2.魔導士の秘事
「魔素耐性:無」
死ぬ。
召喚直後、苦しみ出した聖女に慌てて駆け寄りながら確認したステイタスの中の文言に、カイは驚愕と焦燥の中で自らの幼馴染に正確な指示を出した。
魔素を取り除くのは、光魔法の中ではそう難しい魔法では無いらしい。
だが、光魔法を使える者が限られる中、あの場では王太子にしか出来ない事だった。
カイには、光魔法は使えない。
光属性が無いのだ。
あるのは、四大精霊の属性と闇魔法の属性に、その上級精霊の祝福。
カイの闇属性は対外的には秘匿事項で、魔導士長しか知らないが。
師匠にあたる魔導士長なら、魔素を取り除けたのだが。
近々帰城予定の魔導士長は、四大精霊と光の属性を持っている。魔導士長は王太子が幼い頃から城で魔導士長をしているらしく、年齢不詳、正体不明な所はあるが、見た目年齢は30代半ば、人当たりの良い温和な雰囲気を纏ったカイの上司だ。
カイが王宮に勤め出した頃から寸分変わらぬ姿であるから、30代半ばの見た目もあてにならないと思っている。
突然召喚の間全体を包み込んだ光に、カイの思考は一瞬中断を余儀無くされた。
何が起こったのかと輝く聖女に瞳を凝らし、その場の空気が一瞬にして質を変えた事に気がついた。
魔素が、無くなった。
自身の中の魔力量が他の者よりも多い自負はあるが、いざ魔法を使うとなると、大気中の魔素から得られる助力は貴重な存在だ。
上手に使いこなせば、自らの内包されている魔力をほとんど使わずに生活魔法などは稼働できるからだ。
だが、今、自分たちを取り巻く大気の中には、一欠片の魔素も無い。
否。たった今、あの光に包まれた瞬間に無くなったのだ。
ーどういう事だ?
疑問に思い、カイは原因と思しき少女の中に残る魔力に触れる。
「魔力干渉・解析」
それは、高度な上級魔法であり、安易にしてはならないモノでもあった。
だが、少女の魔力に触れた瞬間、大量の情報がカイの中に流れ込んで来た。
驚きに、瞬時に干渉を切った。
見たことも無い、巨大な建物がいくつも存在する世界。
恐らく魔法など無い、使わない世界。
火も、風も、水も、大地にすら、精霊の気配の無い世界。
これは、召喚される前に少女が生きていた世界の映像。
永遠の様に感じられる程の記憶が流れ込んで来たが、それはほんの一瞬の出来事だった。
ー恐らくあの瞬間、僕はこの少女の生命と繋がったんだ。
魔力だけに干渉した筈が、彼女の生命と繋がった。それは、恐ろし結果を導き出す。
ー彼女の生命は、魔力と繋がっている。
そして、魔素耐性が無い理由に思い当たる。
そもそも、魔法の無い世界で暮らしていたのだ。魔素も恐らくあの世界には無かったのだろう。
垣間見たあの世界に住んでいたのであれば、分からなくも無い。
王太子の部屋のベッドに横たえられる少女に、改めて「ステイタス 解析・鑑定」を行う。
見た事の無い紋章の数に、カイ・リシューは一瞬言葉を失った。
火、水、風、土、光、それに闇。
全ては神々しいまでに美しく複雑に描き出された其々(それぞれ)の精霊王のモノだった。
色も、どこまでも深く澄んだ美しい色で、精霊王達其々の力其の物を刻み込んだ祝福の印。
それに、もう一つ。
見た事の無い、より複雑で美しい其れに、カイは息を呑んだ。
ー何だ? この紋章は。
他の6つの紋章よりも抜きん出て力を持つ様に感じられるその紋章は、カイが今までに見た事のない紋様をしていた。
一瞬、レヴィアス殿下に伝え掛けて、口を閉ざす。
「ステイタス:聖女」
それは、間違いなく記載されていた。
だから、即座に王太子に伝えた。
だが、あの何か分からない紋章については、師匠である魔導士長が城に帰って来てから確認しても良い筈だ。
不確定な内容は、確定的な内容として王太子に伝える事は出来ない。
今は、悪戯に王太子を混乱させたく無い。
少女の側に寄り添ったまま政務を行うと言うレヴィアスに、カイは静かに頷いた。
「書類を積んだり少しの書き物なら出来るくらいの小さな卓を殿下のベッドの側に1つ持って来てください。あと、聖女様が殿下のお部屋にてお休みになられています。なるだけ音を立てない様、静かにしてあげて下さい」
廊下に出て、部屋の前に控えていた王太子付きの侍女に小さく微笑みながらレヴィアスの指示を伝えると、侍女はにこりと微笑みを返して来た。
「では、聖女召喚の儀は成功されたのですね。おめでとうございます」
彼女も、王太子が小さな頃、僕が幼い頃からの顔見知りだ。
ベリア・フォン・ガルシアは、ガルシア子爵家の令嬢だ。侍女とはいえ、王族に仕えるには確かな出自と教養が求められる。確か、カイとレヴィアスより10は歳上だ。
室内に気を使った小さな声でのお祝いの言葉に、少し照れてしまう。
聖女召喚の儀は、今日行われる事が何年も前から決まっていた。
「天に昇る二つの赤い月が重なる時」に行わなければならなかったからだ。
だが、このタイミングで、この国の成り立ちに大きく関わる聖地に『大きな穴』があいたとの緊急の使者が来たのだ。
魔物が出入り出来てしまう『穴』は、もう何年も前からこの国のみならず、この世界の全ての国々の王達、ひいては国民達を悩ませていた。
魔導士長でなければどうにも出来ない規模の『穴』だと判断したのは、魔導士長自身だった。
自分1人で行ってくるから、聖女召喚はカイに任せた。
そう言って、まるで近所にお使いに行くかのような穏やかな表情で出立したのだ。
何年も前から準備していたし、やる事はお前も部下達も知ってるんだから、私がいなくても大丈夫だろう?
ー師匠。
まさか召喚された途端に空気すら毒になってしまうような聖女がやってくるとは思ってもみなかったんでしょうね。
小さく目眩を覚えながら、それでも初めての大きな仕事を為し終えた事を祝ってくれる姉ような存在に、カイも表情を緩めた。
「ありがとうございます。お陰様で無事聖女様を召喚することができました。少し訳ありな方なので、召喚の間の片付けをしたら、また直ぐにこちらへ帰って来ます。半刻程で戻れると思いますので、もし殿下に聞かれたらそのように伝えて下さい」
「承知いたしました」
召喚の間へ戻り、痕跡の解析を済ませる。
繋がった世界の気配を少しでも拾えないかと隅々まで解析をしたが、何も拾う事はできなかった。
僕たちが出て行ってから既に多くの者が出入りしたであろう召喚の間は、それでもまだ少し魔素が薄いように思われた。
「王太子が寝ている間に、魔素の濃度に気がつく事ができる者が側に必要だ」
背後からの声に、カイは驚いて振り返る。
部屋の出入り口近くから歩いて来る大柄な男。
黒光りする艶やな漆黒の鎧に身を包んだ美丈夫に、カイは安堵の息をついた。
「アーダルベルト様」
レヴィアスを護る騎士団の中でも最強の魔法騎士団長、アーダルベルト・フォン・フリードリヒ。 フリードリヒ公爵家嫡男。騎士団の中でも信頼は篤く、信用に足る方だ、と思っている人物の内の1人である。同い年同士のレヴィアスとカイよりも3つ程歳上だ。
「他に気が付いた者はいなかったと思うが。なんなら私が交代要員として加わろうか」
心配気に近づいて来るアーダルベルトに、カイは首を左右に振った。
「お心遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。これから私が付き添います。アーダルベルト様にはアーダルベルト様の責務がありましょう」
申し出に礼を言い、丁寧に遠慮する。
魔法騎士には、城の守護に始まり、国境の結界、城下の怪しい魔法使いの取り締まりまで、大小様々な任務がある。最近では度々姿をあらわすようになった魔物の討伐も魔法騎士の任務だ。
魔法騎士団は、騎士の中でも特に魔力量が多かったり、攻撃魔法が強かったりする者が選抜される、騎士団の中でも選りすぐりの集団なのだ。
いくら王太子の睡眠確保、聖女様の生命維持に重要な任務であっても、「魔素の濃度感知係」なんて地味な仕事はお願い出来ない。
「カイ殿にはカイ殿の、魔導士長殿が居ない穴を埋める重要な役割がある。昼間の仕事を熟しつつ、王太子殿下と聖女様の睡眠時、寝ずの番を魔導士長殿が戻られるまで1人で続けるのは無理があるのではないか?」
多くの任務を抱えるのは、貴方も一緒だ。
頼って欲しい。
優しさに、カイは言葉を呑み込んだ。
「…ありがとうございます。では、アーダルベルト様のお時間が大丈夫であれば、今から殿下のお部屋にご一緒頂けますか?」
「よろこんで」
にこりと涼やかな目元を細められて、カイは少し恥ずかしくなった。
男であっても憧れる程、素晴らしい実力者だ。
あまり近くに来られるのは落ち着かない。
師匠。早く帰って来てください。
召喚の間の薄暗い天井を見上げて、カイ
は小さく嘆息を吐いた。