第二話 ミンテ村のオーブ
ここは、辺境の村ミンテ。
この人口五十人程度の小さな村は、見えない壁が発見された場所の近くにある。この村は人口が少ないため、子供が生まれると村人全員で祝うのだ。
今日は大雨だが、村人達は祭りの準備をしていた。アーサー夫妻の子供が生まれそうなのだ。
助産師のルビーは汗を流す。
「リリィさん、頑張って! もう少しですからね。あら大変! 赤ちゃんの様子が変よ、何かがお腹に引っかかっているみたい。旦那さん、お医者様を呼んできてちょうだい」
リリィの夫のライアンは普段はクールな男で通しているが、今日ばかりは動揺が隠せていなかった。
「だだだ大丈夫だリリィ! 今すぐ医者を呼んでくるからな!」
リリィはお腹の中から何かで突き刺されているような感覚を最後に意識を失った。
ライアンに引きずられて来た医者はこう言った。
「このままでは母も子も死んでしまいます。お腹を切れば子供だけは助かるかもしれません」
「リリィは死ぬってことか!」
ライアンは医者の胸ぐらを掴んで怒鳴った。その姿には普段の冷静さは一欠片も無かった。
医者は子供が助かる可能性に賭けて、リリィの腹にナイフを当てた。今にも殴りかかりそうなライアンは、意外と力持ちであるルビーが押さえつけた。
裂かれた腹から現れた赤ん坊に医者達は目を丸くした。赤ん坊の背中には、鷲のように逞しい翼が生えていたのだ。濡らした布巾で血を拭うと、翼は真っ白であった。金色の髪、緑色の瞳、そして背中の翼。その姿はおとぎ話に出てくる勇者オーブにそっくりだ。
ライアンは叫んだ。
「この翼でリリィを殺したのか! 人殺しめ!」
「ちょっと旦那さん。落ち着いてください。赤ちゃんは悪くありませんよ」
ライアンはルビーを突き飛ばし、家から出ていった。
ライアンと入れ違いに杖をついた村長が家に入ってきた。
「ライアンが村の外へ走っていったが何事だ! 子供は生まれたかね? 祭りの準備は整っておるぞ」
助産師は泣きながら事情を話した。
「それは困った。とにかくライアンを探そう」
村人達は日が暮れるまで捜索したが、ついにライアンは見つからなかった。
赤ん坊は村長の家に運ばれ、村人達は赤ん坊を囲って会議を始めた。
医者は言う。
「いやぁ、困りましたね。母は死亡、父は失踪。父母共にこの村には親戚がいないそうじゃありませんか。誰がこの子を育てるのか」
すると、
「とりあえずはうちで育てますよ。リリィさんを助けられなかった私にも責任がありますから。良いわよね、あなた」
と、ルビーは声を上げた。ルビーの夫、アルバンも頷いた。
村人達は安堵した。こんな奇妙な子供を育てて厄介事に巻き込まれたくなかったからだ。
村長は勇者オーブになぞらえて、この不思議な子供にオーブと名付けた。
村長は村人達に言う。
「いいか。この子は奇妙ではあるが、大切な村の子供だ。明日、祭りを開く。新たな住民を歓迎しようではないか」
翌朝、祭りは開かれた。
まだ雨の匂いが残る広場で、若い男が弦楽器を弾く。穴を空けた竹に馬のしっぽの毛を通したこの楽器は、ミンテ村の伝統的な弦楽器だ。
陽気な音楽に合わせて、若者も老人も踊る。
村長の娘はお祭り用の料理を作るのに大忙しだ。メインディッシュは焼いた肉に木いちごのソースをかけたもの。デザートは木の実のクッキー。どれも最高の出来だ。
布の日除けの下には今日の主役のオーブがすやすやと寝息を立てていた。
その日は村から笑い声と陽気な音楽が絶えることは無かった。
オーブの育て親となったルビーとアルバンには、五歳の息子がいる。息子の名前はダニエル。茶色い髪に茶色い瞳の笑顔が素敵な美少年だ。
夫婦は、ダニエルとオーブを差別することなく可愛がった。ダニエルも弟を気に入った。
オーブは背中の翼以外は普通の子供と変わらず育った。やんちゃな性格で、三歳の誕生日では村長からのプレゼントの人形を貰ったその日に無くしてしまい、ルビーを困らせた。
最初はオーブを不審に思っていた村人達も、今ではオーブの遊び相手だ。大人達に混じって、転びながらも追いかけっこをするオーブに村の老人は癒された。
オーブは好奇心旺盛で、何か珍しい物があると、直ぐに走って行ってしまう。その癖よく転ぶので、いつも体は傷だらけだ。
翼の生えた人間の噂を聞いて、首都から人が見に来るなんてこともあった。
オーブはミンテ村のちょっとした有名人になっていた。
そんなオーブは、たった5年で村の皆に別れを告げることになる。
その日は快晴、春風が吹いていた。
ルビーが洗濯物を干していると、突然強い風が吹き、シャツやズボンが砂埃と共に宙を舞った。
驚いたルビーが風が吹いていた方向を振り返る。
そこには人が一人乗れるほどの巨大な鳥の姿があった。実際、その鳥の上には、目付きが悪い大男が乗っていた。
「ここはミンテ村で間違いないか?」
「はい、間違いないありませんが⋯⋯あなたは何者でしょうか」
ルビーは恐る恐る聞く。
「私はメントルだ。大賢者メントルと呼ばれている。こんな辺境の村でも名前くらいは聞いたことあるであろう」
「ひぇぇ、メントル様!? 大変失礼いたしました。村長の家にご案内します」
大賢者メントル。彼は生き字引とも呼ばれる男である。人間とは考えられないほどの長寿であり、さすがに盛っているかも知れないが、千年前から生きていると言われている。
彼はとても賢く、国王の手助けをしている人間だ。
貧乏な商人にアドバイスをして一国の王にまで成り上がらせたとか、様々な道具を発明し、文化を発展させたとか色々な逸話がある凄い人である。
村長の家に案内されたメントルは、最上級のもてなしがされた。
村長は初めて会う大賢者に圧倒されながらも質問した。
「質素な食事しか出せなくて大変申し訳ございません。しかし、大賢者様ともあろうお方が、どうしてこのような辺境の村へ?」
「ああ、私はこの村の翼の生えた子供に用があって来たのだ。見えない壁と勇者オーブのおとぎ話は知っているだろ、この村の翼の生えた子供は、件の見えない壁を解決するヒントになるかもしれないのでな、首都へ連れてこようと思ったのだ。本来なら部下に任せるところだが、子供を自分の目で見てみたいのでな」
「オーブのことですね、しかし彼はまだ幼い。今親元から離し、首都へ連れて行くのは酷ではありませんか」
「申し訳ないが時間が無いのだ。出発は明日、それまでに別れを済ませてくれ」
その夜、村人達は広場に全員集まり、オーブとの別れを惜しんだ。
オーブは状況がいまいち理解できてない。しかし、皆が泣いているのを見てオーブも泣いた。
翌朝、オーブはいつもより早い時間に起こされた。
ルビーは赤くなった目を擦りながらオーブに別れを告げた。
「さようなら、オーブ。いつかきっと会いに行くからね、元気でいるのよ。何があっても私達は家族だってことを忘れないでね」
アルバンは声も出せず、黙って俯いていた。
ダニエルの美しい顔も、びしょ濡れになっていた。鼻を啜りながらダニエルは言う。
「絶対会いに行くからな! この前の決闘ごっこの勝負、まだついていないからな!」
他の村人達は悲しみと共に、メントルと巨大な鳥に乗ったオーブの背中に手を振った。
朝焼けは大地を明るく照らすのに、まるでミンテ村だけに光が当たらないようであった。