞳をじっと見つめ返した。
「…水鏡で見た時は漆黒だったと記憶していたが…」
ふっと呟く声に、桜が首を傾げる。
「何か?」
「いや。何でもない。記憶違いだろう」
かたんと立ち上がって、桜の横に立った。
「空腹を覚えたら、誰でも神殿の者に言うといい。我々はモノは食べないが、神殿の者達にはお前を預かっている事は知らせてある」
びっくりした顔で、桜は傍に立った大柄な神を見上げた。
「食べないのですか? 何も?」
その表情に、ユリシズは「ふっ」と眉間に皺が入ったまま苦笑した。
「お前達人間には理解が難しいかもしれないな」
笑顔に、桜は懐かしいような、不思議な感覚を覚えた。
「どうした?」
一瞬、なんとも言えない顔をした桜に、ユリシズが聞いた。
「…いえ。では、食堂なども無さそうですね。あればこちらから伺おうと思ったのですが。どなたかにお願いすることにします」
「うむ。分からない事も、私は勿論、神殿内の誰にでも聞くがいい」
※※※
ユリシズは来た時とは違い、部屋の扉から出て行った。
椅子に座ったまま、桜はぼんやりと窓の外を眺める。
風に揺れる木々の葉や立派な太さの木の幹を見て、此処が建物の1階部分である事が分かる。
ーーこの世界には、魔物の国と人間の世界を隔てる壁と、人間の世界と神々の国を隔てる壁がある。 私は、今まで議論していた再生すべき壁とは違う、もう一つの方の壁の向こう側に来てしまったのね。
不意に、目頭が熱くなる。
あたたかかった皆んなの笑顔や過ごした時間が、どうしようもなく懐かしい。
俯いて、テーブルに置いた、両手を握り締めた手と手の間に挟む様に顔を埋め、額をテーブルに付ける。
ーー『儀』までには帰れるのだろうけど…。
大切に過ごそうと思っていた時間を、思いもよらぬ形で失ってしまった。
ーーまだ、聖女として知らなければならない事があるから、ユリシズが…神が、来たのだわ。
私は、遊ぶために、この世界に来たわけではない。
日本から離れ、この世界の未来をどうするか、その助力を求められて、此処に来たのだ。
ーーまずは共に生活をして、神々の事を知る事を求められている。
『儀』までまだ日はあるはずだが、何を理解する事を求められているのかを知らなければ、次に進めない。
ーー泣いている場合では無いわ。レヴィアス様やヴィルヘルム様のもとへ帰るためにも、こちらで学ぶべき事を学ばなければ。
拳を作っていた両の手を広げてテーブルに置くと、力を込めてがばりと上半身を起こした。
「『腹が減っては戦はできぬ』ですね。さっそく何か頂きに行きましょう」
桜は力強く立ち上がって、部屋から出て、1人目に出会った40代くらいの女性を捕まえた。