前編
(何で、こんなことに……)
そう心の中で溜め息を吐いた田端撫菜の目の前では、数か月前に転入してきたばかりの女子生徒・羽生蘭花が泣き崩れている。
蘭花の周りには見るも無残な姿となった教科書が散乱しているが、撫菜はそんな幼稚な悪戯を行った覚えもなければ、隊員に指示した覚えもない。それは、撫菜の隣に立つ二人――美倉桔梗と忍足冬希も同じだろう。
……なぜ、それが分からないのか。
「どうせ、君達がやったんだろう? 私が蘭花に構うからと……本当に君達の心は醜いな」
勝手に決めつけ眉根を寄せるのは、この学園の生徒会副会長である百合谷麗。スカートを穿いていることに違和感を覚えるほどの美男子だが、正真正銘女性だ。男装の麗人といった見た目の彼女をその信奉者達が囲む、普段の様子は某歌劇団を彷彿とさせる。
「……ユリヤ様は私をお疑いになるのですか?」
平静な表情で返す桔梗の握り締めた手が震えていることに気付いたのは、おそらく撫菜だけだろう。何も言わず、撫菜は彼女の震えを隠すようにそっと桔梗の手に自分の手を重ねた。
(頑張ってください……桔梗先輩)
勇気づけるように軽く手を握る。
心の中で“私達がついてます”と囁けば、“分かっている”と返すように一瞬だけ握り返される手。桔梗の震えが止まったことに安堵して、重ねたときと同じようにそっと手を離した。
「当たり前だろう。私が君達を信じる訳がない」
「…………っ」
吐き捨てるように言った副会長に、桔梗が小さく息を飲む。すぐに持ち直したものの、一瞬誰の目にも分かるほど大きく肩が揺れた。
(相変わらず……か)
必死に感情を押し隠す桔梗には悪いが、撫菜からすれば副会長が自分達を疑うのは予想できたことだ。本人は気付かれていないと思っていそうだが、フェミニストな“ユリヤ様”が女子に優しいのは表面上だけで本当は撫菜達を嫌っているということを知っている生徒は少なくない。
それに、今、副会長達には盲信する相手がいるのだ。その相手の言うことを信じない訳がない。
「麗先輩っ、良いんです! きっと、私が悪かったんです……!!」
「なっ、蘭花が悪い訳ないだろう!」
「いいえ、私が……私が、皆の気持ちを考えなかったから……っ」
涙を堪えて訴える蘭花の容姿は撫菜も美しいとは思うが、彼女がこれほど好かれる理由は分からない。
「蘭花ちゃんは悪くないって! ……悪いんだとしたら、こんな卑怯なマネした子だと思うよ。言っちゃ悪いけど、こんなことするなんてサイテーだよね」
また泣き始めた蘭花を慰めるように横から口を挟んだ生徒・真下雪延に、周囲の生徒達がざわめいた。真下の目はしっかりとこちらを射抜いていて、彼も撫菜達を疑っているということは明白だ。
(会計様がここまで言うなんて……珍しい)
生徒会会計を務める彼は、どちらかというと争いごとを嫌うタイプだと聞いている。実際、性格的に対立しやすい会長と副会長の仲裁をすることこそなかったが、自分自身はできるだけ周りと軋轢を作らないようにしていたはず。……だからこそ、彼が他人を非難したことに驚く。
撫菜は会計の乱入に少し驚いたものの、すぐに冬希の方に目を向けた。
「…………貴方も疑ってるのね……」
ポツリと呟いた冬希の言葉は会計達には届かなかったようだ。唇を噛み締めて俯く姿が痛々しい。
チラリと見れば、同じ状況にある桔梗も冬希に気遣うような視線を向けている。
「忍足隊長も私達も制裁なんてしてません!!」
「信じてくださいっ、真下様!!」
後方の幾人かから声が上がった。撫菜や桔梗の隊ではなく、冬希の隊だろう。耳を澄ませば、押し殺した泣き声も聞こえる。
撫菜の隊員はこの場にいない――いたとしても、桔梗や冬希の隊ほど被害はない――が、立場上この後はフォローに奔走しなければならないのは必至。せめて“あの人”がいてくれればと思わなくもない。……まあ、この程度のことで彼の手を煩わせる気はサラサラないのだけれど。
「オレに自分の感情を押し付けてくるばかりのキミらの、一体何を信じれば良いの?」
「…………っ」
「私も同感だ。理想を押し付けて来る君達に、いつも私がどんな思いをしていたと思う?」
「ユリヤ様……っ」
決定的な一言に、全員が泣き崩れた。その悲痛な表情は、彼ら曰く被害者である蘭花の比ではないだろう。
冬希は涙を零しているし、いつも気丈な桔梗すら顔を俯けている。隊員達の手前、二人が涙を見せることはほとんどない。……それを、副会長や会計は理解しているのだろうか。
「……はぁ、都合が悪くなったら泣くのか」
「蘭花ちゃん、大丈夫?」
「……は、はい。取り乱してごめんなさい」
「蘭花が謝ることなどない。悪いのは全て彼女達だ」
「そんなことは……」
「蘭花ちゃんは優しいね。でも、彼女達は元々そういうことする子ばっかりだし、キミが気にすることないよ。……副会長。ここで言い合ってても仕方ないし、蘭花ちゃん休ませてあげたいから、さっさと風紀委員に任せちゃいません?」
「それもそうだな。誰か、風紀委員を呼んで来い!」
桔梗達を顧みることなく、副会長は遠巻きに様子を窺っていた野次馬に声を掛け、会計も冬希達を一顧だにせず、柔らかい表情で蘭花の背をさする。
このままでは、制裁の主犯として桔梗や冬希が風紀委員に連れて行かれることは確実だ。冤罪であったとしても、現行犯としてここで引き渡されてしまえば、その決定を覆すことはできない。……この学園の生徒会役員にはそれだけの権力がある。
しかし、幸か不幸か、この場には撫菜がいた。撫菜の立場は一見桔梗達と同じように思えるが、根本的なところで異なる。副会長達の意見に唯々諾々と従う気など毛頭ない。
「お待ちください」
静かな制止の声は騒然とするその場に不思議と大きく響いた。
今になって初めて声を上げた撫菜は、友人二人を守るように一歩前に進み出る。
「副会長様、会計様」
「……君は」
苦々しげに顔を歪める副会長に、心の中で溜め息を吐いた。
おそらく、下に見ている相手――しかも嫌っている相手に反論してこられるのが嫌なのだろう。桔梗には悪いと思うが……こういうとき、彼女は“あの人”に遠く及ばないと強く感じる。まあ、撫菜にとって“あの人”に匹敵する相手などいないのだけれど。
「お二人が私達を疑われるのも仕方のないことでしょう。しかし、私達は今回の制裁に関わっておりません」
「……っ、そんな言葉が信じられるものか!」
「では、今から隊員全員のアリバイでも申し上げましょうか?」
「……ん~、偽のアリバイ作ってるかもしれないし……君達は命令しただけで実行犯は別にいるってこともあるから、それじゃあ疑いは晴れないよ」
「その通りだ。いい加減、聞き苦しい言い訳は止めて蘭花に謝れ。……謝ったところで、私は君達を許さないがな」
まるで信じていないという発言に、後ろの桔梗と冬希が悲しんでいるのが分かる。
しかし、撫菜は副会長と会計に何を言われようと傷付かない。……ある一人を除いて、生徒会役員には興味がないから。関わりがない訳ではないし、生徒会の職務を全うしていた彼らをそれなりに尊敬していた。が、二人のように責められて傷付くほど傾倒していない。
ただ、ある意味撫菜も二人と同じ立場なので、彼女達の心情は痛いほど分かる。分かるのだが……友人を傷付けた相手に向ける視線が冷ややかなものになってしまうのは仕方がないだろう。
「謝ったところで許さないのは私もですよ、副会長様」
思いがけないことを言われ気色ばんだ副会長ににっこりと笑い掛け、撫菜は言葉を続ける。
「今現段階では私達に疑いを晴らす術はありませんが……私達が“やっていない”という証拠を持っていないのと同じように、お二人も私達が“やった”という証拠を持っていませんよね? …………お二人は何を根拠に私達が羽生さんに制裁を行ったと思い込まれているのでしょう?」
以前の副会長達ならともかく、今の彼らに尊敬の念など欠片も抱いていない。むしろ、職務を放棄して“あの人”の手を煩わせていることに怒りを覚えるほどだ。
何せ、撫菜は副会長や会計ではなく“あの人”―――生徒会長・丁嵐迅の親衛隊隊長なのだから。
◇◇◇
羽生学園には親衛隊と呼ばれる組織がある。
人気生徒――主に生徒会役員や各委員の委員長のことだ。役付きと呼ばれるそれらは人気投票で選ばれる――の所謂ファンクラブのようなもので、親衛対象が円滑に学園生活を送れるようにするのが主な目的だ。非公認のものがない訳ではないが、ほとんどの親衛隊は親衛対象と学園の許可を得て発足している。
羽生学園は女子生徒の数が七割を超えているため、親衛対象は顔の良い男子生徒であることが多く、親衛隊員のほとんどは女子生徒だ。そのため、隊員の大半が親衛対象に恋愛感情を持っているので、親衛隊は問題を起こし易いと言われている。……実際、悲しいことに、制裁と呼ばれる陰湿なイジメが横行し、不用意に親衛対象に近付いた生徒が退学に追い込まれることすらあるのは事実だ。
だが、それは先代の親衛隊隊長達までの話。
今の親衛隊は警告程度しか行わず、制裁といっても個人単位で行われていることで、親衛隊は関与していない場合が多い。たまに、下っ端の隊員が揉め事を起こすことがあるものの、親衛隊の力で呆気なく収束させられている。
この学園は今まででは考えられないほど平和だった―――ほんの数か月前まで。
羽生学園に嵐が舞い込んだのは、入学式を過ぎ新入生も少し学園に慣れてきたであろう5月頃。二年と三年で構成された新生徒会は随分前から上手く機能していたし、新生徒会の発足と同時期に隊長の代替わりを終えた親衛隊も今までにない統率のとれた組織となっていた。
学園を運営していく上で学生には過ぎるであろう権力を渡された生徒会、学園最大の規模を誇る組織である親衛隊、学園内の問題を取り締まるため生徒会に次ぐ権力を持つ風紀委員会。主だった学園の三勢力は、丁度良い勢力バランスの上で平穏を甘受していた。
それが、たった一人の生徒によって壊されるなんて誰が予想しえただろうか。
季節外れの編入生。
それがこの一連の騒動の始まりだった。
最難関と謳われる編入試験を満点で合格したという噂のある編入生は、美形の多い羽生学園でも一際人目を引く美少女で、羽生蘭花の名前の通り羽生学園の理事長の親戚――理事長が溺愛する姪だった。
一番初めに彼女に落とされたのは、女であるにも関わらず女子隊員ばかりの親衛隊を持つ副会長。次に、何人もの恋人を持ち親衛隊にも恋人が数人存在する会計。生徒会役員でこそないが、非公認の親衛隊が存在するスポーツ特待生に、顔は良いものの周囲から恐れられ遠巻きに騒がれている不良、内部生――羽生学園は小・中・高のエスカレーター式だ――がもてはやされるこの学園では珍しい外部生でありながら人気の高い学年主席。
規模の差こそあれ、親衛隊を持つ彼らのお気に入りに収まった羽生蘭花に、学園の半数以上を占める女子が拒否反応を示すのも無理ないことだった。
だからといって、行儀の良くなった親衛隊が制裁を行うことはない。……人気のある生徒達を独占して他の生徒達の反感を煽らないようにと穏便に警告した親衛隊に対し、“親衛隊があるから皆が困るのよ!”と返した羽生蘭花に各親衛隊隊長達が辟易したことは確かだが。
人気のある生徒ばかりに囲まれ、彼らを友達と言って憚らない羽生蘭花の親衛隊嫌いは彼女の取り巻きと化した副会長達にも伝染し―――今に至る、という訳だ。
親衛隊ブームが来れば良いと思ってやった。後悔はしていない!
※誤字修正|(2019/8/17)
修正箇所 蘭化→蘭花
誤字報告をくださった方、ありがとうございます。




