可憐なる彼女は如何様にして天から落ちたのか(1)
「えーっと……つきみざとまこと?」
「先生、それやまなしです」
高校二年。
担任が変わり、名簿を見ながら生徒の名前を確認する。
僕の名前が間違えられるのはいつものことだ。
いつも、最後の方なのに何故た行? といった困惑の声で呼ばれる。
流石に、十一回目ともなれば慣れてしまったけれど。
「そうかそうか、すまんな。次ぃ……おっ、これは読めるぞ! 四月一日空音ー」
「はい」
眼鏡で軽い雰囲気の若い男の先生だが、次の漢字は読めたようである。
そして、流石にこれは慣れない。
慣れないというか、僕は小学校の頃から毎回クラス替えをしているわけだけど、これにて通算十一回目の邂逅である。
クラス替えを十一回もしているのに、毎回僕と同じクラスになる四月一日空音だ。
クラス替えはクラスメイトが変わるもので、二、三回同じクラスになった人はいても十一回は流石にあり得ない。
クラス替えをしても、毎回”いる”という状況に慣れない。
十一回が十一回とも同じクラスとなると、もはや運命とすら思ってしまうものだ。
もっとも、四月一日に言わせてみれば、
「うわー、十一回目だよこれで十一回目! 流石に呪われてるんじゃないかな?」
と、僕が落胆している所に四月一日が後ろの席から話しかけてくる。
そんな彼女を、先生が話してるからと軽くあしらって、僕は四月一日の会話を遮断する。
ここまで散々な言い様をしているが僕は別段、四月一日のことが嫌いではない。
家も近く、幼馴染だし小さい頃はよく一緒に遊んだものだ。
好意を抱いてると言ってもいい。
いや、声には出さないけれど。
――ともかく。これで十一回目の邂逅。
この調子だと高三年になっても同じクラスになりかねない。
その時は仕方ない、諦めるとしよう。
結果、僕はそう考えて割り切るのだった。
だが問題はまだある。まず一つ。
クラスが変わって数か月、席順が変わることはない。
つまり席順は出席番号で決められていて、それは四月一日が僕の後ろの席にいる状況で数か月を過ごさなければならないということだ。
だがまあいい。
まだそれはいい。
百歩譲って目を瞑ろうじゃないか。
そんなことより本当の問題は――。
■■■
「さて、部活に行くよっ! 月見里っ!」
終業のチャイム早々、僕が片づけを終わらせる暇もなく後ろの席から声をかけられる。
僕は短くため息を吐いて、まだ片づけていない教科書を引き出しにしまい込みペンケースを鞄にしまう。
ほとんど中身の入っていない、しいて言えばペンケースと折りたたみ傘くらいしか入っていない鞄を肩から下げ振り返る。
あまりに長く、あまりにもめんどくさい式が終わって、さらには今後の学生生活における色々な事を準備した途端のことである。
振り返ると僕より少し身長の低い、綺麗に切りそろえられた長い黒髪の童顔巨乳安産型美少女がそこにはいた。
これが四月一日空音の属性だった。
僕の身長は168cmだから、四月一日の身長は恐らく155cm程度だろうか。
バストに関しては……うむ、どれくらいなのかとは言及しないでおこう。
だが、あえて言うとしたら、その身長と童顔には不釣り合いなくらいにでかい。
とだけ言っておこう。
青色のラインをベースとした、セーラー服にも似た制服は改造されておらず、着こなしもまるで学校のパンフレットのごとく着崩すことなくきっちりとしている。
見た目こそいいものの、これに安易に釣られる男子が発生しないためにも性格についても描写しておくとしよう。
外面だけを見れば、天真爛漫、無邪気、子供っぽい。と言ったところだろうが冗談じゃない。
本質を見れば、性悪、小悪魔、計算高い。
四月一日の性格の骨格はこんなものだ。
勿論、これだけでは言い表せないほどに四月一日の性格は複雑だけど。
そして、早く帰りたい僕だったけれど、四月一日の強引な勧誘により入らされてしまった部活に行かなければならなかった。
これはつまり、高校二年生になっても四月一日とおはようからおやすみまで、ほとんど一緒に行動を共にしなくてはならないことを示していた。
――こうしてまた、四月一日とワンセットになった僕は呼びかけに嫌々応じ、意気揚々と歩み出す四月一日の後ろに付いていくのだった。
■■■
「なあ、入学式の日くらい部活しなくてもいいんじゃないか? 四月一日」
四月一日の斜め後ろを付いていく僕が言う。
「え、なに言ってるの? 月見里。他の部活は普通に活動してるんだよ? 私たちもするに決まってるじゃん」
四月一日は歩みを止めないまま返事をする。
僕は確かに、と思いながらもその意図を考え意義を唱える。
「あれは新入生を勧誘するためだろ」
「確かに私たちは新入部員はいらないけれど、今はそんな話はしてないよね? 他の部活は活動してる。ならうちの部も活動する。それだけ」
これだから四月一日は。ああ言ったらこう言う。
午前中で終わる今日くらいは早く帰ってもいいだろうに……。
僕達は、自分の教室から一つ階段を上がり右に曲がった先にある教室に這入る。
ここは授業用の教室で、放課後はうちの部室となっている。
「あ、そうそう月見里。流石に今日は早く店じまいするよ? なにも起こらなければ」
言いながら、四月一日は教卓の右斜め前の一番前の席に座る。
四月一日のいつもの席だ。
そして僕もある程度離れた、左後方の席に座る。
これもいつもの席だ。
なにも起こらなければ、か。
なにも起こらなければいいけれど。
そこで僕は極めて重要な問題に気付き、声に出す。
「あ、昼ご飯」
そう、午前中で終わる前提の今日では売店はやっていない。
そして、僕達は売店派なので弁当は基本的に持ってこない。
つまり、僕達は昼ご飯抜きと言うことになる。
「それなら問題ないよ、月見里」
僕の呟きに四月一日が、鞄から本を取り出しながら答える。
僕はそれに、机に突っ伏しながら気だるげに返答する。
「なに? 我慢すればいいだけでしょ? とか言うんじゃねーだろーな」
「大丈夫、私も弁当は持ってきていないし、それに今言ったでしょ。早く帰るって」
早く帰る。
その時間が何時なのかは分からないけど、一応考えてはいたのか。
――かなり強引な解決策だけど。
「でもそれなら……」
でもそれなら、初めから弁当持って来る予定にしていれば良かったじゃないか。
と、言おうとしたその言葉を遮断された。
「失礼します」
僕の言葉を遮断して教室に這入ってきたのは、おさげ髪で眼鏡の少女だった。
「この節はどうもありがとうございました」
少女はドアを閉めた後、お礼の言葉を述べ、深々と頭を下げる。
彼女は春休みに発生した、三角定規密室事件の被害者だった。
まさか、三角定規をあんな風に使う事で密室ができるとは思いもしなかった。
しかし、色々無事で良かった。
――それはともかく。
なにを隠そう、僕達の部活とは『探偵部』なのだった。
聞きなれない部活ではあるけど名前を見た通りだ。
探偵を部活でやっている。
それだけ。
誤解の無いように言っておくが、明確には探偵の仕事は事件を解決することではなく推理して問題を解決することだ。
なので、事件でなくても探し物だったり、身辺のトラブルを解決するのが主な仕事と言っていい。
「あの、四月一日さん。報酬の書類です」
四月一日は眼鏡少女が頭を下げながら、さながら表彰状でも送るかのように差し出した書類を片手で受け取ると、軽く目を通して鞄にしまった。
「うん、確かに。ありがとうね」
勿論部活なのでお金を貰う訳にはいかず、依頼人に証拠として書類を書いて貰うことによって(大体は四月一日が内容を書いて依頼人はサインするだけ)活動報告としているわけだ。
そして、鞄をごそごそと探って何か箱を眼鏡少女は取り出す。
「あとこれ……カツサンドです。どうぞ」
「えっ! いいの!?」
突然の貢物に四月一日が目を輝かせ、胸の前で手を組んで喜ぶ。
「はい。四月一日さん、お金は受け取れないけど、昼食を奢ってもらうくらいは別に良さそうとおっしゃっていたので」
カツサンドの入った箱を活動報告と同じように差し出すと、四月一日もまた表彰状のように両手で受け取る。
「わーい! カツサンドって美味しいよねー。なんか催促しちゃったみたいで悪いねー」
それは催促してるだろ。
ん? ちょっとまて。
今なにか見逃せない活動が粛々と進行しているぞ?
「ちょちょちょ、四月一日どういう事。僕聞いてないんだけど。まさかそれが今日の昼ご飯とか言わないよな!」
僕は体が机に当たるのも気にせず、二人の元に急いで近付き真意を確かめる。
「え、そうだけれど、何か問題ある月見里?」
四月一日はカツサンドの箱を笑顔で開けながら答える。
「さっき我慢すればいいだけって……」
僕は、こちらには見向きもせず箱を開けながら会話する四月一日に確認をする。
しかし、
「言ってないわよ? 私は問題ないって言っただけ」
帰ってきたのは無慈悲な答えだった。
問題ないってそう言うことかああああああああああああ!
まだだ! まだ希望はある!
「あの……僕の分は?」
今度は眼鏡少女に向きを変え、希望の光の一筋でもないものかと懇願するように問う。
しかし、眼鏡少女は申し訳なさそうに一言。
「……すいません」
僕はその言葉に言葉を失い、膝から崩れる。
「もぐもぐ……だから言ったじゃない、もぐもぐ……今日は早く帰るって」
食べ終わってから喋れ! なんて突っ込む余裕は今の僕には皆無だった。
対策が早く帰らせることって!
弁当を用意するようにしておけば良かっただけじゃん!
「それ、僕に分けて……」
「あげないよ? 中途半端に食べたら余計にお腹減っちゃうじゃん」
即答する四月一日を尻目に、少女は申し訳無さそうに告げる。
「あの、それじゃあ私はここで。ありがとうございました」
「ん、こちらこそ……もぐもぐ」
眼鏡少女は再び、深々と頭を下げると教室から出ていった。
油断した。
よく考えればこれも四月一日の十八番だった。
先出し。
前もって結果が分かっている事に対して言及しておくことで、逃げ道を用意しておく方法だ。
僕は短くため息を吐いて立ち上がり、トボトボと席に戻る。
そして諦めることにした。
はやく帰ってカツサンド食べよう。うん、そうしよう。
■■■
あの後、何時に帰るのか聞いたところ、十六時という回答が返ってきた。
いつもなら宿題をして過ごすのだけど、生憎今日は入学式なので授業は無く、当然宿題も無いのだった。
そして僕は、四月一日のように本を持ってきているわけでもないので、椅子に跨り、教室後ろの窓から空を流れる雲を、ぼーっと眺めて空虚な時間を過ごしていた。
その時。
僕は見た。
見てしまった。
見えてしまった。
空から落ちていく少女を。
正確には窓のすぐ目の前を落ちていく少女を。
一瞬の間の出来事だったけれど、その時間は何倍にも感じ、そして僕は少女と目が合ってしまった。
僕は少女が視界から消えた後、少女が視界に写っていた時間と同じくらいの時間を置いて思考が追いつき慌てて窓に向かった。
急いで窓を開けようとする。
しかしロックが開かない。
くそっ! 二重ロックが掛かってる!
僕は焦りながらもロックを全て外し窓から身を乗り出して下を見る。
下には横向きに倒れている少女。
ここからではよく分からないけれど、見た限り少女は真っ赤には染まっていなかったし、四肢が変な方向に曲がっていることもなかった。
安心したのもつかの間。
僕が慌てて窓から身を乗り出したため、様子を見に来た四月一日にお願いをする。
「四月一日! 女の子が落ちた。救急車!」
焦っている僕とは対照的に冷静な四月一日。
「どうやらそうみたいね。でも月見里も私も携帯持ってないでしょ?」
「くそっ! それなら僕が職員室に行って伝えてくる! 入学式とは言っても部活はあるわけだし、誰か残ってるだろ!」
僕は伝えるが早いか教室を飛び出し職員室へ急いだ。