6.魔物の涙
強制的な休暇と称して、国王陛下の前から黒髪に金色の瞳の男に連れ去られてから、2日は経ったと思う。
本当は神殿へ行って披露目とその後の予定について話し合わなければならなかった。
事情は国王陛下が知っているから大丈夫だと言われて、確かに別れ際、国王陛下は満面の笑みで手を振っていたのを確認しているので、そこら辺は大丈夫なのだろうと思う。
連れて来られたのは、どうやら、『穴』の向こう側だ。
男はいとも簡単に空間に指を滑らせて『路』を作ると、恐らくはこの男の城…魔物の国の城へと俺を連れてきた。
『穴』から出てくるのは『魔物』だ。
なら、『穴』を作り出せて、その向こうに城まで持っている者は?
「魔王…とかな」
今は、充てがわれた部屋にいて、豪華なベッドに仰向けに寝転んでいた。
「…しか、無いよな」
結構、大変な事だよな?
陛下公認で、魔王のお城にバカンス?
「……なんで? 俺?」
桜なら、まあ連れて行かれたら困るけどわからなくも無い。
ステイタス『聖女』だし、儀に必要な人材だし、なによりも、使えはしないが大きな魔力を持っている。
だが、何故? よりによって俺?
「いいか」
部屋の外からの聴き慣れない声に、カイは慌ててベッドから起き上がった。
「はい」
魔王(?)に「はい」って返事もおかしい…か?
ちゃんと許可の後に静かに入って来た長い黒髪に金色の瞳の美丈夫に、カイは戸惑う。
「少し話は長くなるが…。お前は私に代わって魔物の代表として儀に臨まなければならないから、そろそろ真実を知って心構えを…」
「ちっちょっと…待って」
「ん?」
ナチュラルに首を傾げられて、でも、確認しなければならない。
「貴方は、誰だ?」
のしかかる沈黙。
「…確かに、そこからだな。本当は桜もいたら良かったのだが…」
そこで、サクラが名指しで出てくるのも分からないが…。
「会わせたい人がいる」
短く言うと、男は今来たドアへ向かった。
部屋から出て、長い廊下を進み、男に置いて行かれないように階段を登ったり降りたり、とにかく豪華な内装に目を奪われているウチに、高い吹き抜けの廊下の突き当たりの背の高い扉の前に立っていた。
男が静かに扉に触れると、扉は外開きにぎぎぎと開かれた。
振り返りもせず、男は部屋の中に入った。
カイも後に続く。
2人が入ると、扉は自動的にバタンと閉まった。
高い天井には落ち着いた照明が少し落とした明るさで灯り、広い部屋の奥には、大きなベッドが置かれていた。
「ただいま。紫苑。槐を連れて来た」
男はベッドに近寄りながらそう言った。
ー誰か寝ているのか…?
カイが慎重に近寄って行くと。
「桜は今日はまだ連れて来れていないんだ」
ー……は…?
そこには、黒髪の20代半ばくらいの女性が眠っていた。
男が話しかけてはいるが、女性は微動だにしない。
「槐。私はお前の父であり、『壁』を護る者でもあり、この魔物の国を統べる魔王、ウォルディアス。そして…」
嫌だ。聞きたくない。嫌だ。嫌だ。嫌だ…‼︎
「この人がお前の」
「嫌だ‼︎」
今まで大人しくついて来ていた槐が急に大きな声を出したので、男…ウォルディアスが驚いて顔を上げた。
「嫌だ‼︎ 聞きたくない‼︎ こんな人は知らない‼︎!」
「そうだな。私が引き離した。お前は知らなかっただろう」
落ち着いた…凪いだ瞳で、ウォルディアスが静かに槐を見つめる。
「だが、間違いなく、彼女がお前の母親だ。紫苑という名だ」
座れ、と、ウォルディアスがベッドの横に置かれている椅子の一つをぽんぽんと叩き、自分はその横の椅子に腰をかけた。
「引き離さなければならなかった。全てを説明したい。全ては、この世界の為に」
「俺の母さんは」
「あの者は、ルドヴィアが息子を育てる為に選んだ人間だ。あの者も勿論、お前が自分の子供ではない事を知っている」
癇癪を起こしても、此処は人間の世界では無いのだ。
部屋を飛び出してみたかったが、扉の開け方すら分からない。
ールドヴィアは、国王陛下のファーストネームだ。国王陛下は魔王と親交があった…?
それに、この流れだと。
「サクラと俺は、兄弟なのか?」
先程から、この男は度々サクラの名前を口にする。
違う世界から来たはずのサクラと血縁にあるとは考えにくいが、彼女がもとはこちらの世界にいたと考えれば、精霊王の祝福も説明が付く。
「そうだ。桜はお前の双子の妹だ」
魔王の子なら、桜の持つ底無しのような大量の魔力も納得がいく。
だが、属性が無い事が、気にかかるが。
「お前は、千年前にこの世界の『壁』を補強した聖女 紫苑と、魔王である私の子供だ」
ウォルディアスは愛おしそうに、ベッドに横たわり眠り続ける女性の白くほっそりとした手を取った。
「俺は、魔王を継げるほどの力は無いよ」
嘆息を吐いて、椅子に座る。
眠り続けるかつての聖女は、何処となく面影がサクラに似ているように思った。
「桜の中に、お前の魔力を使って封印を施している。お前の魔力は、桜の魔力の封印が解けたらお前の中に戻って来る」
「は?」
何その他人の魔力預かってますみたいなの。
「じゃあ、サクラが魔素に耐性が無いのは?」
「封印さえ解ければ、桜自身の光魔法が作用して、勝手に魔素を取り除く様になるだろう」
あんなに大変だったのに。
「…いろいろ不手際がありすぎじゃ無い? サクラ、危うく死ぬところだったんだよ」
怒ったり、許せなかったり。
そんな感情よりも、カイは呆れてしまった。
拒絶しきれない。そんな気持ちも、もしかしたら何か繋がりを感じているからなのかも知れない。
「それは…ルドヴィアにも聞いた。本当は、私があちらの世界から一緒に連れて来る予定だったんだ。一緒に来れなかった説明もしたいし、お前をルドヴィアに預けた理由も、説明したいし、聞いて欲しい」
朴訥とした受け答えが、人馴れしていない感じを伺わせる。
聖女が母なら、少なくともウォルディアスの齢は千歳を超えるはずだ。
おそるおそる、カイが訊ねる。
「俺って、17歳?」
聖女と紹介された母、紫苑は眠ったままだ。
いつから眠っているのかは分からないが、少なくとも、彼女もその齢は千歳を越す筈だ。
「…17歳だな。生まれてからは」
嫌な予感がする。
「生まれてから一度、お前と桜は…」
「17歳って事が分かれば、今はいいから」
続きを聞くのが怖くて、遮ってしまった。
ウォルディアスと紫苑が千年近く一緒にいる事を考えれば、自分やサクラがまだ17歳である事が遅過ぎると思ったのだ。
「…わかった。今は言わない。ルドヴィアから聞いたが、お前は他人のステイタスが見えるな?」
落ち着いた朱金の瞳は、どこまでも凪いでいる。
「ああ」
「その能力は、本来神しか持ち得なかったものなのだ。私も持っている。私も女神の血を引く者だから」
驚くカイに、ウォルディアスは言葉を続ける。
「…正確には、女神と人間の混血だった母から引き継いだ能力だ」
魔王なのに、神様の血も引いてるって。
どこから聞けばいいのか分からない。
「…俺の他にも、世界にはきっと何人かはこの能力を持つ人がいてるよ」
「不思議はない。皆、恐らくは神の血を引いた者だ」
カイは、言葉を失った。
遥か昔、神々と人々は一緒に仲良く暮らしていた。
そんな神話が、頭を過ぎる。
「黒髪に黒い瞳も、魔物の血を継ぐ者だ。次の子に出たり出なかったりするから、人間達はまるで神から選ばれた子だけが黒髪に黒い瞳を持って生まれ、強い魔力を持つような事を考えるようだが、何の事は無い。ただ、世代をいくつか挟んで強く魔物の血が出ただけだ」
そう言う事を、ウォルディアスと親交のある国王陛下はご存知なのだろうか?
ーきっと、知ってるんだ。
知っていて、黙っている。
俺の事も、サクラの事も、『穴』の事も。
他にも、きっと、たくさん。
「どうして、オレは里子に出されたみたいな事になってたの?」
何処から聞けばいいのか分からないほど、疑問があった。
だが、まずは自分から片付けようと思った。
「お前が、私の子供だったからだ。たった17の歳で、魔王として儀に臨まなければならなかったから。魔物の事は私の血を色濃く引くので本能で理解できるだろうが、人間の事は恐らくは共に暮らさねば理解出来ないだろうと考えたからだ」
儀に臨む者には、魔物と、人間と、神の、三つ全ての立場を理解出来るコトが求められる。
足りないピースは、『神』。
「神は…早々に壁を作って去ってしまったし、恐らくは今回も壁を壊さないだろうから、神殿にある神話程度を知っていれば良い」
…雑?
「他には?」
「聞きたい事は山ほどあるよ。だけど、あり過ぎて…」
急に膨大な状況説明とか事情とか言われても、今まで普通の人間だと思って過ごしていたのに、困ってしまう。
「…慌てなくて良い。ルドヴィアには時折りお前を借りに行くと言ってある。儀までに、理解してくれれば良い」
ふと、思う。
「サクラの封印は、早く解かないと魔素を受け付けられないのは危険だよ」
ウォルディアスの金の瞳が、少し苦しげに細められた。
「それに、本能的にと言っても、魔物の事はオレもわからないよ。…教えて欲しい」
驚愕に見開かれた金の瞳が、うっすらと優しい光を宿す。
「桜の封印は、私から事情を話してから解きたいと思っている。でなければ、強大な魔力に、あの子が困惑してしまうだろうから。我ら魔物の事は…勿論。人との関わりの初めの頃から『壁』が出来るに至るまで、又、『壁』が出来てから今までについても、全て話そう」
にわかに現れた父親と母親。
元々いないと思っていた父親が現れて、元々母親だと思っていた人は本当の母親では無かったけれど、自分を大切に育ててくれたひとだ。
寝たきりの聖女が母親だという実感はまだ無いが、違う世界にサクラを連れて行ったり色々大変だった事は窺い知れる。
いらなくて、捨てられた訳では無く、事情があって手放さざるを得なかったのなら。
「宜しくお願いします」
カイは右手を差し出した。
ウォルディアスは自らの大きな右手をそれに重ね、ベッドに横たわる母親の手と共に握りしめた。
無言のまま聖女を見つめるウォルディアスの頬には、うっすらと紫がかった涙が一筋、流れて落ちた。