使蛇う~つかう~ その弐
ファミレスは大騒ぎである。ここは身分を証すべきか悩んだが、突然同業者の探偵が叫んだ。
「俺は霧島探偵事務所の峯岸一也だ。訳あって仕事中だが、殺人も解決したことがある。俺がビルにいく」
ここまで言われたら、手を上げるしかない。私は手を上げた。
「小室探偵事務所の小室錠家の助手・井草仁です。私達はプライベートです」
「同業者か。気づかなかったよ。小室探偵事務所って、密室殺人専門の偏屈な?」
「偶然、扱う事件に密室殺人が多いだけです。それより、本当に私達が探偵だと気づかなかったんですか? 私達はあなたが探偵だと知っていました」
「はったりだ」
「では、こちらにきてください。説明します」
峯岸は浮気調査をしていた相手を横目に井草に近づいた。
「浮気調査ですよね? 調べているのは。鏡越しに見ていた女の人は絆創膏で結婚指輪を隠しています。太って抜けなくなったんでしょう。そして、結婚指輪を隠して男と会うということは浮気ですね?」
「正解だ」
峯岸は驚いていた。
私には勝算があった。こちらの方が格上のだと峯岸にわからせるためだ。
「そちらのお嬢ちゃんは?」
「私は井草さんが助手をする小室錠家の妹の小室桂家です」
「よろしく。さて、あのビルに行ってみよう」
私達三人は隣りのビルに向かった。ビルの下には係員がいたから、事情を説明して身分を証した。係員は急いで上に行った。
死んでいた階はおそらく二階。これで密室殺人だったら、プライベートですら縁を切れないようだ。
「ここが二階で現在使われている部屋です」
係員がパスワードを打ち込んで、ロックが解除された。中に入ると、人が倒れていた。息はなく、脈は止まり、心臓は動いていなかった。
窓ははめ殺しだ。係員に頼んで入室記録を確かめたが、倒れている男が入ってから出た記録はなかった。また、その他の出口無し。そして、死体のそばには死んでいるまだらの蛇が一匹...。このシチュエーションはサー・アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵・シャーロック・ホームズの第一作目の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』に掲載されている『まだらの紐』ではないだろうか。
まだらの紐とは、ホームズシリーズで唯一の密室殺人でそのトリックは通気孔の穴から蛇を入れて毒殺するというものである。しかし、まだらの紐は実現不可能だ。なぜなら、犯人のロイロット博士はミルクを餌にして毒蛇を手なずけ、口笛の音で蛇を操っていたことになっている。しかし、実際にはミルクを餌とする蛇は確認されていないこと、蛇は耳が聞こえないため口笛の音で蛇を操ることは不可能であること、また実際の蛇は紐を伝って上り下りすることもできなかったり、蛇を金庫の中に隠して飼っていたことになっているが、実際は生きている動物を金庫の中に入れ扉を閉めると窒息死するからだ。
そういう矛盾点の解釈の仕方で納得したのは松岡圭祐の『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』だ。まだらの紐を題材にしているわけでなく、正典(コナン・ドイルの書いたホームズシリーズ)の矛盾点の謎を題材にしている作品だ。この本ではライヘン・バッハの滝でモリアーティ教授と落ちたその後を描いている、パスティーシュ作品だ。なんと、ホームズが日本に来て大津事件の謎を解決するのだ。
さて。松岡圭祐の解釈では
「ロイロットという男は、笛とミルクで蛇を操れる気になっていた。実際には通気孔をくぐらせようと頭から押し込んだのだろうし、ロイロットの部屋は飼っている動物のせいで湿っぽく室内も暗くしていたから、蛇もねぐらを求めて戻ってくるのが常だった。そんな蛇を支配下に置いていると錯覚したからこそ、油断してみずから毒牙にかかったのだ」
となっている。これは作中ではホームズ自身が説明している。
「顎が硬直し始めていますね。すると、死後一時間程度。蛇もすでに死んでいます。そして、死体の足首には蛇の噛み跡があります」
私は小室から教わった探偵術の知識をありったけ使って、検死をした。
「この遺体は毒殺だとわかりますね。誰か、警察に連絡してください。警視庁捜査一課警部安田道史刑事を呼んでください。面識があって急遽捜査できますから」
峯岸が携帯電話で警察に連絡した。三十分後、このビルに安田が到着した。
「どうも、安田だ。ここに井草君と桂家ちゃんがいると聞いたが...」
「安田さん! 私はここです。それより、急ぎの仕事をお願いします。この蛇の歯に塗られた毒を調べるために鑑識に回してください」
「なんで、蛇の歯なんだ?」
「まだら模様で頭がひし形。これはまだらの紐に登場する蛇と同じ特徴で、これはクサリヘビ科です。クサリヘビ科の蛇の毒は出血毒で、噛まれると傷口が大きく腫れ上がり、被害者は死亡するまでに数時間から数日にわたって激痛に苦しむんです。つまり、即効性はありません。噛まれた後で、遺体は部屋から出る余裕、または毒を解毒する余裕がありました。ですが、状況から考えると噛まれてすぐに倒れています。つまり、蛇の歯に即効性の毒が塗られていた可能性があります」
「なるほど、わかった」
安田が蛇を鑑識に渡した。
ここで断言するが、遺体が倒れていた部屋は外部から侵入不可能。また、出ることすら出来ない。つまり、密室殺人だった。しかも、状況がまだらの紐という不可解な事件だ。