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 そんな出会いをしてから、わたしは陸くんからほぼ毎日異世界の話を聞き、そしてたまに勉強を教えるようになった。

 彼が異世界にいたのは三年間。肉体年齢は戻してもらったようだが、頭の中はそうもいかず、高校の勉強をすっかり忘れてしまったらしい。教えようかと申し出たわたしに、彼は崇める勢いで喜んだ。


 そういうわけで、今日は学年末テストに向けた勉強会をしていたのだった。



「……自分のために魔法を使うのが苦手って、陸くんっぽいよね」


 駅までの道を歩きながら、わたしはそうぽつりと言う。

 雪が本格的になる前に、と今日は早めに勉強会を終えた。雪はまだ、傘を差すほどの勢いではなかった。


 陸くんは、他人のための魔法なら息をするように使えるが、自分のための魔法は相当集中しなくては使えないらしい。特に転移の魔法は難しいようで、あのときは海温を上げるのが精いっぱいだったと以前彼は語り、謝ってきた。

 もっと魔法を使いこなせていたら自分一人でもどうにかできて、鳴海に危ないことをさせないでよかったのに、と。


 ……わたしが勝手に助けたんだし、気にする必要なんてないのに。それに、あのときは十分彼の魔法に助けられた。


「いきなりどうしたの?」


 きょとんとする陸くんに、「んー、なんとなく」と曖昧に笑みを浮かべる。

 向こうの世界では、色んなものと戦ったのだと聞いた。それらの戦闘で、彼が主に魔法を使って戦っていたのだということも。

 戦闘における魔法は、彼にとっては彼自身のためのものではなかった。縁もゆかりもない、異世界の人々を助けるために必要なもの。――というのは、陸くんから聞いたことではないのだけど。


 けれど、魔王を倒してこの世界に戻ってこられたということは、きっとそうなのだろうとわたしは思っている。

 そういうところがやっぱり、眩しいな、と感じてしまう。


「俺っぽいかはわかんないけど、それはそれで大変だったんだよなー。自分に回復魔法使うの苦手すぎて、怪我する度に魔女に頼るしかなかったし」


 魔女。陸くんの口から比較的よく出てくる仲間の一人だった。

 向こうの世界の誰かの名前を、彼は一度も呼んだことがない。姫様、剣士、エルフ、学者、魔女。そんな単語しか使わない理由を、わたしは知らなかった。……あまり気にしたくないことなので、今まで訊かずにいる。

 陸くんにとって彼らの名前がとても大事だからわたしには言いたくない、なんてことはさすがにないとは思うけど、そんな感じの答えが返ってきたらショックを受けない自信がなかった。


「……仲間がいて、よかったね」

「ほんとにね。俺だけだったら絶対死んでただろうなぁ」


 からりと笑う陸くんから、わたしは視線を逸らした。

 彼は何のためらいもなく『死』を口にする。こういうことがあって死にかけた、あそこでああしてなかったら死んでたかも、と。

 まるで自分のことなどどうでもいいと思っているようで、そういう言葉を聞くたびに、つきりと胸が痛む。


 自分を大切にしてほしいと言っても、彼がそれを本当の意味で理解することはない。わかったふりをして、きっと謝るだけなのだ。

 そこが彼のいびつなところで、そういう彼だからこそ、勇者として喚ばれたのだろう。


「陸くん」


 彼の名前が零れるように口から出てしまった。呼びかけたはいいものの、何を言おうとしたわけでもない。


 ――だから、そこで会話が途切れたのは、わたしにとって都合がいいことだったのかもしれない。





「久しぶりね、リク。そして初めまして、ナルミアイさん」



 立ち止まる。隣の陸くんが息を呑む音が聞こえた。

 ほんの数歩先の距離。

 そこに、一人の女性がいた。


 とてつもない美女だが、ともすれば、動いてもいないのに見失いそうになってしまうほどの希薄な存在感だった。その長い髪は炎を思わせる鮮やかな赤で、普通なら見失うなんてありえない。

 けれど、陸くんとわたし以外に彼女のことを見ている者はいなかった。そして、たぶん……わたしたちも今、そうなっている。そんな感覚があった。

 不気味だった。肌がざわりと、目の前の彼女の異常性を伝えてくる。


 しかし、それよりも。

 赤――赤い髪。


 なぜかそこが引っかかった。

 昔、いつだったか、その髪を見たことがある気がした。脳裏をよぎったのは――静かに泣く、母の姿。……どうして今、それが思い浮かんだんだろう。


「……なんでここにいるんだ、〝魔女〟」


 今まで聞いたこともない低い声に、はっと我に返る。まじょ、と思わず復唱してしまった。

 まじょとは。つまりは魔女であり、彼がよく語っていた『魔女』なのだろう。

 陸くんの問いに、「あら」と魔女は唇でにんまりと弧を描いた。


「随分なご挨拶だこと。貴方をこの世界に帰したのは誰だと思ってるの?」

「そういうことじゃない。わかってるだろ」

「ええ、ええ。わかってる。そうね、経過観察とでも言っておきましょうか? それらしい理由があったほうが、貴方は安心するでしょう」

「全然それらしくないんだけど」


 わたしを置いてけぼりにして会話が進んでいく。状況がまったく呑み込めなかった。

 魔女から隠れるようにそうっと陸くんの後ろに移動すれば、彼はようやくわたしの存在を思い出したのか、慌ててこちらを向いた。


「あっ、ごめんな鳴海! 帰ろっか」

「え、その人はいいの?」

「いいんだよ。用があるならどうせまた現れるし」


 それはよくないって言うんじゃないだろうか。

 魔女のほうをちらりと見やれば、視線が合った。どうやら向こうもこちらのことを見ていたらしい。陸くんもそれに気づき、わたしの体を更に隠すように移動した。

 ふぅん、と魔女は楽しげにつぶやいて、数歩の距離を詰めてくる。髪とは少し不釣り合いな黒い瞳が、わたしの顔をしげしげと見る。


「ナルミ、アイさん?」

「なんだよ」

「貴方じゃないわ。ね、アイさんと呼んでいいかしら。私のことは魔女と呼んで」

「駄目だ」

「貴方じゃないって言ってるでしょ? 余裕のない貴方も面白くていいけど」


 肩をすくめる魔女。……そもそもどうして、わたしの名前を知っているんだろう。疑問には思ったが、それを口に出して尋ねる気にはなぜかなれなかった。


「そんなに警戒しないでちょうだいな、アイさん」

「駄目って言っただろ」

「しつこいわリク。ね、アイ、いいかしら」

「あっ、ずるいぞ魔女!」


 ずるいって? というかさっきまでの不気味な感じとなんか意味深な感じはどこにいったんだ。いつ口を挟めばいいのかもよくわからなくて、困惑を込めて二人を見つめる。


「ずるいと思うなら貴方もそう呼べばいいでしょ」

「っ……鳴海! 俺も亜依って呼んでいい!?」

「え、無理かな」


 魔女から亜依と呼ばれることは、まあ抵抗がない。これはただのイメージだけど、異世界人はヨーロッパ圏の人のような名前をしているのだろうし、だとすればファーストネームで呼ぶのが一般的だろう。

 けれど陸くんから亜依と呼ばれるのは、少し……いや、かなり、心の準備が足りていない。せめてもう数ヶ月、数年くらいは待ってほしかった。


 えっ、とショックを受けた陸くんに、魔女は「残念ねリク」とくすくす笑う。


「ねえ、それじゃあ私が呼ぶのは許してくれるってこと?」

「……それは、はい」

「なんで!?」

「嬉しいわ、アイ」


 ぐいっと更に近づいてきた魔女は、うやうやしくわたしの手を取った。


「困り事があれば、どうぞ私に頼ってね? 力になるわ。ええ、安心してちょうだいな。魔女は一度口にしたことを決して(たが)えたりしないから」


 はあ、と曖昧に返事をしたわたしに、魔女はにっこり笑って。ふっと目の前から消え失せた。

 あ、この感じ、と少し懐かしくなる。あっけないのに、確かに異常であると理解できるそれは――彼と出会った日にしか見たことのない、『魔法』だった。

 ついさっきまで魔女に握られていた手を見下ろす。なんだったんだろう。よくわからない人だった。


「相変わらずだなぁ、あいつ……」


 どこか苦々しい、けれど親しさを含んだ口調だ。わたしとなんかよりよっぽど、魔女とのほうが親しいんだろう。

 三年間共に戦った仲間と、三ヶ月前に出会ったばかりのただの友人。その差は歴然だった。だから……ここで寂しさを感じてしまうのは、とても不毛なことなのだ。


「あいつ、いい奴だけどトラブルメーカーだから気をつけて」

「……うん」


 もやりと一瞬よぎった嫌な気持ちを、気のせいだと思い込むことにした。


 ああ、疲れるなぁ、と密かに顔をしかめる。

 どうして恋心なんていう、こんなめんどくさいものを抱えなければいけないんだろう。心底嫌なのに、それでも捨てたいと思えないのだから救えなかった。いっそ受け入れることができたらどれだけ楽か――そこまで考えて、「あ」と声が漏れた。


 恋とは愚かな人間がするものであり、忌避すべきものである。

 それがわたしの昔からの認識だった。だって母も、二人いる姉も皆惚れっぽくて、そして皆男運が悪かったから。わたしにまで災難が降りかかってきたことは数知れず。恋なんてしないほうがいい、恋をしている人は馬鹿だと思うようになるまでは早かった。

 もちろん今では、ひどい目にしか遭わないわたしの家族が特殊なのだと理解もしている。それでも、染みついた価値観を変えることは容易いことではなかった。


 けど――魔女なら。魔法なら。どうにかできたり、するんじゃないだろうか。

 生まれた期待をそのまま、陸くんに問いとして投げかける。


「魔女って、っていうか魔法って、どんなことでもできるの?」

「あー、魔法自体は別に万能なものじゃないんだけど、あいつ固有の魔法は特別なんだよね。だから大抵のことはできるよ。……でも対価とか代償とか制約とか、色々面倒だから頼るのはおすすめしない」

「べ、別にそういうつもりはなかったけど……そうなんだ」


 先回りしてきた忠告に、少し動揺する。陸くんはそれを見逃さず、興味本位での質問ではないのだと勘づいてしまったようだった。


「……なに、なんか困ってることあったりするの? だったら魔女より俺を頼ってほしいんだけど」


 拗ねたように主張してくる陸くんに、ついふっと笑みが零れる。寂しさももやもやもどこかへ消えて、嬉しい、と思ってしまった。我ながらすごく単純だ。

 できることならその言葉に甘えたいけど。


「大丈夫、何もないよ」



 きみに恋をしているから困っている、なんて、言えるはずがなかった。




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