4.挨拶の嵐
ここ2、3日は、遠方から城に到着した各国の使者や王族が挨拶にひっきりなしにレヴィアスの執務室に訪れるので、桜はヴィルヘルムの部屋に避難していた。
国王へ挨拶を済ませた後、各国の要人達の約半数は娘を連れてレヴィアスの部屋にやって来る。
レヴィアスはただ礼儀正しく挨拶をするに留めているが、相手方は勿論娘を売り込みに来ているので、話し込む気満々である。
それを、「後の方が閊えてますので」とさくさく追い出していくのは、アーダルベルトの仕事だ。
桜が部屋にいてると、聖女にも挨拶をとなって面倒な事になるので、披露目当日までは、日中はヴィルヘルムの部屋にいるようにと言われてしまった。
必要以上に桜を人目に晒したくないという、レヴィアスの希望だった。
「聖女はレヴィアス殿下とは違う需要がありますからね。披露目で軽く紹介するに留めて、あとは儀に参加する人達に紹介するくらいで良いと思いますよ」
ヴィルヘルムがお茶を入れて、机の桜の前に置いた。
「ありがとうございます。他の国の聖女の方々も来られているのですよね?」
受け取って、一口頂く。
最近ヴィルヘルムのお茶選びは迷走しているらしく、今日も飲んだ事の無い味だった。
少し鼻に抜ける爽やかさがあって、桜は好きだった。
「まぁ、サクラとは魔力も段違いですけどね。光魔法が使える子の中でも、比較的強い魔力を持つ子達が、国の代表の聖女として来るみたいですね」
『新しき壁再生の儀』に際して、各国の聖女達も披露目には参加する。
背負うモノは、ただ披露目に参加するだけでは無いようだが。
「『儀』自体が千年ぶりだから、あんまり…多分他所の国にも前回の記録とかも無いでしょうし。魔物は年々増えて来てるし、なんかはじまりの国がやってくれて魔物がいなくなるみたいだし、参加しとこうか…みたいな感じでしょうか? 乗り遅れて『壁再生』の恩恵に預かれないと大変ですし?」
なんだか、記念式典みたいな認識になってるみたいですね。
ヴィルヘルムが自分のお茶を飲み干して、次の茶葉の缶を開け出した。
飲み比べをしているのか、今日も朝からこんな感じだ。
「『儀』自体は、『はじまりの地』に行って瘴気を払って、魔物がいたら魔物を討伐しつつ、『新しき壁再生の儀』で壁を補強するって流れらしいですね」
茶器の中の茶葉をとんとんと叩いて出して、軽く水魔法で濯ぐと、新しい茶葉を入れた。
「そう言えば、ヴィルヘルム様はあの時は神殿の打ち合わせに参加されませんでしたものね」
お茶を少し口に含み、飲み下してからほうっと息をつく。
「ああ。私は神殿には近付いたら死んでしまう呪いが掛かっていますからね」
「えっ?」
「冗談です」
たんっと新しいお茶を目の前に置かれて、桜はあわてて持っているカップのお茶を飲み干した。
「先程のお茶はいかがでしたか?」
飲み干したカップを受け取りながらの確認に桜はにこりと首を傾げる。
「美味しかったですよ。私は好きな方だと思います」
答えに、ヴィルヘルムもにこりと笑った。
「それは良かった。私も好きな味でした」
次も宜しくお願いしますと、そそそとカップを寄せられた。
「…『儀』について聞きたいのですが」
恐る恐る口を開くと、少し驚いたように目を大きくして、そして微笑んだ。
「良いですよ。神殿以上の知識は、私には無いですが」
「私が召喚された時、ヴィルヘルム様は今回『儀』を行う場所である『はじまりの地』に『穴』を閉じるために足を運んでいたと聞きました。『はじまりの地』とは、どんな処なのですか?」
この国の、『はじまりの地』と呼ばれる聖地。
世界の『壁』の綻びは主に此処の亀裂からはじまると思われる事から、此処が世界を護る『壁』の要の地であり、かつて此処で『壁』が出来たと言われている。
「『壁』が出来た地であると言われていることは、神官達から聞きましたか?」
新しく入れたお茶を口に含み、ヴィルヘルムは少し眉根を寄せた。
桜も気になって、一口、口をつけて、あまりの苦さに渋面になった。
「…飲まなくて良いですよ」
「飲めない程では…」
「今日初めてのハズレでしたね」
苦笑して、ヴィルヘルムはさっさと桜の手のカップを取り上げた。
水魔法でカップのお茶を片付けてカップを洗うと、茶葉の缶を戸棚に直して、小さな小瓶を手に取って帰って来た。
生成りの薄い和紙のような紙に包まれた小さな包みを3つ小瓶の中から取り出すと、その内の2つを桜の手に乗せた。
「口直しです」
包みをあけると白い塊を取り出して口に入れた。
ヴィルヘルムに倣って、桜も一つ包みをあけて口に入れた。
「甘い…‼︎」
「珍しい茶菓子だったので、以前少し多めに買っておいたのです」
日本にあった干菓子のような。甘い菓子は、口の中でほろりとくずれて溶けて消えた。
「あのお茶のお店のお菓子なのですね」
閉まってしまったのは、ヴィルヘルムから聞いていた。
あれから、ヴィルヘルムは元気が無い。
王都に魔物が出たという事も一因だろうが、お茶のお店の事で何かあったのでは無いかと、桜は思っていた。
「『はじまりの地』のことでしたね。あそこは『穴』があきやすく、空間が不安定で瘴気が発生しやすい場所です。『穴』を通って魔物がやって来るので魔物も現れやすく、『壁』が不安定である今のような時期は特に、人が住むには向きません。だからあの地の辺りには、村を作ってはならないとの言い伝えもあるそうです」
『壁』は、見えないけれど、確かにあるらしい。
今この空間にも、魔物と人間を分ける為の『壁』が存在している。
桜がそれを感じられず、見えないのは、力が自分では使えない状態であることと関係があるのでは無いかと、ヴィルヘルムには言われている。
結局、魔法の詠唱など色々と習ったが、桜の意思で魔法を使う事は出来ていない。
少しでもレヴィアスの憂いを払えないかと頑張ってみているが、まだ実は結んでいない。
『儀』を行う日は、着実に近付いている。
気持ちは焦るが、着実に可能性に掛けて手順を踏むしか無い。
「ヴィルヘルム様は、魔物討伐に参加されたことがあるのですか?」
魔道士も、その者の持つ魔力や使う魔法の性質によっては魔物を討伐する力を持つ。
そうは聞いているが、主には魔法騎士団の仕事だと聞いていたからだ。
「ありますよ。アーダルベルト殿と一緒に国境の山岳地帯に出たという獣型の魔物を討伐しました。山の中では木々に紛れて目視で姿を追うのが難しいので、私の探知魔法で追い込んで捕らえました」
新しい菓子を取りに棚へ戻ったヴィルヘルムは、城の料理人が作ってくれたという小さく素朴な味のクッキーの様なものを皿に乗せて持ってきた。
改めて入れ直したお茶は、シシリー王国特産という、桜も、もう何度も飲んだことのある味のものだ。
「獣型…」
「魔物には、子供がいました」
菓子に伸ばした手が、ぴくりと止まった。
「魔物は子育ての為に家畜や人間を襲っていたようでした」
ヴィルヘルムは構わず菓子に手を伸ばし、口に含んだ。
「子供は…」
桜の手がきゅっと組まれるのを見て、ヴィルヘルムが苦笑する。
「殺しましたよ。たとえ子供であっても、圧倒的に力を持つ魔物は人にとって脅威でしかないのですから」
沈黙の中、桜が組んだ手を解いて、カップを両手で包み込んだ。
「昔、私のお爺様が読んでくださった絵本に、魔物のお話しがありました」
カップを持ち上げて、一口、口に含む。
温かいお茶は適温で、沸騰したお湯で入れたモノでは無いと感じる。
ヴィルヘルムが入れてくれるお茶は、常に各々の茶葉の適温に合わせて湯の温度を変えて入れられており、本当に美味しい。
「あるところに、金の女神の娘と純血の魔物がいて、2人は仲良く一緒に暮らします。でも、金の女神の娘は、世界中の人達のために沢山の力を使ってしまった為に、生命を縮めてしまいます。もともと、金の女神と人間の子供だったこともあって、寿命自体は純粋な神様達のように長くは無かったそうなんです」
お茶を、含む。
「女神の娘が死に、純血の魔物は悲しみます。魔物は純血であるが故に、膨大な量の力と、永久に近い長い寿命を持っていたからです。魔物は、亡くなった娘と永遠に共に生きる為に、泣きながらその亡骸を食べたそうです。魔物は、死した愛する者を食べる事によって、愛する者が死んだ後も、また、魔物が死んでもずっと、愛する者と一緒にいられるのだと言われていたから」
カップを持つヴィルヘルムの手が、ぴくりと震える。
「魔物は、生涯に1人だけしか、肉親以外の愛する者の亡骸は食べないそうです」
魔物が愛するのは、生涯に1人だけ。
「愛する者を食べる時に初めて泣いた魔物は、自分の涙がうっすらと紫がかっていることを、その時初めて知ったそうです」
枕元の、うっすらと紫がかったシミ。
「お爺様に、その魔物は愛する金の女神の娘に会えたのかと聞きました」
『魔物は意味も無く…人は食べないと』
「まだ死んでいないから、会えるかは分からないと」
子供の為に人間や家畜を襲っていた獣型の魔物。
それは、山の中で子育てをする野生の動物達と、何ら変わらないモノなのでは?
「絵本の中では、魔物はまだ亡くなっていなかったので、会えたかどうかは分からないという事だと思います。私のいた世界での、想像上での魔物ですが、私の中では、魔物とはそういうイメージでした」
ふっと笑って、桜が再びお茶を口に含んで飲み下す。
「子育てをしていた獣の魔物にとって、人間は脅威だったでしょう。子供がお腹をすかせるので、ご飯をあげる為に家畜を襲ったのでしょう。圧倒的な力の差さえ無ければ、殺す必要は無かったのでしょう」
直接見ていないから、そう言えるのだとも思えるし、心の何処かで、そうなのかも知れないと頷きたい自分もいる。
「子供の魔物を殺した時に、ヴィルヘルム様の心が傷んだのでは無いかと思うと、私は苦しく感じてしまうのです」
これだけ繊細にお茶の温度に気を使い、美味しいお茶を入れられるヴィルヘルムが、魔物とはいえ、生きているモノの生命を奪って、平気でいれるはずは無い。
ヴィルヘルムは驚いたように瞳を大きくした。
「ありがとうございます。貴女は優しいですね」
ふわりと右手を桜の頬に添えて微笑み、その手と左手の両手で、桜の両手を包み込んだ。
「私の魔力が貴女と繋がることが出来れば、貴女をもっと近くで支える事ができるのに」
側にいる為の理由が、本当はもっと欲しかった。
ーサクラは17歳だと言っていた。
カイと同い年だ。
ならば、10以上離れている私はなれてもせいぜいサクラのおじさんくらいだ。
「あなたのお爺様のお話しは、大変興味深いですね。こちらの魔物も、そのような生態であれば良いのですが」
人を喰らう魔物。
生涯に1人だけしか愛さず、食べないのであれば。
『魔物は意味も無く…人は食べないと』
ミルドが言いたかった事が、今なら正しくわかる気がする。
魔物が食べたのかと確認したとき、彼はとても複雑な顔をした。
それに、枕元の薄紫のシミは、愛する者を失った魔物が、泣きながらその者を食べたからか。
愛する者を食べる時は、その者が死んだ時。
否。
これは、サクラの世界の、想像上の魔物の話だ。
こちらの世界にいる実際の魔物とは違う。
「私も、こちらの魔物がお爺様の読んでくれたお話しの魔物と同じような、優しい魔物だといいなと、思っています」
少し首を傾げて、桜が微笑んだ。