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「さあ、貴女の願いを教えて」


 ――教えるだけならいいんじゃないか、と心の中のわたしがささやく。

 何も、魔法で願いを叶えてもらう必要はない。たとえば、そう、助言をもらうだけで十分なのだ。魔女ならきっと人とは違う視点を持っている。彼女に何かしらの助言をもらえれば、このどうしようもない状況から抜け出せるかもしれない。

 ……なんて、そんな都合のいい話があるわけない。この人に頼るならそれはもう、魔法に頼るのと同義だろう。


 わたしの今の懸念は、不自然なほどに軽すぎる対価。

 それがもし、本当はもっと重かったら? わたしではなく、わたしの周りに害が及ぶようなものだったら?


「……対価は本当に声だけですか? 軽すぎる気がするんですけど」


 ほんの少し驚いたように目を瞬いて、魔女は笑った。


「ふふ、鋭いのね? 対価ではないけど、制約ならあるわ」


 やっぱり。続けられる言葉に、慎重に耳を傾ける。


「魔法をかけられた貴女は、一週間以内にリクと両思いにならなければいけない。さもなくば、泡になって消えてしまう。もちろん、これを聞いたうえで貴女が願いを諦めるというなら、私はそれを止めはしないわ」

「……なるほど」


 わたしにとって最悪な、家族の命に関わるものではない。そうわかっただけでも安心できた。ほっと息を吐く。

 そして。


 たとえ命を失うことになったとしても、たったの一週間だけでも、この恋を幸せなものだと認識できるようになれるなら――願ってしまっていいんじゃないかな、と。


 そんなことを真っ先に考えてしまって、救えないなぁ、と自嘲した。

 頭の冷静な部分では、魔女に頼るべきではないとちゃんとわかっている。けれど、どうしても普通の恋というものに惹かれてしまうのだ。

 声を一生奪われると思ったときには断ろうとすら考えたくせに、命を奪われることに対しては忌避感がない。


 馬鹿だ。ほんっとうに馬鹿だ。これっぽっちの願いの代償に命を失うなんて、馬鹿がやることだ。異常だ、狂ってる、正気じゃない。わかってる。

 そんなことをして手に入れる恋が、普通の恋であるはずがない。だって普通の人は、そこまでの覚悟を持って恋をしないだろう。

 ……でもきっと、お母さんとかお姉ちゃんたちなら、こういうとき魔法に頼っちゃうんだろうなぁ。

 わたしの家族なら間違いなくそうする、という確信があった。やっぱりわたしもあの人たちの家族、ということか。


 魔法に頼ったとして、声が奪われるのは一週間。条件を達成するまでの期限も一週間。願ったそのときからわたしの声はなくなり、一週間後には確実に泡となって消える。一週間以内に両思いだなんて、無理すぎる条件だから。

 ふと思う。


「なんだかちょっと、人魚姫みたいですね」


 一週間という期間を除けば、その条件はまるで『人魚姫』だった。

 言ってしまってから、異世界の住人である彼女には通じない言葉だった、と気づく。しかし魔女はあっさりと「ええ、そうね」とうなずいた。


「――でも私、あの物語が大嫌いなのよ」


 魔女の声から甘さが消えた。すっと細められた黒い目は、わたしのことを捉えてはいなかった。どこか遠くの、懐かしい、けれど憎いものを見るような、そんな目。

 異世界の住人であるはずの彼女が、どうしてこちらの世界の物語である『人魚姫』を知っているんだろうか。訊くのはなんとなくはばかられた。

 とにかく今考えるべきは、わたしは魔女に願いを叶えてもらうか否か、ということだ。


 一呼吸、迷う。

 潮の香り。波の音。少し肌にべたつく風。ここは陸くんと初めて出会った場所。あの日の衝撃と、それからの日々が頭の中を流れていく。

 息を止め、ごくりと唾を飲んだ。

 自分の命と願いを、天秤にかける。


 傾くのは――愚かにも、願いのほう。


 覚悟を、決めた。命を捨てる覚悟。

 その気配を感じ取ったのか、魔女の目がまたわたしを見据えた。怖くないと言ったら嘘になる。それでも……ちゃんと、一週間だけでも普通の恋ができるなら。


 なんだっていい、と思った。


「わたしは……誰かに恋をする人のことを、馬鹿だと思ってしまうんです」


 これを人に話すのはそういえば初めてだな、とぼんやり思う。


「恋をしたって苦しむだけなのに、傷つくだけなのに、どうして恋をしてしまうのか意味がわかりませんでした」


 でも、と言う。

 その逆接こそ、わたしを苦しませる原因。


「でも――好きな人ができたんです」

「リクね?」


 間髪入れず、確信を持って返される。

 一瞬頭が真っ白になった。何を言われたか理解した瞬間、勢いよく顔に熱が上る。


「は、なっ、な、なんで」

「ああ、話を遮ってごめんなさいね? どうぞ続けて」


 いや続けられるか! と思わず叫びそうになったが、我慢する。

 ……なんかこう、魔女特有の不思議な力とかでわかったんじゃないだろうか。まさかこんなことに魔法を使わないだろうし、まさかまさか、先日の短時間の会話でわたしの気持ちがばれたわけがない。そう思いたい。

 あっけらかんとした顔の魔女につい恨めしげな視線を向けてから、話を続ける。


「……そうです、わたしが好きになったのは陸くんです」


 ここまで吐くつもりはなかったのに。でも救いを求めるなら、最初からここまで話すのが筋だったのかもしれない。


「陸くんを好きになってから毎日、わたしってなんて馬鹿なんだろう、と思うようになってしまいました。好きだと感じる度に、いつも。……それがずっと、苦しいんです。馬鹿だなんて思いたくないんです。わたしは、陸くんを好きだと感じる度に、幸せだなって思えるようになりたい。普通の人みたいに、恋がしたい」


 母のことも姉のことも、馬鹿だとは思っていた。けれど皆、裏切られる前の恋をしている最中は本当に楽しそうで、幸せそうで――わたしはきっと、そんな『恋』に憧れも抱いていた。


 わたしだって、ちゃんと恋がしたい。普通の、恋がしたい。


 この願いを叶えるためなら、命だって惜しくない。

 それくらいわたしは馬鹿で、それくらい、陸くんのことが好きになってしまった。


「わたしの願い、叶えていただけますか。命を捨てる覚悟はできています」

「ええ、ええ。その願い、叶えましょう」


 魔女は深くうなずいた。そしてまた微笑む、と思いきや、ほんの少し眉根を寄せる。


「そんなところが似ちゃって」

「……はい?」

「こっちの話。気にしないでちょうだいな」


 そうはぐらかして、彼女は何かを掴むような動作をした。途端に彼女の指先に、小瓶が現れる。海の色を写し取ったような色の液体が、中でたぷりと揺れた。


「これが、貴女の願いを叶える薬」


 魔女は片目をつぶった。


()()()()()()()()()()()()、魔女である私は貴女にこの薬を渡すの。そこのところ、よく覚えておいてちょうだいね?」

「……え、っと」

「覚えておくだけでいいわ」


 ふっと笑って、彼女は小瓶を放り投げてきた。わわ、と慌てて受け止める。

 片手に収まるほどの小さな瓶。光の角度によって液体の色合いが様々に変わって、間近で見るとよりいっそう海の色に近く思えた。綺麗だな、と少し場違いな感想を抱いてしまう。


 これが、わたしの願いを叶える薬。

 しばしその色に見入って、それからはっと顔を上げる。魔女の姿はもう、どこにもなかった。……やっぱりよくわからない人だ。

 視線を瓶へ戻した。海のほうを向いて、瓶を空にかざしてみる。


 これを飲めば、わたしの願いは叶う。そしてきっと、わたしがわたしでなくなる。

 今更ためらいも何もないけど、陸くんにはどう思われるかな、とちょっとだけ気になってしまった。声、はまあ、スマホを使って筆談すればいいか。あ、一週間後にわたしが消えたら、お母さんたち悲しむかな。悲しむよなぁ……。友達だって、陸くんだって、たぶん。

 となれば、薬を飲んだ後のわたしにどうにかしてもらうしかない、か。両思いになんてなれるはずがないけど、恋を受け入れたわたしなら、案外積極的にアプローチして、強引に陸くんと恋人になっちゃうかもしれないし。……まあ、ありえないけど。


 きゅ、と瓶を軽く握る。

 覚悟は決めてるんだ。この薬を飲んだら、家族と友達宛に遺書を書こう。陸くんには……何も残さないほうがいいかな。


 瓶の蓋はそう力を入れずとも開いた。縁に唇をつける。海の匂いを強く感じるのは、ここが海辺だからか、それともこの薬から香ってきているのか。

 瓶の中身を一息に仰ぐ。味はしなかった。とろりとした液体が、喉元を落ちていく。


 ごくん。呑み込む。それで、終わり。

 魔法は得てしてあっけないものだけど、それにしたってあっけない。これで本当に魔法がかかっているんだろうか。


 思わず疑念が生じたとき――ぴり、と思考にノイズのようなものを感じた。

 明らかに今、わたしの何かが変わった。

 何か、なんてわかりきっている。だってわたしが願ったことだ。確認のために自問自答することが馬鹿らしくなるほど、薬の効果はてきめんだった。

 わたしは陸くんが好き。恋をしている。それは以前から嫌々認めていたこと。

 それじゃあ、そのことについて何を思う?


 ――馬鹿だと思っていたことこそが馬鹿だった、と思う。


 陸くんのことを考えるだけで、胸がすごく温かくなる。彼の笑顔を思い出して、わたしまで自然と笑顔になってしまう。高揚感、幸福感……幸せ、うん、幸せだ。

 わたしは、しあわせな恋をしている。忌避感も恐怖も何もない。陸くんを好きだという事実だけで、胸がいっぱいになるほどの幸せを感じた。

 これがたぶん、普通の恋なんだ。()()()()()()()()、普通の恋。憧れていた普通の恋。


 苦しくない、痛くない、つらくない。ああ、すごい、すごく幸せだ。普通の恋をしている人たちはずっとこんな気持ちだったんだ。

 ずるいな、と羨ましくなった。

 わたしも最初からこうだったらよかったのに。まあ、わたしも今日からその仲間入りのわけだけど。


 ふふ、と笑おうとして、ふと気づく。声が出なかった。すでに対価を支払っていたらしい。

 ……一週間以内に両思いになれないと泡になって消えてしまう、か。

 うん、でもいいや、と一人うなずく。こんな気持ちになれたなら、やっぱりそれだけでいい。


「――」


 息だけでちょっと笑う。

 明日は無理やりにでも、陸くんを勉強に誘おうかな。少しでも陸くんと長く一緒にいたい。一週間しかないんだから、めいっぱい楽しまなきゃ損だ。

 あとは、そうだな、土日のどっちかにデートに誘ったりするのもいいかもしれない。とはいえまだテスト期間中だから、勉強会と称して図書館にでも行きたい。これくらいなら積極的アプローチ、とまではいかないよね。


 だって、わたしはわたしじゃなくなったけど、だからってすべてが変わっているわけでもないのだ。わたしはただ、普通の恋を思いきり楽しみたいだけ。

 明日からの日々を思って、また笑みが零れた。




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