第四話 精霊ヒスイ
明くる日、オーブはまだ暗いうちに目を覚ましてしまった。
メントルとシトルがもう起きているか確認するためにドアを開けると、冷たい風が部屋に入ってくる。オーブは翼を縮こまらせた。
廊下に出ると、階段の真ん中あたりに青い光が見えた。恐怖よりも好奇心が勝ったオーブは、階段へと駆け寄る。すると、青い光は消えてしまった。
かと思いきや、青い光が今度は玄関に現れる。追いつくとまた消えてしまったが、玄関のドアを開けると外で青い光がオーブをからかうようにユラユラと揺れた。
追いかければ消えて、また現れる。不思議な光に夢中になっていたオーブは、森の奥に誘い込まれてしまった。
「捕まえた!」
オーブはやっと青い光に追いついて光を掴んだ。しかし、手を開くとそこに光は無かった。
周りを見回したオーブはハッとする。ここは道も無い森の中。自分がどこから来たのかがわからなくなってしまった。
「おじさーん! シトルさーん!」
オーブは叫んだが、声は森の奥に吸い込まれていくのみだ。
オーブはとうとう泣き出してしまった。
「ごめんよ、小僧。久しぶりに俺のことが見える子供がいて、テンション上がっちまった。ちょっとイタズラしたつもりがまさか泣かせちまうとは」
オーブは、突然聞こえてきた声に驚いて泣き止んだ。
「誰? どこにいるの?」
オーブがそう言うと、青い光が再び現れた。青い光をじっと見つめると、光はたちまち人の形のようになり、オーブの背丈の半分くらいの小さな生き物が現れた。
謎の生き物は、ブカブカの服を着た人のような形をしているが、透き通っていて青く光っている。
「うわぁ! オバケだぁぁ!」
オーブは激しく翼をばたつかせて後退した。
「まてまて、確かに俺はオバケみたいなもんだがお前に危害を加えるつもりは無い。⋯⋯いや、ちょっと危害を加えちまったけど、これ以上はしないって約束するさ。本当にごめんよ」
「オバケさんは悪いオバケじゃないの?」
「俺はオバケじゃない。精霊のヒスイだ。よろしくな!」
「精霊って聞いたことある! お母さんが話してたんだ。でも、精霊って人間には姿が見えないって聞いたよ」
「よく考えてみろ。本当に誰にも姿が見えないなら、俺たち精霊の話は誰が人間に広めたんだ? 実際、多くの人間は精霊の姿を見ることはできないけど、見える人間だっているさ」
「僕って珍しいの?」
「さあ? 俺はこの森から長い間出ていないが、俺の姿が見える人間には過去に一人会ったことがある。でも、そもそもこの森は人間自体が珍しいからな。意外と見える奴はいるんじゃないか? 知らねーけど」
「ふーん。あ! おじさんのところに帰らないと! 帰り道を教えてよ」
「いや、その必要は無いさ」
次の瞬間、大きな鳥の羽ばたく音が聞こえてきた。スピードだ。
ドスン、とスピードが着地する。
「探したぞ! 全く何をやっているんだ。勝手に森に入ってはダメだ」
メントルはカンカンだ。
「ごめんなさい。ヒスイを追いかけてたらここに来ちゃったの」
「ヒスイ?」
「精霊なんだよ。ほら、ここに居るでしょ?」
オーブはケラケラ笑うヒスイを指さした。
「何も居ないじゃないか」
「そっか、おじさんは見えない人なのか」
「見えない人で悪かったな。しかし、精霊が見えるのか。お前はラッキーだな。精霊は自分の姿が見える人に不思議な力を貸してくれると言われている」
「そうなの? じゃあ、ヒスイも何か力を貸してくれるの?」
ヒスイはくるりと回ると、待ってましたとばかりに笑顔で答えた。
「ああ、俺は翻訳の力を持ってるんだ。自我のあるモノとなら何でも話せるぜ。お前が話したいけど言葉が通じない奴がいたら、俺が翻訳してやる」
「えー。どうせなら、手から火を出したり、雷を降らせたりする力が良かったな」
「なんだと小僧。そういう力ってのはスグ飽きるもんさ。いつか俺の力を使うときが来るさ」
「僕は小僧じゃなくてオーブだよ」
「オーブ? 前に会った俺のことが見える子供もオーブって名前だったな。面白い偶然もあるもんだ。よろしくな、オーブ」
メントルは不思議そうにオーブの様子を見て言った。
「オーブ、ヒスイと話すのはなるべくヒスイと二人だけのときにしてくれないか? 傍から見ると、一人で喋っている変人だからな」
「わかった」
オーブはメントルに抱えられて、スピードに乗った。屋敷からはあまり離れていなかったようだ。すぐに到着すると、庭にはシトルが待っていた。
「オーブ、あんまりメントルに心配かけないでやってね。メントルはあなたが可愛いのよ」
「ごめんなさい」
メントルは翼までしょげさせて謝った。
「じゃあそろそろ出発しよう。時間が無いからな」
メントルは既にオーブの分の荷物までまとめてあった。
オーブとメントルはスピードの背中に乗る。ヒスイは体を小さくしてオーブのポーチに入った。どうやらヒスイは体の大きさを自由に変えられるようだ。
ずっと森の上空を通るので飽きてきたオーブはメントルに聞いた。
「ねえ、ヒスイと話してもいい?」
「周りに他人がいないから構わないぞ」
「おじさんありがとう」
喜んだオーブはヒスイに話しかけた。
「何でも翻訳できるなら、スピードとも話せる?」
「この鳥のことだろ? ヨユーだぜ」
「じゃあね、スピードにカッコイイよって伝えて」
「お安い御用さ」
ヒスイは口を尖らせて、鳥の鳴き真似のようなことをする。
それを聞いたスピードは、クオォ!と高く鳴いた。
「喜んでくれてるみたいだぜ」
「ホントかなあ」
その日はずっとスピードに乗っていた。たまに休憩で地上に降りるが、またすぐに飛び立つ。
オーブはすっかりクタクタだ。既に空は暗い。
「今日はこの町に泊まろう」
メントルが指さす方向には、レンガ造りの集落があった。スピードは町の広場らしきところに降り立つ。
しばらく広場で待っていると、細い男が、ニヤニヤしながらやって来た。
「これはこれは、大賢者メントル様。歓迎いたしますぞ。私この町、ステアの町長でございます。私のこと、覚えてらっしゃいますか? この町の初代町長の息子でございます。メントル様には父がお世話になりました」
「悪いがあまり覚えていないな。それはともかく、今夜は一晩泊めてもらいに来たんだ。宿はあるか?」
「もちろんでございます。一流のサービスもつけますぞ」
「私とこいつが泊まれる部屋があれば十分だ。それとこの鳥が羽を休める場所があれば、尚良い」
「かしこまりました。案内致します」
オーブ達は、広場から歩いて三分ほどの宿屋に案内された。スピードは宿屋の前にある、あずまやに停められた。
案内された一人部屋は、一人で泊まるにはかなり広く、オーブは少し寂しくなった。
オーブは気を取り直してベッドに横になる。今まで寝てきたベッドで一番ふかふかだ。今日の疲れもあって、すぐに眠ってしまった。
次の日、オーブはメントルに朝早くに起こされた。ボーッとしながらスピードに乗ると、町の人々が広場に集まって手を振った。
「メントル様ー! またいらしてくださいねー!」
昨日の町長が叫ぶ。
目が冴えてきたオーブは、町の人々に手を振り返した。
それからスピードは、ひたすら草原の上を飛んだ。馬の親子をじっくり眺める暇もなく、景色は流れ去っていく。五歳児のオーブは、その退屈な眺めに耐えられなかった。
「あとどれくらいで首都に到着するの?」
「もうすぐだ。今日の夕方には到着するだろう」
「えー! もう飛ぶのは飽きたよ。どこか町に連れてって」
オーブは翼をバタバタさせる。
メントルは少し考えると、口を開いた。
「この近くにアンドルという町がある。そこに寄っていこうか」
それを聞いたオーブは目を輝かせた。
「やったー! 町だー! かき氷食べるー!」
オーブはポーチにしまってあったスプーンを取り出した。
「いや、かき氷は無いのだが」
メントルは、あまりにも嬉しそうなオーブに少し困ってしまった。