5.被害者
魔物に娘を食べられた母親が、泣く泣く役所に訪れた。
ヴィルヘルムはたまたまお茶を買いに街におりていたので騒ぎを聞き付け、役所に拠っていた。
役人と一緒に案内されて確認に行くと、部屋には大量の血と、幾つかの爪と髪しか残されていなかった。
「娘は病に臥せっていたので、きっと死が近い匂いがしたのでしょう」
涙ながらに、娘の死に目にすら逢えなかった事を訴えてくる。
「ヴィルヘルム様、どう思われますか?」
役人に意見を求められ、ふっと、ヴィルヘルムは娘が横になっていたであろう血だらけのベッドに散る、赤い薔薇の花びらを見つけた。
「娘さんに、お付き合いされていた方は」
お見舞いの花だろうか?
しかし、赤い薔薇は、ただお見舞いと言うよりは、恋人達の逢瀬を思い起こさせた。
「…私には言いませんでしたが、いたようです。夜中に会いに来ていたようで。ついに最後まで、その場を押さえる事は出来ませんでしたが」
ならば、今夜にでも会いに来て娘の死を知るのだろうか。
その瞬間の胸中を思うと、見ず知らずとはいえ胸が痛い。
「もし、相手の方が来られたら、お母様から伝えるおつもりですか?」
他に見落としが無いか、部屋の中を見て回る。
と、娘のベッドの枕元のシーツに、うっすらと少し紫がかったシミが見つかった。
「もしも、娘の死を私に聞いて来たなら」
泣きながら、気丈にも母親は答えてくれた。
ーまあ、聞いて来なければ、伝えようも無いだろうしな。
ところで、この紫がかったシミは何だろう?
ー魔物のヨダレ…? とか、嫌だなぁ。
隣家に話を聞いても、悲鳴も聞こえず、魔物らしき姿も見てはいなかった。
『取り敢えず報告を上げます』と、役人が帰ろうとするので、ヴィルヘルムも一緒にお暇することにした。
『このお茶は取り引き禁止になったから、もう飲まない様に』
ある日、突然美味しい大好きなお茶を取り上げられて、ヴィルヘルムは仕方無く違う茶葉を買いに街にでていた。
お気に入りの店は臨時休業のフダが下がり、中は真っ暗で人気は無かった。
その横暴な命令も、国王陛下からだと聞けば、了承せざるを得ない。
ー魔物が出たのなら、新たな『穴』があいたのか。
しかし、そのような報告は今のところまだ無い。
ーまたは、以前に空いた『穴』からこちらへ来て、『穴』を固定しようとしていた奴か。
あの『穴』は、出入りした形跡があった。
出てきた奴が既に『穴』から魔物の世界に戻っていたのではとは、平和過ぎる考えなのでは。
「ヴィルヘルム様」
不意に声を掛けられて、ヴィルヘルムは振り返った。
「お店を少し閉めている間に浮気とは、哀しいですね」
ぶら下げたいつもとは違う店のお茶の袋に、ヴィルヘルムははっと袋を持ち上げた。
「国王陛下の命令で、あの茶葉は飲めなくなったんだ。何か心当たりはない?」
私だって、買いたくて他所の茶葉を買ったわけじゃ無い。
すると、店主…ミルドが眉を下げた。
「…大変申し訳ありませんでした。何やら、入ってはいけない茶葉が紛れ込んでいたようで、役人からも注意を受けてしまいまして。代わりと言っては何ですが、折角此処でお会いしましたし、少し寄って行かれませんか? 店では無く二階の自宅兼倉庫の方ですが」
店は、暫く営業停止を言い渡されて、開けられないらしい。
「是非」
ヴィルヘルムの頭にぴょこぴょこと耳が、お尻にはふさふさした尻尾が生えた様に見える。
ミルドは優し気に漆黒の瞳を細めて苦笑し、店の裏口へとヴィルヘルムを誘った。
「魔物が」
「そう。大通りからは少し外れた家だけど」
お茶の用意をしながら、ミルドが驚いた様に顔を上げた。
「気を付けてね。此処から近いから」
「…心配して頂いて、ありがとうございます。砂糖は今日も入れないですか?」
「うん」
かちゃりと湯気の立つお茶を手元に置いてくれる。
「今日焼いた桃のタルトがあるんですよ。切り分けるので少し待ってて頂けますか?」
「ありがとう」
入れたてのお茶の香りは、シシリー王国原産の、国民なら誰でも一度は飲んだ事のある香りだった。
「ミルドさんは黒髪に黒い瞳だから、魔力も相当強そうだよね。何故お茶のお店をしようと思ったの?」
何気無く、尋ねてみる。
かちゃかちゃと奥から聞こえて来る音が、近づいて来る。
「はい?」
「何故お茶のお店の店主さんになったの?」
どうやら聞こえなかったらしい聞き返しに、改めて尋ねた。
「…そうですね。皆さんの、喜ぶ顔が見たかったから…かな?」
そう言ってにっこりと笑った顔が本当に優し気で、ヴィルヘルムはミルドが本当にこの仕事が好きなのだと納得した。
「ヴィルヘルム様は、どうして魔道士になられたのですか?」
質問を逆に返されて、うっと言葉に詰まった。
「食べて行くのに、これしか芸が無かったからだよ。お恥ずかしながら」
黒髪に黒い瞳は、当然相当の魔力を周りから期待される。
両親とは違う色で生まれた事で、父親からは疎まれたし、自分の所為で両親は離婚した。
特別な色である『黒』は、良くも悪くも周りの環境に影響する。
「母を養う為にも実入りの良い仕事を探さないといけなかったしね。たまたま王宮の前魔道士長…私の師匠に拾われて、一から教えてもらったんだ」
桃のタルトにフォークを入れると、全く抵抗無く柔らかい生地がさくっと割れ、土台のクッキー生地で少し抵抗があったがあっとゆうまにフォークは皿に到達した。
「それは大変でしたね。今は、仕事は楽しいですか?」
ヴィルヘルムがフォークに刺したタルトを口に運ぶ様子を穏やかに見守りながら、ミルドが尋ねる。
はむっと口に含むと、表面に塗ったシロップの甘みと、焼いて更に甘くなった桃の実の味がじっとりと口の中に広がる。
「んー。そうだね。素晴らしい人間関係の中で働ける上に、職務時間中に少しくらいは寄り道出来る地位も手に入れてるし、いい感じに楽しみながら仕事出来てるかな」
何より、神殿に捕まらなかったのが幸いだ。
神殿なんかに捕まったら、安い賃金で馬車馬の様に働かされていたかも知れない。
神殿は、人使いが荒い事で有名だ。
「ところで、魔物の事をお聞きしても良いですか?」
ミルドの意外な問い掛けに、ヴィルヘルムは口の中の桃のタルトをお茶で流し込んだ。
「どうぞ」
「魔物は、喰べたのですね?」
人を、と言う事が憚られて濁したのか。
「そうだね。恐らくは」
「…そうですか」
すっと茶器を口元に持ってきて、ミルドは複雑な顔で一口お茶を飲んだ。
「それだけです。ありがとうございます」
かちゃりと、茶器をテーブルに戻した。
「…今の質問の意図を聞いても?」
静かに聞いてみると、首を傾げていつものように優しく微笑んだ。
「人から聞いた話ですが、魔物は意味も無く…人は食べないと」
慎重に、選ぶ様に。
「その言い方だと、意味があれば食べても良いみたいに聞こえるね」
ひやりと、ヴィルヘルムが言い放つ。
「…そうですね。忘れて下さい。どんな意味があろうとも、残された家族や友人にとっては許せない事です」
人間にとっては。
そう、聞こえた気がした。
ーならば、食べられた本人は?
本人が、食べられたいと思っていたなら?
「誰から聞いたの?」
人から聞いたとミルドは言った。
ならば、それは誰だ?
「忘れて下さい。こんな恐ろしい見解は、口にするべきでは無かったのです」
「答えて。貴方にそう言ったのは、誰⁈」
なおも言い募ろうとするヴィルヘルムを避ける様に、ミルドは席から立ち上がった。
「すみません。聞かなかったことにして下さい。貴方とは、このままもう暫くは、友人でいさせて欲しい」
哀しげに歪んだ顔に、ヴィルヘルムははっと言葉を失った。
「…悪かった」
座って欲しいと、ヴィルヘルムはミルドの手を引いた。
気不味い沈黙の中、ヴィルヘルムは出された桃のタルトを最後まで綺麗に食べ終え、静かにお茶を飲み干した。
「先程は失礼してしまった。大変美味しかったし、また是非、拠らせて、欲しい」
声に、顔を上げてヴィルヘルムを見ると、いつもはぴんと立っている耳と尻尾がしおしおと垂れている、様に見えた。
「私の方こそ、これからも友人でいて欲しい」
席から立ち上がり、右手を出す。
そのあまり日の光にあたらない白い手に、ミルドは恐る恐る自らの手を添えた。
「聞かなかったことにはしない」
咄嗟にひこうとするミルドの手をぐっと握り締めて、握手する。
「だけど、いつか、話せる時まで待ってる」
ーきっと、ミルドにそう言ったのは、魔物だ。
ヴィルヘルムの漆黒の瞳は険しく光る。
ー魔物は、思いの外近くにいるのか、それとも…。