2.一時の別れ
桜はルイーズによって抱き抱えられていた。
本当は隠蔽の魔法など、軽く姿を変えさせて移動する筈が、魔法が効かない為に目立つ純白の祭服の上にルイーズの紅に金糸の刺繍の入ったジュストコールをかけている。
それでも、聖女の黒髪は目立つ。
苛立ちに、ルイーズはカテリーナを睨みつけた。
「何故魔法が掛からない⁈ これでは目立って仕方がない」
後方で何かあったらしく、騎士達はバタバタと会場に向かって走っていた。
事実、凄い音がして王城が揺れ、一瞬ルイーズとカテリーナも立ち止まって振り返った。
今はまだ此方には目を向けないが、彼らが聖女の不在に気がつけば、自分達が捕まるのは時間の問題だ。
侯爵家の護衛騎士達に囲ませて移動してはいるが、完全に誤魔化せているわけではない。
「恐らくは、サクラ様がお召しになっている祭服に魔法を跳ね返す魔力が込められているのでしょう。かなり念入りに施されている為、私ではどうにも」
サクラを欲するのは我々だけではない。
このような事態に備えて、王家も策を講じていたわけだ。
「忌々しい。まだ魔素の除去は続いているのか」
足を早めながら、ルイーズが確認する。
会場を出てからも、サクラにはまるで彼女を護る繭のように、誰かの魔力が纏わりつき、魔素を除去していた。
「…はい」
それは、恐らくは誰かの探知魔法によってサクラの魔素を除去をされていると言う事。
つまりは、サクラの場所は、その人物には筒抜けだと言う事だ。
引き剥がそうにも、その光魔力がカテリーナよりも強力で出来なかった。
何もかもが想定外だった。
サクラは世慣れしておらず、あまりにも容易く捕縛出来た。
だが、周囲の守護する者達がそれを赦さない。
「とにかく、早く馬車へ。リーファー王太子が来たとしても、叔母上なら上手くかわしてくれる筈だ」
馬車には叔母上が待機している。
眩い光によって思考が遮られたのは、そんな時だった。
ー今度は何だと言うのだ。
細めたアイスブルーの瞳を恐る恐る開くと、先ず見えたのはあまりにも大きな純白の翼だった。
「何処へ行く。人間」
大きく広げた真っ白な翼はうっすらと光を纏っている。
不機嫌そうに寄せられた眉は、金髪に金の瞳の男の双眸をより鋭く光らせていた。
「それは聖女だろう」
ルイーズの腕の中に眠るサクラを見下ろし、男が問い掛ける。
「何者だ‼︎」
ルイーズはサクラの身体を引き寄せてより強く抱きしめた。
明らかに、『人』では無い。
だが、ここまで来て怯むわけにも行かなかった。
カテリーナはかたかたと震えながら座り込んだ。
顔は色を失っている。
「ルイーズ様っ…この方は恐らく…」
そこから、言葉が繋がらない。
否。
恐らくは、ルイーズにも分かっているのだ。
だが、ここまで来て、例え目の前の男が争える相手では無いと分かっていても、認めたくないのが本心だった。
「ルイーズ‼︎!」
膠着した空気を力業で無理やり切り裂く様な怒鳴り声と共に走り込んで来たのは、馬車に控えていた筈の叔母、エリザだった。
濃紫のドレスの裾を操りながら、信じられない速さで駆けてくる。
どうやら、気配を察して来てくれたらしい。
「渡してはならん‼︎」
駆け込む勢いと共に発動された魔法は、彼女が得意とする闇魔法に雷属性と火属性を掛け合わせた、彼女にとって最強の一手とされる技だった。
『黒い稲妻‼︎!』
空を、切り裂く轟音を伴い、闇色を纏った稲妻がいまだ空に浮かぶ白い翼を持つ男を襲った。
揺れる王城に、ルイーズは呆然と立ち尽くす。
「ルイーズ‼︎ 早く馬車へ!」
「待て」
黒煙の中からの落ち着いた声に、2人は瞬時に振り返った。
「面白い。人間にも、これ程までに力を使える者がいるとは。たまには此方にくるのも悪くない」
大きな翼を翻すと、男に纏わり付いていた黒煙は一瞬で振り払われた。
「それでも、私には遠く及ばないがな」
男が、右手の人差し指をついと小さく上に挙げた。
まるで囁く様に、男は呟いた。
『光の欠片雨』
眩い光を纏った無数の輝く鋭い刃がカテリーナ、ルイーズ、エリザ、3人の頭上から降り注いだ。
ルイーズは、サクラを抱き抱えたまま膝をついた。
綺麗に3人を避けて降り注いだ光の欠片は、まるでいつでも殺せるのだと言っている様だった。
「そろそろいいか。私はその娘に用事がある」
じゃりっと、光の雨によって削られた床石に降り立った男がゆっくりと歩み寄ってくる。
男の手がサクラに触れようとした時。
『神々の息吹』
強い風が吹き、男の翼が煽られた。
「ふんっ」
素早く翼を広げてサクラに手を伸ばそうとすると。
ルイーズの腕の中には、サクラはもういなかった。
「ウチのサクラに何の用ですか」
男が風に気を取られた一瞬の隙を突いてサクラを抱き上げたのは、騎士達と共に駆け付けたヴィルヘルムだった。
男は、深く眉間に皺を寄せる。
「お前がその娘の呼吸を護っていた者か」
魔力の気配から、サクラを護っていた者である事はすぐに分かった。
「あなたは、神か」
サクラを抱き抱えたまま、ヴィルヘルムが白い大きな翼をもつ男を強い光を宿した漆黒の瞳で見上げた。
男は、その双眸を忌々しげに見返した。
「いかにも神だが。お前は魔物の末裔だな?」
意味が、分からない。
ヴィルヘルムは男と距離を取る為に、サクラを抱き抱えたまま少しずつ後退る。
駆け付けた騎士達のいる辺りまで後退るにはあと一歩の所で、男が瞬時に間合いを詰めて来た。
「しかも、神の血も入っている」
なんとも腹立たしい。
不愉快そうに歪められた顔のまま、両手を差し出してきた。
「聖女に用事がある」
短く言うと、無言で寄越せと睨み付けてくる。
「断る」
ヴィルヘルムも負けじと睨み上げる。
『氷の壁‼︎!』
ヴィルヘルムと男の間に分厚い氷の壁が文字通り、生えた。
「サクラは『儀』を終えたら元いた世界に帰す。神々の思惑通りにはさせない」
ぐっと強くサクラを抱き寄せる。
「愚かな。たとえどちらの道を選んだとしても、聖女が元の世界に帰るなど有り得ない」
男は氷壁に手を当て、一瞬で消失させた。
水蒸気が一瞬だけ上がった様に見えた。
ヴィルヘルムは驚愕に目を見開く。
神殿は、神々が人間を愛していた事を伝えている。
神殿は、人間が魔物に襲われない為にも、神聖なる壁はずっと守られるべきモノとして伝えている。
神殿は…神は、必ず壁を維持するようにと、聖女に道を示す。
ならば、壁を壊すという選択を選べば。
帰った記録の無い聖女。
壁の維持を図った場合、何らかの理由で聖女が戻れなくなるのであれば。
帰す為には、反対の道を選べば良いのでは無いかと。
「まさかお前たち、儀式が終われば、その一瞬で出来上がった『完全な壁』が一千年もの間自分達を守り続けてくれていると思っているのではあるまいな?」
はっと、嘲笑も露わに男が顔を歪めた。
違うのか。
そこから、間違っていると言うのか。
「我々には記録が無い。100年に満たない寿命では、記録が無ければ計り知る事もできない」
記録が無い。
それが、長年ヴィルヘルムを苛立たせて来た。
ヴィルヘルムの言葉に、翼の男が「ふむ」と自らの顎を触った。
「聖獣が、全てを受け継いでいる。記録を残さなかったのは、恐らくは聖獣と前聖女の都合だろう。とにかく、聖女は頂いていく。過去の事を知りたいなら、聖獣に聞け」
男が力強く羽ばたくと、ヴィルヘルムはその強烈な風にバランスを崩した。
はっと気がつくと、男の腕には純白の祭衣を着たサクラが抱えられていた。
「聖女はその生命を掛けて『儀』に臨み、文字通りその生命は『儀』の為に使い果たされる。その意味と重要性を一切伝えずに『儀』に臨ませるのは、むしろ残酷な事だとは思わないか?」
私達が、何も知らされていないのなら。
今、進もうとする道もまた間違っていることにならないか。
「聖獣は、何処にいるのですか」
問いに、男は鼻で嗤った。
「お前達の目の前にずっといたではないか」
何の事だ?
「聖獣 シシリーは、お前達の国の国主では?」
その瞬間、また新たな介入を感じてヴィルヘルムは上空を見上げた。
サクラを抱えて空に浮かぶ男に、今まさに掴み掛かろうと飛び掛かったのは、
「カイ‼︎!」
「サクラを離せぇぇぇ‼︎!!」
振り上げた拳に、黒い雷状の光が纏わり付いている。
「サクラァァァァ‼︎‼︎」
振り下ろされた拳から放たれた黒く光る雷は、サクラごと男を包み込んだ。
繋がれば、サクラの力が使える‼︎
明らかに強すぎる目の前の男からサクラを取り返すには、自分だけの力では無理だと思った。
カイの力に纏わりつかれながら、男は余裕の表情でカイの闇魔法を振り払おうとした。
サクラの中の魔力…生命と、カイが繋がろうとしたその時。
ステイタスの中。
サクラの中の、まるで花が重なっているようだと言っていたあの紋章が、パリンと砕け散った。
「あっ…」
カイは、突然凄まじい勢いで大量の魔力がサクラから流れ込んでくるのを感じ、動けなくなった。
『桜の中に、お前の魔力を使って封印を施している。お前の魔力は、桜の魔力の封印が解けたらお前の中に戻って来る』
ー駄目だ! 駄目だ‼︎ 今じゃ…‼︎!
身体から溢れ出しそうな力を受け取って、指の先まで動けなくなってしまったカイは、身体を支えきれずに倒れ込んだ。
その瞬間、サクラの身体から金色の眩し光が溢れ出した。
「お前達…」
翼を持つ男は言葉を失い、サクラを大切に強く抱き抱え直した。
「聖女は預かっていく。『儀』までには帰そう」
「待て! 待て‼︎ サクラ! サクラ‼︎」
自由にならない身体で仰向けになり、サクラに向かって手を伸ばす。
流れ込んだ力が、体の中で暴れている。
気が付けば、手を伸ばした先にサクラはおらず、カイから溢れ出した凄まじい力の嵐が、王城の柱に亀裂を入れていた。
ビキビキと音を立てて入る柱や床の亀裂に、ヴィルヘルムも他の騎士達も皆慌ててカイに駆け寄り避難するために動こうとした。
その時、
ふっと、嵐が止んだ。
空中に真っ暗な闇色の亀裂が生まれ、そこから先程の金色の双眸の男が音も無く現れ、跪いてカイを抱き抱えた。
「ウォルディアス…父さん…っ」
「落ち着け。槐。桜なら大事無い」
神は、人間は傷付けない。
「お前は、力を慣らすために城に来なさい」
サクラは連れ去られた。
今はウォルディアスが抑えてくれているが、サクラから受け取った力は、カイにはまだ扱い切れない。
カイは、無言で小さく頷いた。
「カイ…?」
近寄れず、戸惑い弟子の名を呼ぶヴィルヘルムに、カイが泣き濡れた顔を向けた。
「師匠。…ごめんなさい。ちょっと城を空けます」
黒髪に金の瞳の男に抱えられたまま、カイは姿を消した。
ーあの男が現れたのは、『穴』だったのでは?
ヴィルヘルムが、カイの消えた場に立ち尽くす。
ーカイの瞳が…。
城に来た日から見守り続けたカイの漆黒の瞳が。
「金色に…」