3.帰り道
世界に走った空間の歪みに、ヴィルヘルムはつい、まだ見えない前方、城のある方角に目をやった。
「来たか」
小さな呟きに、従騎士の1人が稀代の魔導士長の視線の先に目をやる。
そこには、草木が瑞々しく茂る姿が美しい山々しか無い。
「どうかされましたか?」
問い掛けに、ヴィルヘルムはにこりと微笑む。
「良い天気だねぇ。そろそろ休憩にしない?」
無事に召喚出来たなら、今の所は、もう心配する事は無い。
ゆっくり帰ればいい。
帰り着きさえすればいい。
あんまり心配はしてなかったけれどね。
ちらりと従騎士を見ると、疲労の色を濃くして嘆息を吐いている。
「魔導士長殿。出来れば明後日までには城に帰り着きたいのです。城でもし聖女召喚に成功していれば、今後は今まで以上に城の護りを固めなければならないのですから」
何から護る為?
魔物から? その力を悪用しようとする貴族達から? それとも、自国を守る為に聖女を狙う他国の間者から?
光魔法を使えるのは、この国周辺では、私と国王と王太子のみ。
聖女はそもそも誰にも制する事が出来ない程の光魔法を駆使するって話だから、そう簡単には拐うことは出来ない。
城でじっとさえしていてくれれば、なんの問題も無い。
ましてや、側にはカイを置いて来ているのだ。
「そんなに早く帰りたいなら、私が後で転移魔法で城まで連れて行ってあげても良いけど、とりあえず今はお茶をしようか」
お腹が空いたし、歩く事に飽きたし、喉も渇いた。
やる事が多いのだから、早く帰りたいのは私も同じだ。だが、滅多に城から出して貰えない身としては、折角城の外に出て遠出が出来たのだから、この機会にゆっくりと村や都の様子を良く確認しておきたい。
『穴』は、思った以上に大きく、頑丈だった。
入り口から少し覗いてみたが、異空間に繋がり、異界の者が出入りした痕跡があった。
又、安定して出入りできるようにするために、何者かによって固定されつつあったのだ。
つまり、ただ「『穴』があるから出てきました」という下級の魔物のみならず、「『穴』を安定的に長期使用出来るようにしよう」と考える、中級、もしくは上級の魔物が既にこの国に入り込んでいる可能性があるのだ。
今回、大きな『穴』は、聖女召喚の儀と重なった為に一旦閉じるしかなかった。しかし、出来ればヴィルヘルムは、『穴』を見張り、『穴』から出て来た魔物をその場で取り押さえて尋問したかった。
『穴』の向こうはどうなっているのか?
魔物は何故、『穴』からこちらへ来るのか?
そもそも、『穴』は、どうやってできるのか?
聞きたい事は沢山ある。
今回はその全てを諦めて、泣く泣く『穴』を閉じたのだ。
歴史書に拠れば、聖女さえ現れれば大丈夫らしいが。
肝腎要の過去に行った解決方法は、シシリー王国の歴史書には何処にも記載されていなかったのだ。
呼ぶだけ呼んで、その後、その聖女はどうなったのか。
近年までは魔物は現れていなかった。
それは、およそ千年前に召喚した聖女によって現れた魔物は駆逐され、空間の歪みによる『穴』が消滅させられ、『穴』が開かないように何かしらの術? か何かを施したのだろうと推測される。
今回、聖女召喚を任ぜられた15年前よりももっと前。まだ魔物が襲来してくる前から、私は王宮の魔導士となって、王宮内の貴重な蔵書を見れる立場になってから日夜寸暇を惜しんで聖女の事、召喚の儀式の事、その後魔物をどのように退けたか、どのように国を護ったのかを調べて来た。
だが、何処にも聖女について詳細に記載された書物は無かった。
魔導士長になって全ての禁書を読み漁れるようになっても、1冊も、否、1行も、見つからなかったのだ。
あるのは、いかにして聖女を召喚するか。
そして、聖女が召喚されたことによって「聖女様」が全ての難を取り除いてくれた。
世は安寧を取り戻し、めでたしめでたし。
ーあり得ないだろ。
苛立ちは、あれからいったい何十年抱えて来ただろう。
人ひとり、違う世界から拐ってきたのだろう?
聖女と呼ばれるに値する何かを持っていたのだろう。
国を救えるだけの力を、人々を認めさせるだけの光を、叡智を、技を。
持っていたのかも知れない。
だが、この世界の事情は、聖女には預かり知らない処だったはずだ。
なのに、護らせて、使い果たして、その後どうなったのか、記載すら無い。
ー千年前。その前は、どうだったのか。
国の成り立ちやその他諸々を考えれば、その前の歴史など追えるはずもないが、気になるところではあった。
「とにかく、お茶。休憩。君も顔色良くないよ。私の秘蔵のお茶受け出したげるから。ゆっくりしよ」
なかば強引に、空間魔法から机や椅子を出してお茶のセットを整える。
火魔法を駆使して湯を沸かし、素早くお茶を入れた。
王宮の魔導士長自ら用意されたお茶を、従騎士は固辞出来ない。
にっこり笑って茶菓子とお茶を勧めると、苦い顔をしながらも、従騎士3人は席に付いた。
熱々のお茶を出来るだけゆっくり飲ませながら、探知魔法で周囲30キロ以内に魔物がいないか確認する。
丁寧に密に魔力の網を張るように綿密に、隙間なく。
広範囲の探知魔法は、歩きながらだと少し粗くなる。
南13キロ辺りに集落。村。人口30人程度。
西に…。
ぽりぽりと芋を干して揚げた菓子を口にしながら、探知を進める。
北に20キロ辺りに旅人。
…おっ。探知に気が付いたな。
少しは魔法に敏感らしい。
まっ。でも普通の人間だな。
あとは…と…。
「そろそろ出立しませんか」
従騎士のウチ、もっとも若く真面目な青年が、茶器を空にして立ち上がった。
火の精霊に命じてまだまだお茶を熱くしていたはずなのに。
どうやら氷魔法が使えるのか、はたまた精霊が見えて、お茶を熱くさせなかったのか。
「レオ。先輩方の茶器にはまだお茶が入っているよ。それとも私が入れたお茶を捨てさせるつもりかい?」
内心「チッ」と舌打ちすると、レオン・フォン・アーリュストが無表情のまま、先輩騎士達の茶器にさらりと触れた。
とたんに湯気を無くしたお茶を、騎士達が慌てて飲み干す。
「ご馳走様でした。大変美味しかったです。城に帰りましたら、是非、お茶の種類と入れ方を教えて下さい」
眼前で手早く水魔法で茶器を洗われ、風魔法で乾かされた。
む。
魔導士に欲しいヤツだな。
やり取りの間に、大方の探知は済んだ。
城に帰ればやるべき事が溜まっているのは私もなので、探知さえ終われば出立を早める事に否やは無い。
「じゃあ、城に帰ったらね。私のお気に入りの魔導士に、茶葉と入れ方を君に教えるよう伝えておくよ」
にーっこりと微笑んで、すっかり綺麗になった茶器を受け取る。
従騎士達が席から立ち上がったのを見計らって、素早く空間魔法に机や椅子、その他お茶に使った物を取り込む。
一瞬で片付いたのを見て、従騎士達が、「いつ見ても凄いな」等、呟いている。
レオは、椅子や机が無くなった私の手を、静かに見つめていた。
「どれくらいのモノが入るのですか?」
質問に、私はにっこりと微笑む。
「君が私のお気に入りになったら、教えてあげるよ」
城に帰り着くまで、旅の行程は後2日程。
30キロ先に着く前には、また広範囲探知をしなければならない。
強いヤツ、出て来ないかな。
『穴』は綴じただけ。
めぼしい魔物討伐も無い今回の旅程で、私は少し退屈しすぎていた。
だが、城に帰り着いて、お気に入りが思いの外疲れ果てていることは、まだこの時の私は知らなかった。