4.練習は秘密です
「サクラは私に背中を向けて立って。右手を上に。で、左手は後ろで私の力を受け取って…」
ふんわりと、小さな光る花が、私の右手から出現し、次の瞬間。
「あっ」
王太子の部屋の中全体に、ポンポンポンッと同じ光る花が沢山現れた。
出現する瞬間、間違い無く私の中を熱い何かが通り抜ける感覚があり、思わず声が出る。
ふんわりと優しく金色に光る花は、よく見ると花びらが幾重にも重なり、とても美しい形をしていた。
「どうだ? 魔法式は私のものだが、サクラの力で増幅してるから、花に触れて感じる力は、サクラの力であって、私の力では無い」
ややもすると、花は幻だったかのように消えていった。
「…すごいです。これ、本当に私の中の力を使ってやったのですか?」
掌の中にある一際大きな一輪は、まだ消えずに残っていたが、徐々に光は弱くなっていた。
「ほんの少しだけな。サクラの力を使えば、出来る事はこんなもんじゃ無いな。きっと、もっともっとすごい事が出来る」
言った後のレヴィアスの横顔が、少し寂し気に見えた。
「レヴィアス様?」
心配になって声を掛けると。
「ん?」
にかっと笑って、レヴィアスが振り向いた。
「消えちゃったな」
言われて手元に視線を移すと、確かに、先程まで温かく感じていた光る花は、跡形も無く消えていた。
「大丈夫ですか?」
言葉に、
「何が?」
と首を傾げる。
ー淋しそうに、見えたから。
そう思うが、言えない気配を感じた。
「なんでも」
桜はかわりに、首を振って微笑んだ。
「当日失敗しないように、何回か練習しましょうか」
笑顔でいって、レヴィアスに背を向けて立ち、右手を高く上げ、左手を後ろにいるレヴィアスに振り返らずに差し出した。
「宜しくお願いします」
後ろが静かなので、レヴィアスの様子を見ようと振り返ろうとすると。
ふっと、後ろから抱きすくめられた。
「⁈」
「このまま」
耳元で、レヴィアスの声と息遣い。
「レヴィアス様⁈」
焦って首に巻きついている右腕に手を掛けるが、レヴィアスの右腕は桜の首に、左腕は桜の身体を羽交い締めにしたままびくともしない。
「…元の世界に、帰りたくなったりしないのか」
問い掛けに、桜はばくばくする心臓の音を聞きながら、答える。
「まだ、今は何もやり終えていないから」
今日は秘密特訓だと言っていたから、カイも、ヴィルヘルムも、アーダルベルトも、部屋にはいない。
「儀式をやり終えた時、もしかして、サクラ自身が生きていなくては、無事に帰れはしない。怖くは無いのか?」
問い掛ける声は、やはり少し淋し気だ。
「…怖いです。もしかして、生きて帰れなくなったなら。今も私を待ってくれている祖父に、最後の挨拶ができないかもしれない事が」
確かに、儀式は危険は無いと神官は言っていたが、千年に一度の儀式なら経験者はいない。
儀式が危険では無いと言う、根拠は無いだろう。
ぎゅっと、レヴィアスの腕に力が入る。
「挨拶…。祖父殿がいてるのか」
「父方の祖父が。父は早くに亡くなってしまったから、私はお爺様に育てられました。きっと今も心配してくれています」
「父方…。それは、元気そうだな」
「?」
「いや…」
レヴィアスが口籠る。
「儀式は、危険なモノでは無いと神官様も仰っていましたし、レヴィアス様や沢山の方々が一緒です。それに、レヴィアス様は私を還せると仰いました。今は、やるべき事に集中していますし、お爺様の事は気にはなりますが、大丈夫です」
お爺様はお父様が亡くなった時も、落ち込む日はあったが、寝込んだり倒れられたりする事は無かった。
無事だと伝えられ無い事が歯痒いけれど、役割を果たした後帰れるのなら、帰ってから沢山心配をかけてしまった事を謝るしか無い。
それに、儀式は1人で行うのでは無い。
レヴィアスも、ヴィルヘルムも、カイも、アーダルベルトも、それに、他国からの有志の人達も助けてくれる。
「…今日の練習はサクラの力を使ったし、もうお終いにしよう」
ふっと、レヴィアスの腕が離れて、桜は自由になった。
「お疲れ様」
くるりと向きをかえて向かい合うと、レヴィアスが桜の両肩を掴んで言った。
「…ありがとうございました」
練習と言っても、こちらは主にレヴィアスの練習だ。
力加減も魔法の種類も、レヴィアス次第。
「そう言えば、今日はヴィルヘルムの魔法の講義も受けるのか?」
最近増やしてもらった講義が、今日から始まるのだ。
「はい。お昼をいただいた後からで、ヴィルヘルム様にお時間を取って貰っています」
レヴィアスには、私が持っているらしい6種の祝福の意味と、本来ならどの様に使いこなすのかの授業をヴィルヘルムから受ける旨知らせている。
ヴィルヘルムには闇の精霊の祝福は無いので、闇の精霊の祝福についてはカイからお話しを聞く予定だ。
「此処でやればいいのに」
レヴィアスが執務机につきながら、口を尖らせる。
不満気な顔に苦笑して、桜が自分用に用意してくれた机についた。
「講義の際に魔法を見せて頂くので、多分レヴィアス様の執務にご迷惑をおかけする事になると思いますので、私から魔道士塔での講義をお願いしたのです。横で風がおこったり急に光出したり燃えだしたりしたら、お仕事の邪魔になるかと」
「気にしない」
「私が、気になるので」
にーっこりと微笑んで、首を傾げた。
「…気にしないのに」
実は、講義だけでは無いのだ。
レヴィアスには秘密で、実際に桜自身が魔法を使えるようになる為の方法を模索する時間を取りたくて、ヴィルヘルムとカイに協力をお願いしたので、レヴィアスの部屋では勿論出来ないし、見せられないのだ。
ーさっきのレヴィアス様、少し様子がおかしかった様に思うけど…。
まるで、死ぬかもしれない、帰れないかもしれないと仄めかしていたような…。
ーそれに…。
あのばくばくとした心臓の音は、レヴィアス様のモノだった…?
あまりにも近いから自分の心臓の音かと思ったが、落ち着いて感じてみれば、桜の音では無かった。
何を、そんなに恐れていたのだろう。
淋しそうな横顔。
高鳴る心臓。
あの行動は、自らの顔を見られないためにしたのでは。
ーレヴィアス様は、私達には話さない『何か』を抱えているわ。
やり残した書類処理を始めたレヴィアスの姿を見つめながら、桜は考える。
だけど、彼から言ってくれるまで、こちらからは何も言わない方がいいような気がする。
彼が何も言わないのは、まだ言うべき時では無いと思っているからだろう。
「あんまり見つめられると、仕事に集中出来ないのだが」
視線を合わせずにレヴィアスが言う。
桜はぱっと机の上に転がっていた貴族名鑑を開いた。
「勉強します」
「宜しい」
ややもしたら、きっとアーダルベルト様が新しい書類を持って来る。
レヴィアスと2人だけで過ごす時間は、初めこそ慣れず窮屈に感じたが、今ではむしろ落ち着く空間になった。
ー私、此処が好きだわ。
まだ、此処に来て一ヶ月になろうかってくらいしか経ってないけれど。
ーそういえば、一ヶ月くらいか…。
あの日、学校の帰りに行くはずだった所。
毎月、この日だけはお爺様と行っていた場所。
ー月命日のお参り、暫く行けないわね。
貴族名鑑の絵姿とプロフィールを見ながら、ぼんやりと意識は元の世界を思い浮かべる。
『…元の世界に、帰りたくなったりしないのか』
先程のレヴィアスの言葉。
ー帰りたくなる時って、こういう時よね。
大丈夫。
私、頑張ります。
お父様。
お爺様。