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 なんてことを考えながら、放課後、わたしは学校近くの海にまた来ていた。

 歩き慣れた粗い砂浜の上でゆっくりと足を進める。この季節にも普段ならちらほらと人がいるのだが、今日はわたし一人だった。

 ……陸くんと出会った日もそうだったな、と思い出す。


 魔女と遭遇したあの日から一週間。学校はテスト期間に突入した。

 さすがにテスト期間にまで迷惑をかけられないから、と陸くんからは勉強会を断られている。だから今週は会う口実などないのだが、一日一目くらいは見たくて、その日のテストが終わると彼の教室付近の階段を無駄にうろうろしてしまうのだった。まるでストーカーだ。

 一目見ることができたら、ばれないうちにすぐ撤退するようにしている。……ほんとにストーカーみたいだな、わたし。


 今日もわたしは陸くんのことが好きで、今日もわたしは、そんな自分をさげすむ。


 いっそ告白してしまおうか、とは今まで何度か考えた。きっと陸くんなら、きっぱり振ってほしいと頼めば望み通りにしてくれるだろう。

 でもそれだと、陸くんのほうが傷ついてしまう。だからそんなことを頼むわけにはいかないし、告白だってできやしなかった。


 ぎゅり、とスニーカーで砂を踏みつける。

 こんなふうにわたしの気持ちも、踏みつけて踏みにじることができていたら、跡形もなく消すことさえできたのかもしれない。

 立ち止まって息を吸えば、潮の匂いが鼻についた。


「すき」


 自分の耳にかろうじて届く、そのくらいの声音でつぶやいた。


「すき、好き」


 少しでも吐き出さなければやってられなかった。

 空と海をぼんやりと見やる。一週間前とは違って雪の気配はない。空も海も、どこか春らしい穏やかな色合いをしていた。それでも三月に入ったばかりの今日はまだ寒い。視界とのギャップでいっそう寒さが強く感じられた。


「――」


 好き、と確かにまた口に出したはずなのに、波の音にかき消される。そう感じたけれど、きっと声に出せなかっただけなのだろう。

 冷たい風が吹いて、ぶるりと体が震えた。


「……ばっかだなぁ」


 今度の声は、やけによく響いた気がした。

 本当に馬鹿なんだ、わたしは。愚かな恋を何度も見てきたくせに、この恋をどうすることもできない。


 捨てたいとすら、思えない。




「――ねえ」




 間近で聞こえた声に、はっと息を呑んで振り返る。

 魔女が微笑みを浮かべてこちらを見ていた。海風でふわりとたなびいた赤い髪の毛に、一瞬、目が奪われる。

 どうしてここに、と思う間もなく、魔女はわたしに問いかけた。


「貴女の願いはなぁに?」


 唐突な問いだった。いや、すべてが唐突だった。

 ぽかんと、彼女の言葉を繰り返す。


「ねがい」

「そう、願いよ。困っているのでしょう? つらいのでしょう? その気持ち、消してしまいたいとは思わないかしら?」

「っ……!」


 この人に何がわかるんだ。そう思ってしまって、彼女から視線を逸らす。

 どうしてわかったような口で、そんな見当外れのことを言うんだろう。消したいと思えたらまだ楽だったのだ。それすらできないから……苦しい、んだ。

 視線は彼女に向けないまま、声を絞り出して答える。


「捨てたくなんか、ありません」

「ええ、ええ! そうでしょうね!」


 魔女は言う。見えないけれど、笑みを深めた気配がした。


「それなら、どうすれば貴女の苦しみを取り除いてあげられる?」

「……どういうことですか」


 わからない。わからない。この人は……何がしたい?


「困り事があれば私が力になると言ったでしょう? 貴女はただ、私に願ってくれさえすればいいの。ねえ、貴女の願いはなあに?」


 とろりと頭を溶かすような、甘やかな声音だった。海から聞こえるさざ波の音も相まって、ふわふわした心地になった。……もしかして何か魔法を使われた?


「自分が何を一番願っているのか、本当はわかっているんじゃない?」


 わたしの、ねがい。

 わたしの願いは。


 ――普通の人みたいに、この恋を大切にしたい。


 だってどうせ陸くんは、母さんたちを騙してきた奴らとは違う。あんな人が、自分よりも他人を大切にしてしまうような人が、あいつらと同じわけがないのだ。わたしなんかが彼を変えてしまうこともない。

 だから、わたしが変わればいいだけ。そうすればわたしは、好きだと思う度に自分を嫌悪するような日々から抜け出せる。


 ……『一番の願い』を訊かれて、母や姉たちじゃなくて自分のことを願うなんて、ほんと、馬鹿だなぁ。


 そうっと、魔女と目を合わせる。赤い髪にはそぐわない、黒い瞳。

 そのアンバランスさを目にしたことで、ほんの少し頭が冷えた。


「……貴女の魔法は、対価とかが色々面倒だって聞いたんですけど」

「あら、リクね? ええ、今回は対価をもらいます。もともと、貴女が願いを口にしたなら教えるつもりだったのよ?」


 嘘か本当か、よくわからない言葉だった。


「そうねぇ、貴女のその声をもらおうかしら」

「声、ですか」


 案外軽い対価なんだな、と思ってしまったが、この先二度と声が出せないとなると重いのかもしれない。

 それに……声は以前、陸くんに褒めてもらったことがあった。鳴海の声って綺麗だよな、と言ってもらえたのが嬉しくて、それを思うと、声を奪われるのは少し嫌だった。

 やっぱり断ろうと口を開きかけたとき、「安心してちょうだいな」と魔女が言った。


「なにも一生というわけではないの。一週間だけよ」

「一週間!?」


 あまりにも短い期間に、思わず目を見開いてしまう。そんなの、ただのちょっと長引いた風邪みたいなものだ。それくらいだったらさほど日常生活に支障はない。

 それなら願ってしまっても、と心が揺れる。……でも、対価があまりにも軽くて逆に不安だ。


 ためらうわたしに、魔女はひたすらに甘やかな声を重ねる。


「――さあ、貴女の願いを教えて」




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