5.披露目(1)
ベリアの手伝いで、聖女の衣装を身に付けていく。
ゆったりとしたチュニックのようなデザインではあるが、下に羽織るシャツの首元は後ろボタン式の立襟で、ツヤのある白い生地に小さな金ボタンが首の後ろで縦に連なっている。
繊細な白いレースに縁取られたチュニックは、裾の部分に細かい金糸による刺繍が施されている。白の生地には、同色の絹糸によって隅々まで刺繍が施され、光の加減によりキラキラと光を放った。
「こんなに沢山刺繍を刺してるのに、軽い…」
ふわりとした軽い着心地の生地に、桜は感動した。
肌触りも気後れするほど気持ち良い。
「祭衣には魔力が込められていて、簡単な魔法なら跳ね返せてしまうんですよ」
にっこりと微笑んでベリアがチュニックの広い袖口の下の、きゅっと絞られたシャツの袖口の細かい金ボタンを丁寧に留めてくれる。
「この衣装を着て『儀』にも参加するんですか?」
だから、魔力を込めたりしているのだろうか?
服に魔力が込められる事にも驚いたが。
「いいえ。この祭衣は、今日と『儀』が終わった事を知らせる時に着るだけです。『儀』に行く時には、もう少しシンプルな衣になりますよ」
採寸は済んでいるので、既にご用意出来ています。
説明に、披露目に防御力のある祭衣が用意された背景に少し思いを巡らせてみる。
出来上がりです、と、ベリアが桜のチュニックの裾を綺麗に下ろして伸ばした。
「披露目では緊張なさらないよう、全て滞り無く済みますようにお祈りしております。私は、簡単に準備して参ります。また、会場でお会いしましょう」
今日は、ベリアも子爵令嬢として披露目に参加する。
素早く居住まいを正すと、ベリアは淑女の礼をした。
桜にも、丁寧にコツを教えてくれた礼だ。
ーベリア様の淑女の礼は、本当に美しいわ。
「ベリア様、ご自身の用意もあって忙しいのにありがとうございます。後ほど会場で」
桜も挨拶を返す。
「仕事ですから。レヴィアス殿下との秘密特訓の成果、楽しみにしていますね」
「頑張ります」
主に、頑張るのはレヴィアスだが。
ベリアが衣装などの準備要員の侍女や針子達を連れて部屋から出てしまうと、桜1人になった為に急に部屋の中が寂しくなった。
此処はレヴィアスの私室だが、今日はレヴィアスも朝から準備に追われて王城の中を走り回っていた。
ややもすればエスコートの為に迎えに来てくれる事にはなっているが、まだ少し時間がある。
最近は、ヴィルヘルムが探知魔法で桜の居場所を把握して魔素の除去がしっかりと出来る様になった為に、少しくらいなら放置されるようになった。
がっちり傍で空気清浄機をして貰っていた頃に比べたら、申し訳無さが少し減った。
部屋付きの騎士も、今日は人数が少ない様に思う。
多分だが、会場の警備や城の警備に回されているのだろう。
参加する各国の要人の絵姿も頭に入れたし、自国の貴族達の絵姿も名前と姿は一致している。
ベリアに聞いた話だが、絵姿は人によっては過剰に美化されている場合があるので、挨拶の際に驚かないようにとの事だった。
そこら辺は、桜がいた日本でもあった話だから、そんな事もあるだろうと思った。
「写真を盛ったりとか、気持ちはわかるわ」
私は、やった事は無かったけれど。
こんこん、と、控えめな音が扉から聞こえて来たのはそんな時だった。
「はい」
条件反射で扉を開けてから、『開けても大丈夫だっかしら?』と考えるのは、本当は遅い。
「ぶぶーっ。 開けちゃダメだよ」
開けて貰って部屋に入りながら駄目出しをするのは、先日知り合ったばかりの隣国セクドルの王太子リーファだった。
「危険人物だったら大変な事になっちゃうでしょ?」
「リーファ様。純白の軍服、凄くお似合いですね」
胸にずらりと並ぶカラフルな勲章もサマになっている。
にっこりと首を傾げると、リーファもにこりと笑った。
「サクラも、祭服綺麗だね。凄く似合ってて『聖女様』って誰が見ても思うよ」
「衣装さまさまです」
「大丈夫。存在自体が光ってるから」
優しいフォローを苦笑で受けて、部屋の中へ案内する。
リーファは今日も安定の美しさだ。
蜂蜜色の髪とロイヤルブルーの瞳は、何処かレヴィアスと似ているように感じる。
「レヴィアス様は今は部屋にはいないんですけど。お茶でも如何ですか?」
「大丈夫? 服汚れたら怒られちゃうよ」
自分の軍服の礼服のお腹のあたりを引き伸ばしながら、リーファがにひっと笑う。
2人とも真っ白な服だから、敏感にならざるを得ない。
本番はこれからなのに、もし汚したら。
「お腹は空いてないし、喉も渇いてないから、少しお話ししよう。レヴィアスから、サクラの様子を見てきて欲しいって言われて来たんだ。見に来て良かったよ。あんなに無防備にドアを開けちゃうんだから…とっ」
急にリーファがサクラの腕を引いて部屋の奥の衣装部屋のドアを開け、クローゼットの扉を開けた。
中にはズラリとレヴィアスの服が並んでいる。
艶やかなジュストコールやマントを押しのけて、リーファが桜をその中に押し込んだ。
「喋っちゃダメだよ」
驚く桜の目の前で口に人差し指を立てて『しぃっ』と微笑むと、優しくぽんと桜の頭に手を乗せた。
素早く離れた手が、静かにクローゼットの扉を閉じると、桜の視界は真っ暗になった。
「失礼します。王太子殿下のご命令で聖女様をお連れしに参りました」
言いながら、許可も取らずに扉を開けた男が3人、躊躇無く部屋に入り込んでくる。
男達はぐるりと部屋を見渡し、ソファに長い足を組んでゆったりと座る蜂蜜色の髪の男に目を向けた。
「此処は王太子殿下の私室である! 貴殿は何者だ‼︎」
3人の男の中で、真ん中に立って熱り立って見せる男が、取り敢えずはこの場の責任者か。
「それはこちらのセリフだな。聖女をレヴィアスのもとまで連れてくるよう、直接レヴィアスに頼まれたのは私だ。お前達こそ、披露目の混雑に乗じて聖女を連れ去ろうとした間者じゃ無いのか」
シシリー王国の王太子を呼び捨てに出来る人物は少ない。
男達は「うっ」と、身構えた。
開け放たれた扉の向こうには、シシリー王国の騎士服に身を包んだ男が倒れているのが見える。
「私は、レヴィアスほど優しくは無いよ。友人の身内に悪さをする者を見逃しはしない」
だいだい、サクラの事情を知っていれば、いくら魔道士長がサクラに施す魔素除去の腕が上がっていると聞いていたってドアを開け放したりはしない。
「私たちはね、守護を得意とはするけれど、決して攻撃が苦手な訳では無いんだよ」
リーファがソファから立ち上がり、左手を振り上げた。
部屋全体に光の渦が巻き、凄いエネルギーが動いているのが男達にも目に見える。
「お前は…‼︎」
「貴様達如きにお前呼ばわりされるのは至極不愉快だ」
音が止んでも、桜は暫く息を殺して膝を抱えていた。
かちゃりとクローゼットの扉を開く音がして、急に視界が明るくなる。
「お待たせ。ちょうど良い時間になったから、レヴィアスの所に行こうか」
にっこりと笑顔で手を差し伸べられる。
桜は恐る恐るクローゼットから歩み出て、部屋を見渡した。
凄い音がしていたのに、部屋はリーファを招き入れた時と何ら変わらない様子だった。
「…誰か、来られたのでは無いですか?」
質問に、リーファがにこりと微笑む。
「なんか来たみたいだね。礼儀がなってないから消しちゃったけど。サクラは気にしなくていいよ」
遅くなるとレヴィアスに怒られちゃうから早く行こうと、リーファが優しく桜の手を引いた。
扉の外には、1人の騎士が立っていて、2人が通ると深々と会釈をした。
「緊張してる?」
手を引きながら話し掛けてくれるリーファの綺麗なロイヤルブルーの瞳を見上げて、桜はにこりと微笑む。
「大丈夫です。私、本番には強い方なんです」
先程の事も気にはなるが、今はレヴィアスに恥をかかせないことの方が重要だ。
皆が、頑張ってる。
私は私のやるべき事に集中しないと。
強い意志の宿った桜の漆黒の瞳に、リーファが微笑みかける。
「ボクも応援してるよ」
行っておいでと、軽く肩を叩かれた。
目の前には会場のある2階に続く左右に割れた半螺旋状の広い階段があり、階段の1番下には純白の礼服に身を包んだレヴィアスが美しい姿勢で佇んでいた。
「サクラ」
桜を見つけると、冷ややかな空気を纏っていたレヴィアスの表情が、まるで花が綻ぶように微笑んだ。
「お待たせしました」
早足で駆け寄って、桜がレヴィアスの横に立った。
「聖女の衣装、綺麗で良く似合っているな」
「レヴィアス様の礼服、凄くカッコいいですね」
「服だけか?」
「服だけですか?」
レヴィアスにエスコートされながら階段を歩いて登っていく間、お互いに軽口を言って、お互いの緊張をほぐす。
「私の宴会芸は、レヴィアス様が頼りですからね」
「サクラの余裕の笑みが、何より重要だよ」
ふっと2人で笑って、軽く拳をぶつけた。
「シシリー王国第一王子 レヴィアス・フォン・ドゥ・シシリー殿下、同国、聖女 サクラ・クジョー様」
入場を知らせる声が、2人の名前を読み上げた。
2人は他所行きの笑顔を顔に張り付けて、会場へと足を踏み入れた。