1.召喚されたら5秒で死にかけ⁈
保険でR15設定にさせて頂きました。
何これ⁈
あまりの息苦しさに、私の両手は無意識に自分の喉を掴んだ。
吸っても、吸っても、吸っても。
呼吸が出来ている気がしない。
むしろ、空気が入れば入る程、肺胞がチリチリと焼け爛れていくような痛みが増してくる。
このままだと死ぬ‼︎
声にならない絶望。
苦しくて、苦しくて。
意識が遠退くのが、まるで救いのようだった。
この苦しみから、逃れられる。
突然、見たことない世界で、見たことない装いの人達に囲まれて、その人達の歓声を聞いた。
こちらは、いきなり見たこともない薄暗い石造りの建物の中に連れ込まれた? ような状態で戸惑いしか無いというのに。
だが、魔法陣の様な模様の描かれた床に立ち尽くしていた私は、呼吸をしようとした次の瞬間。
当然、無味無臭の普通の空気を肺に取り入れられるだろうと思っていた自分の愚かさを呪うことになる。
私が喉を押さえながら膝をつき床に倒れると、歓声は戸惑いの声に変わり、どよめきに悲鳴が混じった。
白く長い衣を着た人が慌てた感じで私に駆け寄って着た気がする。
だが、私が意識を保てたのは、そこまでだった。
「魔素の浄化が必要です‼︎」
澱んだ召喚の間の空気が、切羽詰まった魔導士の声によって大きく震える。
「レヴィアス殿下‼︎」
「わかった」
既にくたりと力を失った聖女の上半身を抱え上げ、私は急ぎ光魔法を発動する。
時間が無いので、無詠唱で聖女の身体の隅々まで魔素を取り払う様、力を込めた。
魔法が効き始めたと感じた次の瞬間。
バシュン‼︎
聖女の身体の中で何かが弾けた様な音がし、部屋全体が目を開けていられない程の光に包まれたのだ。
「⁈」
聖女を取り落とさぬ様にぎゅっと抱き締めながら目を固く瞑り、暫くそのまま動けなかった。
聖女の身体から発せられた光は部屋を隅々まで照らし出し、暫くすると少しずつ収まった様だった。
うっすらと瞳を開けて、まず、未だ気を失ったままの聖女を確認すると、呼吸は落ち着いている。
ほっとして、部屋を見渡す。
「王太子殿下。大丈夫ですか?」
直ぐ近くにいる城の魔導士・カイが、心配そうに私に声を掛けた。
「…大丈夫だ。しかし…」
「気づかれましたか」
言い淀むと、カイが小さく頷いた。
空気の中に、魔素が全く無いのだ。
そんな事はあり得ないはずだった。
しかし、あり得ないはずだが、確かに今、吸っている空気の中に魔素は全く無かった。
「私はやって無い」
呟きに、カイが押し黙る。
「…詳しい検証は、取り敢えずこの場をお開きにしてからにしよう」
「畏まりました」
聖女を横抱きに抱えて立ち上がり、周囲にて遠巻きに自分達を見守る者達を見渡す。
「皆も見た通り、無事、聖女召喚は為し終えた。千年の刻を超えて、再びこの地に聖女を召喚し得た事は、我が国にとって喜ばしい事であり、大きな希望だ。魔物の襲来が増えた昨今だが、このことが、平穏を取り戻す為の大きな一歩となるだろう」
城の地下に位置する召喚の間に、聖女召喚に立ち会った魔導士達、貴族達の歓声が上がる。
地下ゆえのいつもなら澱んだように感じる冷ややかな空気が、少し清浄なものに感じる。恐らく、魔素が無いからだろう。
今この間に居る人間のうち、いったい何人の者が、今、自分達の吸っている空気に魔素が無い事に気が付いているだろうか?
「聖女の披露目についてはまた後日知らせることとする」
部屋から出ようとすると、カイが扉を開けた。
「常に浄化しながら進んでください。どうやら、聖女様の身体は魔素を取り込めないようです」
小さな声で、私にだけ聞こえるように言う。
魔素が無くなったのは召喚の間だけだったようで、部屋から出た途端に聖女の呼吸が弱くなる。
慌てて、今度は小さく聖女の頭周りのみ、魔素を取り除くように光魔法を施す。すると、今度は聖女の身体を包み込むように金色の光がうっすらと拡がった。
「どうやら、今回は上手くいったようですね」
カイの表情がほころび、自然と私も微笑んだ。
「力の加減が要るようだ」
魔導士の塔の召喚の間を出て、王宮の自室まで聖女を連れて来て、ベッドに寝かせると、私はほっと一息ついた。
落ち着いて聖女の寝顔を見ると、顔に掛かっている艶やかな黒髪をそっと顔の端に寄せる。
「改めて、鑑定を行いますがよろしいでしょうか?」
カイの質問に、頷く。
「頼む」
カイは聖女の手を取り、鑑定を始めた。
「名は…読めません。改めて本人からお聞きしましょう。ステイタスは…は? あり得ない‼︎ 999999…魔力は天井知らずです。なのに、属性が全く無い。その上、全精霊の祝福を受けています」
そこまで言うと、カイはそっと聖女の手をベッドのシーツの上に下ろした。
「ステイタスは聖女。魔素に適応が無いのは、どうやら魔素の全く無い地で生まれ育ったからだと思われます」
「…そうか」
魔素が全く無い地。
それはつまり、魔法が使えない事を意味する。
大気中に含まれる微量の魔素の力と精霊の力を借りて、我々は魔法を使う。
簡単な火魔法を使ってご飯を炊いたり、お湯を沸かしたり。水魔法を使って洗濯物をしたり。
全ての人々は実に様々な魔法を使いこなし、駆使して生活している。
多くは少量の魔力をその身に宿して生まれてくるが、自身の中に大きな魔力を持つ者がいる。
大抵は、貴族に多いが、稀に平民の中にもそのような者が生まれる事がある。
ちなみに、多くの魔素がある場所では、少しの魔力しか持たない者でも、大気中に含まれる魔素にて不足分を補う形で、上級魔法を使うことが出来る事もある。
魔力には基本的には属性があり、火属性であれば火魔法を、水属性であれば水魔法を使う事ができる。
つまり、魔素が無ければ、魔力が使えないし、属性が無ければ、それもまた魔法が使えない事を意味する。
魔素が無い世界など、想像が出来ない。
だからこそ、奇妙なのだ。
「魔力は天井知らずで全精霊の祝福を受けているにもかかわらず、属性はゼロ。とは…」
つまり、魔力は有り余るほどあるが、使う手段が全く無いのだ。
火も、地も、水も、風も、光も闇も。
何の為の魔力だ?
それに、いったいいつ全精霊の祝福を受けたのだろう?
しかも、使えないのに祝福持ちとは。
意味がわからない。
「しかも、その天井知らずの魔力は、どうやら彼女の生命力を糧にして発動するようです」
「なんだと?」
聞き捨てならない内容に、私は眉を顰めた。
「聖女様の体内に残る殿下の魔力の欠片から、先程の強い光の根源を辿りました。どうやら、殿下から送られた光魔法が聖女様の体内で聖女様の生命と繋がり増幅され、暴発したようです」
私の光魔法が原因だったのか。だが。
「適正が無く、使い道が無いようだから大丈夫だろうが、下手をすれば大魔法でも使える程の魔力が生命力と繋がっていたりしたら、魔力を使い切ると同時に死んでしまうではないか」
魔法が使えない。
なのに、『ステイタス:聖女』とは。
「それに…いえ。…魔導士長様が戻られるのを待ちましょう。それまでは、王太子殿下が聖女様の側で空気中の魔素を取り除いて頂けますか?」
カイは何かを言い淀み、とにかく魔導士長の帰りを待つのが最良と判断したようだ。
今現在、王国にて光魔法を使えるのは王家の血を引く私と、私の父である国王。それに、史上最強の魔導士と呼ばれる、今は地方へ派遣中の魔導士長だけである。
国王に聖女の世話を任せる訳にいかないことを考えれば、妥当な案だと言える。
「わかった。他に、何か聖女について気をつける事等はあるか?」
カイは私の乳母の息子で、幼い頃から私の世話係もしてくれている。魔導士長にも留守を任される程優秀な魔導士だ。
正確な鑑定を行えるから、王宮でも重宝されている。
押し黙ったままじっと聖女を見つめていたカイは、ふるふると頭を横に振った。
「今のところ特には。…聖女様が気を失っていたおかげで、ステイタスも全て確認出来ましたし。もし意識があってまともに向き合っていたら確認出来なかったかもしれません」
「何故だ?」
カイの鑑定は折り紙付きだ。魔導士長でも一目おいている。
「聖女様の魔力が天井知らずだからです。普通、聖女様よりも魔力が少ない私では、意識がある状態ではステイタスを見る事は出来ません。意識が無かったとしても、警戒心が強い方だったなら、見る事は出来なかったでしょう」
『鑑定』は、確かに珍しい能力だが、自分よりも魔力の少ない者しか見る事は出来ないと聞いている。
自分よりも魔力のある聖女のステイタスを確認できたのは、彼女の意識が無かったから。
カイの言い分に、私も頷く。
「なるほど。ちなみに、私はこの距離でしか聖女の吸う空気の魔素の浄化は出来ない。だから、執務はここでやる。必要な書類を載せるために、小ぶりな卓をひとつ持ってくるように侍女に言ってくれ」
私がいなければ呼吸すらままならない聖女。
厄介だが、魔導士長さえ帰って来れば、ヤツに聖女の世話を任せられるだろう。そうできたら、次は今回魔導士長が不在だった理由でもある魔物の襲来についてと、出入りする『穴』についての対策を立てなければ。
「使い所の分からない聖女も何とかしないとだしな」
強大な魔力を持ちながら、空気にすら受け入れられない聖女。
全ての精霊の祝福を受けながら、一つの属性も持たぬ存在。
なんと、アンバランスな娘なのだろう。
この国の、引いてはこの世界の安寧を手に入れる為にも、何としても護らなければならない。
「畏まりました。直ぐに用意させます」
カイが部屋から出て行くと、明かりを落とした静かな部屋では、今は安らかな聖女の寝息だけが小さく部屋の中の空気を揺らした。
聖女の魔力にリンクしないように気を付けながら、部屋全体の空気中の魔素を丁寧に取り除いて行く。
何かあった時の為に側から離れたりはしないが、もしも自分が今ここで眠ってしまっても、王宮の中でも比較的広いこの王太子の部屋全体の魔素を取り除いていれば、聖女の命が直ちに死に晒される事は無いだろう。
「史上最弱の聖女だな」
自らの危機をまだ知らない聖女の穏やかな寝顔を覗き込みながら、シシリー国王太子、レヴィアス・フォン・ドゥ・シシリーは愉しげに微笑んだ。