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 異世界、というものがあるらしい。


 わたしがそれを知ったのは、三ヶ月ほど前のことだった。その日、わたしはある人が異世界から帰ってきたところに偶然居合わせた。

 その『ある人』こそが、赤羽陸くんである。


 彼と出会ったのは、十二月に入ったばかりのとても寒い日だった。積もるほどではなかったが、ちらちらと小さな雪が降っていた。


 わたしは海を見るのが、とりわけ冬の海を見るのが好きだった。だからその日も、学校帰りに近くの海を見にいったのだ。小さなレジャーシートを敷いて、傘を差して、カイロで手を温めながら、人気(ひとけ)のない砂浜に座っていた。

 そんなふうにぼうっと沖のほうを眺めていたら。


 何もない空間から人が現れ――え、と思う間もなく、どぼんと海に落っこちた。


 冬の海に。

 雪が降るくらい寒い日の、海に。

 人が落ちた。


 その事実だけでもう頭がいっぱいで、どこから現れたのか、なぜ落ちたのかなんていう他のことまで考える余裕はなかった。傘も荷物も放り出し、慌てて海に近寄って目をこらせば、その人はばしゃばしゃと溺れていた。

 どうしようどうしようと頭を空回りさせているうちに、彼が沈むのが見えて。


 だからといって、とわたしはあの日の自分を思い出す。

 ――だからって冬の海に飛び込むなんて、あのときのわたしは頭がどうかしてた。


 お人好しという柄でもないのになぜあんなことをしてしまったのか、いまだに謎である。

 もしかしたらある種の運命のような、不思議な力が働いていたのかもしれないとすら思う。



 飛び込んだ海は、本来なら凍えるほどに冷たいはずなのに温かかった。彼が溺れていたのがそれほど遠くない位置だった、というのも不幸中の幸いだったのだろう、泳ぎが得意なわたしはそう苦労せずに彼のもとまでたどり着けた。

 とはいえ、予想していたよりも、というだけで、制服を着たまま彼を助けるのはなかなかに大変だったのだけど。

 彼の体を引っ張るようにして泳ぎ始めたら、不自然な波が浜まで一気に押し流してくれた。そうしてわたしは、なんとか彼を引き上げたのだった。


 それからも不思議なことは続く。

 びしょ濡れの制服や体が瞬きの間に乾き、水が入って痛くなってしまっていた鼻奥も、苦しかった息も、嘘のように平常に戻ったのだ。冬の風に体が冷やされることもなく、むしろ海に入る前よりも温かいくらいだった。


 げほげほ咳き込む彼の前で、わたしは呆然と立ち尽くした。いったい何が起きたのか理解ができなかった。


『た、助けてくれてありがとうございます。怪我はありませんか?』


 おまけに、わたしが救ったはずの人間に怪我の心配をされてしまう始末。

 目を白黒させながらもかろうじてうなずけば、彼は『よかった!』と笑い、『本当にありがとうございました』と再び礼を言って――姿を消した。文字どおり、目の前から消え失せた。


 わたしはしばらくその場を動けなかった。髪の毛にうっすらと雪が積もって、くしゃみが出て、それでようやく動き出すことができた。


 夢だったのかもしれない、と思った。しかし翌日、その可能性は否定されることになる。


『……あれ、きみって昨日の……?』

『ワァァァッ!?』


 あっさり、本当にあっさり校内で再会した。

 あのときの彼の反応を思い出すと少し笑ってしまいそうになる。おそらく頭が真っ白になったのだろう、すごく素っ頓狂な叫び声だった。

 再び逃げようとする陸くんをとっさに捕まえ、わたしはおそるおそる問いかけた。昨日のアレって何、と。


 そしてやむなく、といった様子で人のいない場所に移り、語ってくれた話は、あまりにも現実味がなかった。

 わたしができるだけ混乱しないようにという気遣いからか、大雑把な話しかされなかったが、それでも理解しがたいものだったのだ。


 異世界に召喚されて、勇者として魔王を倒してきた、なんて。


 けれどわたしは、陸くんが何もない空間からいきなり現れたところをこの目で見た。雪の日の海が温かったことも、不自然な波がわたしたちを浜まで押し流してくれたことも、濡れたはずの体や服が瞬く間に乾いたことも、全部、この身で経験した。

 それらは彼曰く、魔法というものらしかった。何のエフェクトも予兆もなく地味だけれど、手品とは到底思えない、確かな『魔法』。

 そんなものを見せられたのだから、信じるしかなかった。――それに。


 信じたい、と思ったのだ。




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