後編
吊し上げ会議――蘭花の予定では吊し上げられるのは親衛隊だったのだろうが、結果としては彼女が吊し上げられることとなった――も終わり、会議室内には意気消沈した副会長達を心配そうな顔で見つめる親衛隊の姿があった。親衛隊としては自分達の親衛対象を慰めたいのだろうが、以前拒絶されたこともあり、二の足を踏んでいるようだ。
一方、副会長達は他に気を回す余裕がないらしく、親衛隊の方を見もしない。
(…………仕方ないなぁ)
決して外には漏らさずに内心溜め息を一つ。
「迅様」
誰一人声を上げない室内に、少し高めの凛とした声が響いた。
席から立ち上がり、丁嵐の方へと近付いて呼び掛けた撫菜に彼は片眉を上げて応える。
「副会長様方に申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「俺に聞かず、本人達に聞け」
「貴方以外の許可は必要ありません」
「……好きにしろ」
会議室に残っている生徒の視線を肌で感じながら話を進めた。
(ごめんね、皆)
心の中で各親衛隊に謝罪する。桔梗達には悪いが、彼女達ほど甘くない撫菜は容赦する気がない。
向けられた不安げな視線には苦笑で返した。
「副会長様」
「………………」
呼び掛けても、聞こえているはずの副会長は俯いたまま彫像のように動かない。
「………………」
「……言いたいことがあるなら、早く言えば良いだろう。騙されていた私を嘲笑いたいのか?」
呼び掛けたまま沈黙を貫く撫菜に、副会長は痺れを切らしたように早口で言い切った。自嘲気味に口の端を歪める彼女を見て、桔梗を含む副会長親衛隊の表情が曇る。
撫菜はそれ見たことかと彼らを嘲笑いたい訳でも、これを機に親衛隊を認めさせようという訳でもない。……親衛隊は彼らにこんな顔をさせないためにあるのだから。
(……でも)
必要ならば、彼らに灸を据えてみせよう。他の親衛隊が甘やかすのならば、撫菜は彼らに厳しくあろう。誰も嫌われたくないのならば、撫菜が彼らに嫌われよう。
それが、全ての親衛隊を取りまとめる会長親衛隊隊長の役目というものだ。
「はい」
「…………っ」
「しかし、それは羽生さんに“騙されていたから”という理由ではありません」
撫菜からすると、副会長達は蘭花に騙されていた訳ではないと思うが。……まあ、致命的に見る目がなかったのは確かだ。そして、広い視野も。
「相手を理解しようとしないのに、相手が自分を理解しないと嘆くのは滑稽ではありませんか」
「……何が言いたいんだ」
「はっきり申し上げるなら……副会長親衛隊は皆、貴女の趣味を存じております」
「…………なっ!?」
不快げに顰められていた顔に驚きが広がった。
それほど衝撃的だったのだろう。副会長は咄嗟に副会長親衛隊の方を振り向く。
「確かに、親衛隊はその性質上貴女方に自分達の理想を押し付けてしまうこともあるでしょう。しかし、それ以上に親衛隊は貴女を理解しようと努めています」
「…………」
「なぜ、副会長親衛隊の隊員が入隊したかご存知ですか?」
「いや、知らないが……見た目じゃないのか」
「容姿だけで親衛隊ができるほど自分が魅力的だと?」
「…………」
確かに副会長の容姿は整っているが、この学園にそれ以上の美形がいない訳ではない。
それが分かったのだろう、黙り込んだ副会長の顔が困惑したものに変わっている。自分の美貌に絶対の自信を持っていた蘭花と違い、副会長は容姿だけで親衛隊ができるほど魅力的ではないと断じられても怒っていないようだ。
ふと視線を感じ、撫菜はおそるおそる副会長の後ろに立つ親衛隊の方へと目を向けた。
「…………」
親しくないと分からないだろうが、桔梗が静かに怒り狂っている。謝っておかないと、この後撫菜と彼女の友人関係にヒビが入るのは確実だろう。
(……できるだけ見ないようにしよう)
撫菜に怒気を立ち上らせる桔梗を直視できるほどの勇気はない。
「私はその方の言葉に救われたから親衛隊に入りました。今、親衛隊隊長として在るのは私の誉れです」
副会長だけでなく、何人もの視線が撫菜に突き刺さる。驚きと好奇心と……普段、親衛隊の入隊理由など聞くことはないだろうから、物珍しいらしい。
相手を明言してはいないが、撫菜の立場から考えれば“その方”が誰かは簡単に分かる。彼に視線を向ける気配もあった。
「桔梗先輩は…………私が語ることはしませんが。桔梗先輩も他の隊員も、それぞれに理由があって副会長親衛隊が在るのです」
“桔梗は過ぎるほど他人を優先してしまう繊細な貴女を守りたいから親衛隊を作ったのだ”と言ってしまいたかったけれど、彼女の想いを語るのが撫菜であってはいけない。
副会長が目を向けると、副会長親衛隊の面々がそれぞれ頷く。
「私達がユリヤ様に魅かれた理由は、容姿だけではありません」
「もちろん、ユリヤ様の麗しいお顔と優雅な立ち振る舞いにも魅かれて止みませんが……貴女が、貴女だから、好きなのです」
「ユリヤ様をご不快にさせたりいたしません。だから、貴女を支えることを認めてくださいませんか?」
副会長親衛隊はそう切々と訴えた。
(……もう、私の出番はないかな)
撫菜はひっそりと苦笑を漏らす。
このまま放っておいても、副会長と副会長親衛隊の関係は改善するだろう。
「私は……」
それきり黙り込んでしまっていた副会長は唐突に立ち上がり、親衛隊の方へと向き直った。
そして、慌てる親衛隊に深く頭を下げる。
「皆……今まですまなかった。ずっとこんな私を好きでいてくれて、ありがとう」
―――見た目に似合わず少女趣味で乙女チックな副会長は、泣き笑いのような表情で自分の親衛隊に礼を言った。
◇◇◇
副会長だけでなく、以前から思うところのあった会計、前々から将来に不安を覚えていた庶務、非公認のものとはいえ親衛隊を蔑ろにしている著塚と浅見といった、今回事前に話を済ませていた書記以外の元蘭花の取り巻き達に、撫菜はきっちりと説教をした。蘭花のことがなければ面と向かって説教することはなかっただろうが、やや晴れ晴れとした顔になっているのは否定できない。
(……ふぅ、すっきりした)
騒動の後始末やら証拠集めやらで忙しく、鬱憤が溜まっていたというのもあるが、以前から親衛隊と親衛対象の関係をどうにか改善できないかと頭を悩ませていたため、解決したことが嬉しい。撫菜の説教だけで何かが変わるとは思っていないが、少しでも親衛隊を見直すきっかけになれば良いと思う。
「では、私は退出させて頂きます」
そう一声掛けた撫菜は、紅日を含む他の会長親衛隊のメンバーと共に賑やかな会議室に別れを告げた。……話に花を咲かせる副会長と副会長親衛隊にも、親衛隊員兼恋人達と彼女達にちくちく嫌味を言われて困り顔の会計にも、二人の世界を作り出している書記と書記親衛隊隊長にも聞こえていなそうだが。
ドアノブに手を掛けたとき、その声が聞こえてきた。思わず振り返る。
「会長ーっ、カノジョがオレを虐めてくる……っ!!」
「知るか」
「……えー、助けてよーっ」
「あら、“カノジョ”じゃなくて“カノジョ達”でしょう?」
会計に絡まれた丁嵐は素っ気なく言葉を返したが、誰でも良いから助けて欲しいという心境に達しているらしい会計は丁嵐の腕に取りすがった。普段なら決して丁嵐に助けを求めたりしない会計の行動に驚くが、それ以上に完璧すぎて敬遠されがちな丁嵐がいても躊躇なく会計に声を掛ける会計親衛隊に目を見開く。……会計の親衛隊は肉食系女子が多いからだろうか。
面倒臭そうに会計をあしらいつつも薄らと笑みを浮かべる丁嵐に、撫菜は自然と笑みが零れるのを感じる。
(……リコールしなくて良かった)
彼らは知らないだろうが、風紀委員会と一般生徒、一部の親衛隊員から生徒会にリコールの声が掛かっていた。生徒会長である丁嵐以外の役員全員が仕事を放棄していたのだ。その判断も当たり前かもしれない。
リコールを望む声を捻じ伏せて良かったのかと自問した時期もあったが、今は素直に良かったと思える。きっと、彼らは後々まで名前が挙がるような生徒会になるだろう。
「撫菜? 出ないの?」
紅日に声を掛けられてやっと我に返る。
「あ、ごめん。……ぼうっとしちゃった」
「まあ、良いけど。まだやらなきゃいけないこともあるし、早く親衛隊室に帰ろ?」
「うん……行こうか」
紅日の言葉に頷き、扉を開けた。最後にチラリと後ろを振り返ったとき、丁嵐と目が合った気がしたのはおそらく気のせいだろう。
「……あ」
「はぁ~、緊張した……って、え?」
ガチャリと音を立てて扉が閉まってすぐ廊下にへたり込んでしまった撫菜に、焦ったような声が掛かった。
「ちょ、撫菜?」
「隊長!?」
心配そうに撫菜を見る親衛隊員に、彼女は少し遠い目をした。心配してくれるのは嬉しいが、もう少し声のボリュームを下げて欲しい。
(室内に聞こえないと良いな……)
もし聞こえていて誰かが様子を見に扉を開けたらと思うと、恥ずかしすぎる。
「どうしたの?」
「……腰、抜けちゃったみたい」
問い掛けてきた紅日に目を逸らしながらそう返すと、彼女から呆れたような雰囲気が伝わってきた。
次に続いた言葉に、ばっさりと一刀両断される。
「決まらないわね、アンタ」
(ごもっとも)
あからさまに肩を落とした撫菜を見て、会長親衛隊から軽やかな笑い声が上がった。
決まらない撫菜が会長親衛隊の隊長なのだから、世の中分からないものだ。
ずっと廊下で腰を抜かしている訳にもいかないので、とりあえず紅日の肩を借りて近くの移動しようと話が決まったところで会議室の扉のドアノブがカチリと回る音がした。
(……止めて止めて開けないで)
撫菜の祈りも空しく、扉は開かれる。
会議室から顔を出したのは生徒会長・丁嵐迅、その人だった。
(何で、よりによって迅様なのーっ!!!)
撫菜は人知れず、心の中で絶叫した。
今の撫菜の姿は、憧れの人には絶対に見られたくなかった姿だ。隊員からは気の毒げな視線と、面白がっているような顔の両方を向けられている。……どちらにしても、所詮他人事という考えが透けて見えるが。
「何をしている」
丁嵐の普段は浮かべないであろう不思議そうな表情は撫菜に向けられていた。
会議が終わった後で気が抜けるのと一緒に腰も抜けたとは言いたくなくて、何とか誤魔化そうと頭を捻るが、こんなときに限って良い言い訳は思い付かない。
「実は、持病の……」
「腰が抜けたそうですよ」
「ほう」
(紅日……っ)
あっさりと事実を答えた紅日に、撫菜は恨めしげな視線を送る。
しかし、てっきりこのまま通り過ぎるだろうという予想を外し、撫菜の近くへと歩み寄った丁嵐にそれどころではなくなった。撫菜は呆然と下から丁嵐の端正な顔を見上げるが、彼は何も言わない。また、いつもの無表情に戻った彼からは何かを読み取ることもできない。
腰を抜かした撫菜とそれを見下ろす丁嵐の間に流れる沈黙が痛くて、撫菜は焦ったように言葉を紡ごうとする。
「えっと、迅様…………これはですね……」
「俺が運んでやろう」
「……は?」
丁嵐の言葉を理解する前に、撫菜は彼に抱え上げられた。所謂、お姫様抱っこというやつだ。
撫菜を抱えたまま丁嵐が歩き出すと、どうにか混乱していた頭が状況に追いついた撫菜は抗議しようと声を上げる。
「迅様!」
「どうした」
降ろしてもらおうと意気込んで呼び掛けたのは良いものの、滅多にお目にかかれない柔らかな微笑を向けられ、顔に熱が集中した。
真っ赤に染まった顔のまま抗議しようとする撫菜の口から漏れるのは不明瞭な言葉だ。
「……っ、あの、あのあのあの!!」
「軽いな」
「いえ、そんなことはないと思いますが……じゃなくて!」
「どこまで運べば良いんだ」
撫菜の様子など意に介さず、丁嵐は目的地を尋ねる。
「あ、親衛隊室までお願いします」
後ろから付いて来ていた紅日がちゃっかり答えた。一見真面目な顔をしているように見えるが、眼が笑っているのは撫菜の気のせいではないだろう。
「お願いですから、降ろしてくださいぃぃぃぃっ!!!」
放課後の羽生学園に撫菜の叫びが響く。
―――生徒全員が注目していた会議の結果ではなく、生徒会長にお姫様抱っこされる会長親衛隊隊長の写真が翌日の校内新聞の一面を飾ることになるのだが……このときの撫菜にそれを予測できるはずもなかった。
本編はこれで完結です。
次話は人物紹介。各キャラの、本編のその後の設定も少しだけ載せています。