2.カテリーナ・ボリス
披露目の衣装を旅行鞄から出してハンガーを通し、ラックに掛けた。
披露目まではあと3日はあるが、シワ伸ばしは重要である。
用意された赤の間は、ファブリック類をベロア及びシルクの紅で統一し、装飾が金色という派手な設えの部屋だが、カテリーナの好みには合っていた。
レディ・エリザからの依頼通り、ルイーズにも会い、話も聞いた。
エリザからの希望と、ルイーズの希望の二つを同時に叶える事も、難しくは無い。
エリザからはシシリー王国の聖女の排除を。
ルイーズからは、同国の聖女の略奪を。
ーそして、私の希望は…。
ふっと口元が緩むのを感じた。
エリザは、シシリー王家に失態を演じさせたいのだ。
聖女を失わせ、『壁』の補強を不可能にさせ、民衆の王家への失望を招きたい。
ルイーズは、力ある聖女を手に入れる事で、リュイ侯爵家に、他に比類なき力を持つ子が欲しい。
それは、いずれシシリー王家を追い落とす為の布石になるからだ。
『壁』の補強が出来なければ、いずれ『壁』は崩壊し、この世界は人間と魔物が共存する世界になる。
魔物と人間が共存する世界をどのように想像しているのか。
エリザは、力ある者に頼らざるを得無い世界になり、戦闘系魔法の使い手であるリュイ家やセクドルに嫁いだ自分も含め、闘える者が力を持つ世界になると思っているのだろう。
シシリー王家は『壁』を護る色合いが強い家だから、戦闘には向かない。
カテリーナにとっては、エリザの目的も、ルイーズの願望も、そのどちらにも興味は無かった。
ただ、自分が求めて進む道の途中に、彼等の欲しがる未来がある様だったから、貴族に恩を売るのも悪くは無いと思って承諾したに過ぎない。
ー彼等の様な人間の扱いは心得ている。
人の上に立ちたい。
傅かせたい。
君臨したい。
ああいう輩は、ひたすら平身低頭していれば、此方の下心など疑わない。
自尊心が高過ぎて、自分が蔑ろにされるかもしれないなどと、露ほども疑わないのだから。
大事の前の小事。
こんな頭でいいのなら、いくらでも下げてやる。
ー厄介なのは、ウチの王子よね。
エリザは、ある意味脳筋だ。
自分の欲望に忠実で、その為に単純な所があるし、これと決めたら決断は早い。
だが、セクドル王家第一王子であるリーファー・ティニア・フォン・ドゥ・セクドルは、そう単純ではない。
じっくりと観察し、自分の価値観や欲望を完全に廃した上で、正確に事象を読み解いてくる。
その判断までの時間も、なかなか早い。
ー王子様って、甘やかされて育ってて、もっと扱いやすいと思ってたのに。
それに、どうやら先日のリュイ家へのお出掛けも気が付いている気がする。
王子は何も言わないし、態度にも出ては無い。
だが、本能的にというか、不穏な空気がうっすらとあるような…。
ー考えすぎかしら。
取り敢えず、シシリー王国の召喚された聖女にお近づきにならなければならない。
警戒されずに近づき、懐に飛び込みたい。
その為には、初めから警戒される様な事にはなりたくない。
『聖女は、魔素を受け付けない可能性が高い』
ルイーズから得られた情報は、なかなか衝撃的だった。
魔素はこの世界ではあるのが当たり前なモノだし、それが受け付けないとなると。
ー脆弱な。
呼吸すらまともに出来ないではないか。
まさに、『他所の世界から来た者』らしいといえば、そうだが。
ーならば、捕まえてしまえば御するのは容易いだろうか?
しかし…。
召喚されてから二ヶ月に近い。
聖女ならばもうとっくに自分で魔素を浄化できるようになっている可能性がある。
王太子が聖女を傍から離さない為に、今の聖女の様子はあまり窺い知る事が出来ていないらしい。
「まあ、既に魔素の浄化ができるようになっていたなら、普通に攫うだけよね」
私は闇魔法は使えないから、魔素を使った脅しとかは出来ない。
その後の事は、ルイーズに任せればいい。
「私、この時代に生まれてこれた事に感謝してるのよ」
目を閉じて、独り言を呟く。
「千年前、聖女が『壁』を補強してからちょうど千年。再び聖女が召喚されて『壁』の補強が為されるこの時に、他国の…とはいえ聖女としてその場に同席できる。その、邪魔ができる」
うっとりと、カテリーナは何も無い空間に右手を上げた。
「貴方と出会えて、貴方と過ごせる」
ゆらりと、空間が歪む。
「駄目よ。此処では駄目。見つかってしまうわ」
召喚される聖女には、聖なる獣が付き従うと言う。
「まだ見た事は無いけれど、『アイツらは鼻がいい』って、貴方が教えてくれたのよ?」
人間と魔物が共存する世界。
誰にも、言ってはいけない。
誰にも、知られてはいけない。
誰にも、秘密の、私の愛するモノ。
私の求める未来。
それは。
コンコンと、扉を叩く音がする。
「はい」
許可に合わせて、蜂蜜色の髪にロイヤルブルーの瞳の、セクドル王国王太子が入ってきた。
扉は大きく開け放されたままだ。
「荷物の整理は済んだかい?」
さりげなく部屋の中を見渡して、その色合いに驚いているようだった。
「はい。私は荷物はあまりないので」
「…赤いね」
そっとソファの背凭れに手を乗せて、カテリーナを見つめた。
「僕の部屋はここの赤い生地が全て青になった感じだったよ。もし使い勝手が悪い所とかあったら僕に言ってね。レヴィアスにつたえるから」
じっと、緑の瞳を覗き込まれる。
「お気遣い、ありがとうございます。レヴィアス殿下とはゆっくりお話しできましたか?」
久々の再会を楽しみにしているような話を馬車の中でしていた。
「できたよ。こちらの聖女とも会えたし。披露目前にキミも一度シシリーの聖女とお茶の機会とか、取ってみる? 聖女同士話しが合うかもよ?」
ー試されてる?
ふっと、心の中で口角が上がる。
「今は、披露目前でこちらの聖女様も準備が忙しいでしょう。披露目の後、『新しき壁再生の儀』に向けての期間に、もしお声がけ頂けたら、光栄に存じます」
にこりと微笑んで首を傾げると、リーファが面白そうに瞳を細めた。
「ふぅん? じゃあ、その頃時間取れるか、レヴィアスに聞いとくよ。レディの部屋に長居しちゃ怒られてしまうから、これで失礼するね」
開け放されたままだった扉から、リーファはさっさと退室して、扉を閉めた。
ものの5分くらいの来訪に、やはり、何か勘づいているのではとカテリーナは腕を組んだ。
ー大丈夫よ。たとえ勘づいていたとしても、上手くやってみせるわ。
欲しい未来は確かにある。
そして、手に入れる為ならば、この命すら惜しくは無いのだ。
否。
『死』こそが、究極に求めるモノなのかも知れない。
「愛しているわ」
誰に聞かせるともなく呟いて、カテリーナは天井を仰いで緑に輝く瞳を閉じた。