婚約破棄を言い渡された日、わたくしは王都を救いました 王都再編後の小事件
婚約破棄を言い渡された日、わたくしは王都を救いました スピンオフです。
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短編・一話完結/前作未読でもOK。
審問石が濁る・澄むを使った“手順ミステリ”です。
誰も嘘をついていないのに齟齬が生まれる――その穴を言葉と運用でふさぐ、小さめ事件の解決編。すき間時間にどうぞ。
再編一日目の朝、王都の鐘が四つを打つ。
わたくし――エリザベート・グランツは、近衛副隊長セドリックと記録局へ向かった。
昨夜のうちに、王都の防衛網に関わる印章類は『旧印』から『新印』へ切り替えを済ませてある。
初日の仕事は、手順の確認と巡回路の引き直し――のはずだった。
「だ、旦那様……じゃなくてエリザベート様! たいへんです!」
記録庫の前で、局員が蒼い顔をして飛び出してくる。
「『新巡回図』を収めた筒箱が、ひとつ消えました」
◇
保管室には、若い衛兵が膝をついていた。
火の消えた目で、わたくしを見る。
「私がやりました。箱を、運び出しました」
セドリックがわずかに身を乗り出すのを、わたくしは手で制した。
審問石を掌に載せる。虚偽には濁色、真実なら清澄に光る。
「確認します。『あなたが盗みました』――そうですね?」
審問石は、ゆっくり濁った。
衛兵が顔を上げる。わたくしは声の調子を変えず、もう一度。
「では、『あなたは箱を持ち出しました』」
今度は、清澄に光る。
「差がありますね。あなたがしたのは『持ち出し』であって、『盗み』ではないのかもしれません。指示書は?」
「夜間臨時の移送命令が……宰相補佐印が押されていました」
宰相補佐はすでに拘束済み。偽印の可能性はある。
わたくしは命令書を審問石にかざした。
「『この箱を倉庫Bへ移送せよ』」
石は清澄。文面自体は真実――つまり、命令そのものは『存在した』。
「封蝋は?」とセドリック。
「割れていませんでした。確かに」と記録局長。
審問石は清澄に光る。
誰も嘘をついていない。では、どこに穴がある?
視線を落とす。残っている筒箱の封蝋――葡萄唐草の縁取り。旧印だ。
昨夜、全部署に新印(雷紋縁)への切り替え通達を出したはず。
「局長。新印の受領は?」
「は、はい。夜明け前に受け取り……あっ」
わたくしは頷き、並んだ筒箱の封蝋をひとつずつ見た。
旧印と新印が混在している。
「順番に質問します。『今朝、記録庫から“新印の筒箱”が無断で搬出された』」
審問石は濁った。
「『今朝、記録庫から“旧印の筒箱”が倉庫Bへ移送された』」
清澄。
つまり――『新巡回図』が入っているのは新印の筒箱。
倉庫へ運ばれたのは旧印の筒箱。『盗難』と騒いでいるが、実際には“目的物”はここを出ていない。
「局長。新印の筒箱は、どこに?」
「ここに三つ、奥に二つ……もう一つは……」
局長の声が細くなる。
保管棚の奥、腰の高さにある引き出し――鍵穴の縁が新しい。
セドリックが無言で鍵束を受け取り、静かに開けた。
引き出しの底板が二重になっている。上板を外すと、薄い革の筒が現れた。
封蝋は新印。『王都外周・第一巡回』と刻印がある。
「ありました」
セドリックが短く告げる。
膝をついていた衛兵の肩から、力が抜けた。
「どういうこと……」
「事件は『表記の混線』で起きました。旧印の筒箱を移送したところで、誰も『盗み』は成立していません。あなたは命令どおり『運んだ』。局長は『封蝋は割れていない』と言った。それも正しい。けれど、肝心の“中身の所在”が確認されないまま、言葉だけが走った」
わたくしは審問石を机に置いた。
澄んだ光が、窓の格子を薄く縞にする。
「ついでにもうひとつ。『倉庫Bにある旧印の筒箱は空である』」
審問石は清澄に光る。
昨夜の切替に合わせ、旧印の筒は中身を抜き、目録の差し替えだけを先に済ませていた。
手順の段取りが逆になったせいで、『盗難』が出来上がったのだ。
「犯人は?」
局員の視線が一斉に揺れる。
わたくしは首を振った。
「いません。今回は『犯人不在』です。罪をつくったのは、不統一な手順と確認不足。――ただし」
わたくしは倉庫Bの移送命令書を掲げる。紙の端に、細い切り欠き。
石の受け台の角で削ったような跡。
宰相補佐の偽印を使った者が“テスト”を仕掛けた可能性は高い。
「命令書の出所は追います。ですが今日の午前中は、まず『再編の基本』を全員で共有しましょう」
◇
中庭に机を持ち出し、わたくしは簡易の講習を開いた。
新印の見分け方、封蝋の交換手順、移送時の読み合わせ――言葉をそろえるだけで、石の光のように混濁は引いていく。
セドリックが湯気の立つ紅茶を置いた。角砂糖が三つ、白く光る。
「糖分は、頭を回しますからね」
「いつもより一つ多いのでは?」
「初日ですから」
彼は真面目に笑った。
衛兵の青年――名をキランと言った――が、おずおずとこちらへ来る。
「あの……申し訳ありませんでした。自分が……」
「謝るのは仕事が片付いてからにしましょう。あなたは命令を守った。それは正しい。ただ、命令が正しいかどうかは、これからは『手順』が担保します」
わたくしは審問石を彼に渡した。
青年の手のひらに、清澄の光が拡がる。
「午後は倉庫Bの棚卸し、そして命令書の筆跡を追います。偽印を扱える者は限られていますから」
「犯人は……やはり、いるのですか」
「『意図』はいるかもしれません。けれど『盗み』は成立していない。今日の結末は、それで十分」
◇
夕刻。
最初の講習は終わり、人の流れが落ち着く。
わたくしは記録局長に署名の手続きを指示し、セドリックに視線を送った。
「旧印の筒箱を運んだ御者の手袋、保存してありますか?」
「はい。粘つきが少し……砂糖水のような匂いがします」
「封蝋の偽造に、砂糖は便利です。角を丸めて、印面の欠けをごまかせますから」
セドリックの目がわずかに細まる。けれど追及は今ではない。
初日は『整える日』だ。
「明日の朝、工房組合に照会を。砂糖を使う封蝋の加工屋は、そう多くないはず」
「承知しました」
西の空に灯がともり始める。
わたくしは審問石を掌に受け、そっと息を吐いた。
光は静かで、嘘の匂いは薄い。
――良い初日だ。王都は今日も、思ったより静かに回っている。
読了ありがとうございました。
今回は「犯人不在」の盗難劇=表記と手順の混線がテーマでした。
封蝋の扱い・偽印の匂わせ(砂糖水)など、細部の仕掛けを楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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