#7 野生の○○○○が現れた
現界の北西に位置する街アレクサンドルク、一度は悪魔の筆頭、魔王によって支配され魔族の桃源郷として名を馳せ、闇の生き物が蠢く死の象徴であった。が、魔族にとっての安息も束の間、先代の勇者が真人族を束ね、魔族に反旗を翻しその勢力に呑まれ、再び真人族の住み着く所に戻った。
そして、真人族の勝利の象徴、魔人への見せしめとして【魔勇の時計塔】が街から二キロ程離れた強風棚引く荒野に勇者によって建設された。それ故、如何なる者も寄せつけぬ強固の守備力を備えており、時計塔に侵入して全容を確認した者は勿論、外壁にすら傷をつけた者はいない。正に鉄壁。
其処を目指す二人の青年と童女は照りつける日差しと歩けど歩けど一向に進まない砂漠を踏みしめる感触に心身共々クタクタになっていた。
「ねえねえ、未だ着かないのかい。俺たち大分歩いているんだけど。このままだと干からびて死ぬよ、本当に……。」
「死にませんよ、マスターは。干からびて路上のミミズ化するのは否定しませんが、水をかければまた復活しますよ。しっかし暑いですね〜。水もう少し持ってくるべきでした。あ、水無くなった。」
水の入っていた容器に口をつけ最後の一滴まで舐め回しながらエスカは言う。
「ええぇ!?ちょっとどうしよう。水分はもう無い。身体はボロボロ。アイテム創造も無理。詰んでるよね、この状況!」
エスカが自らの力を振るえるのは自分のダンジョンの中でのみ。一度外に出てしまえばアイテム創造を始め、地形変換、物質移動、あらゆる能力が使用不可能になり、しがない普通の女の子に成り下がる。
持って来たアイテムも例の『不可視マント』に『剛力の指輪』、『透過の筆』、『飛翔の腕輪』そして、大量の貨幣だ。天災級のダンジョンでしか手に入れられない至高のアイテムも此処では唯のガラクタに成り下がる。先ずは、アレクサンドルクに着いてこの金で水を調達し、心身の疲れを癒す為、宿屋でも探さなくてはいけなくなった。【魔勇の時計塔】はその後だ。
「そもそも、エスカ、君が外ではアイテム創造出来ないって俺に伝え忘れたのが原因だぞ〜。家を出る段階で其処に気づいていればこんなことにはならなかった。」
眉根を寄せるロロカンデからエスカは目を逸らす。
「まあまあまあ、怨みつらみは人を老化させますよ。ほら、眉間のシワを元に戻してください。」
「俺、不老なんだろ。」
軽く心の中で舌打ちをするロロカンデ。だが、ここで転機が訪れる。
チャプンッ、チャプンッ
その時だった。目の前に水が飛び出したのだ。喉から手が出る程欲していた水が。
思わずロロカンデは息を呑む。思わぬ偶然に狼狽し震える。
「水だ……。水だぞぉーー!!わーーい!!!」
「そいつは、追いかけてはダメです!あっ、ちょっとマスター!?」
エスカの制止を振り切り、反射で水に飛び込んでいく。待ち焦がれた水だ、飛び出さない訳がない。この魔物を知らない人間以外は……。
ロロカンデは目の前の水をゴクゴクと飲み干していく。だが、一向に喉の渇きが治らない違和感を感じていた。それどころか、目の前の水の量がどんどん増えていっているのだ。何が起こっている!?
思わずバタバタと包み込まれた水の中で手足を振り回す。だが、身体を覆う水はビクともしない。物理的干渉が全く通じないのか!?
「なんで……ゴボボッ……」
意識が朦朧とし始める。一つは水の中で窒息による酸素不足、そしてもう一つは皮膚下及び血中の水分濃度の低下によるもの。
実はこの水、唯の水ではない。身体中の水分を吸収し、血の最後の一滴まで搾り取る残虐性を持ち、アレクサンドルクでは一級駆逐対象になっている魔物、『ウォータースライム』だ。
巻き込む水にロロカンデは身動きがとれず、徐々に抵抗も弱々しくなっていく。
――――く、苦しい。
もがけどもがけど身体はスライムにめり込んでゆく。底無し沼に足を奪われたみたいに一旦深みに嵌ると抜け出すことが出来ない。
エスカが慌てて助け船を出す。
「マスター!其処を動かないで下さいねー!うおぉぉりゃーー!!!」
プチャンッ!!
エスカは唯のナイフでスライムを薙ぎ払おうとする。しかし、相手は形を持たぬ水。表面を擦って終わる。
「それならば、はあぁぁぁーーー!!!」
プチュンッ!!
エスカの弱い拳が水の表面に沈む。しかしウォータースライムに触れるとどうなるか。
「マスタァァァーー! 手が抜けません!!」
ということになる。
ダンジョン娘が喋ると何かと突っかかるマスターの返事が返って来ないことがまた、エスカの緊迫感を煽った。
「それならば」とエスカはマジックアイテム『剛力の指輪』をそのか細く綺麗な指にはめ込んだ。
このアイテムの能力は単純に筋力強化。原型を留めないウォータースライムには物理攻撃が効かないことを考慮するとあまり得策とは言えない。
が、このアイテム、不老不死のロロカンデから頂戴した無限の生命力を注ぎ込んで造られた物。そこらへんのマジックアイテム気取りのガラクタとは比べ物にならない。
エスカは軽く地を蹴り、沼の様な粘着力のあるスライムすらも振りほどいて、天高く飛翔する。あまり力を入れていないのにこの高さだ。翼でも生えた様だった。
「た、高っ!?」
エスカ自身もその高度に驚きを隠せない。
が、此処はマスターの為、エスカも気合を入れる。スライムに焦点を合わせ、攻撃の軌道上に奴が乗る様に調整した後、
「はいやぁぁぁーーーーー!!!」
一閃。天から振り下ろされた蹴りは、空中で風圧を味方につけ、スライムの身体である水自体を跡形も無く粉々に薙ぎ払った。
地面に出来た巨大なクレーターがその威力を物語っている。
今の攻撃に巻き込まれたロロカンデだが、不死鳥の加護の能力でミンチ状の肉片から直ちに回復した。
「エスカあり…がとう。恩に…きる……よ。」
その言葉に少し照れるエスカ。思わず愛するマスターの背中を叩いてしまう。
「そんな、照れるじゃないですか!『バチュン!!
』………あっ」
砂漠に再び、ミンチの肉片が精製された。