一時保護
僕はこれからどうなるのだろうか。
家には決して帰るつもりはない。
どこか違う場所で生活をするのだろうか。
どんな未来になるかは見当もつかないが、きっと救われることだろう。
いや、救われなければほんとうにどうしろどいうのだろう。
僕が僕らしく生きていける日は訪れることなのだろうか。
「裕久君?」
阿部さんの言葉で白昼夢から目覚める。
「は、はい。」
「あのね、裕久君から話を聞いた結果、今住んでいるおうちとは一時的に離れて別の場所で生活をしてもらおうと思うんだけど裕久君はどうかな?」
阿部さんの問いかけに僕は一瞬頭が真っ白になる。
想像はしていたはずなのに。いざ目の前に現実として現れると心が決めあぐねている。
でも、きっと僕はこれを望んでいたはずなんだ。
僕は決意を固めて返事をする。
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします。」
そう言うと阿部さんは優しく微笑んだ。
「わかりました。手配をするから少し待ってもらうね。ずっと待ってて大変だけど頑張れる?」
優しい気遣いだなと僕は心が温かくなる。
「大丈夫です。」
正直言ってもう待ちくたびれてはいたが、待つ以外の選択肢はない。
「ありがとう、じゃあ斎藤さんと一緒に待っててね。」
「はい」
会話を終え、阿部さんが部屋を足早に出ていく。
斎藤さんはずっと無口だが僕の話を真剣に聞いてくれているのが相槌でわかる。
懸命に僕の言ったことをメモし、記録に残す。勤勉で朗らかなのだろうと空気で感じ取れる。
二十代前半の女性で髪はすべて後ろで束ねている。
前髪もすべて束ねているため、おでこの肌のきれいさが際立っている。
「裕久君はなにか好きなものとかある?」
沈黙を埋めるように斎藤さんが僕に問いかける。
「好きなものですか。ゲームとかよくしてました。」
「ゲームかぁ。なんのゲームしてるの?」
「RPGとかですかね。」
僕はネッ友とよくやっていたゲームを思い出す。
昔そのゲームをインストールするときにお父さんにとても駄々をこねたものだ。
銃で撃ちあうゲームなので教育によろしくないとなかなかOKサインが出なかったからだ。
小学校の友達に勧められてからは狂ったようにそのゲームをやりこんだ。
ゲームのプレイ時間は五百時間をゆうに超えてゲームを禁止されてると癇癪を起すようになった。
両親にはそれで迷惑をかけた。今になって謝りたい。
「最近RPG流行ってるもんね。」
「そうですね、ネッ友とよくやってて。」
「ネッ友いるんだ。どこに住んでるの?」
「千葉です。泊まりに行きましたよ、中2の時に。」
「へぇーそうなんだ!お母さん許してくれたの?」
「いや、なかば無理やりでしたけど。一応電車賃はお母さんが出してくれました。」
「そっかそっか。」
「気になってること聞いてもいいですか?」
「うん!全然大丈夫だよ。」
「僕がこれから行く場所ってどんなところなんですか?」
「これから行く場所かぁ。名前は一時保護所っていう場所だよ。いろんな事情で家にいることができないこどもたちが一時的に保護される場所。多分裕久君が行くところは十人前後の規模かな。」
「なるほど、自分の部屋とかあるんですか?」
「部屋はあるけど、大部屋でみんなで一緒に生活することになると思うよ。お風呂とかも誰かと一緒に入ると思う。」
「なるほど。」
「また詳しい話は阿部さんのほうからしてくれると思うよ。一時保護所って言っても施設によってルールとか結構違うから厳密に言うとまだ未知数なところが多いかな。」
自分の部屋がないのか……。プライベートの時間はいつあるのだろうか。
ずっと集団で暮らすのだろうか、さすればきっと思春期(自称)の僕はかなりしんどいだろうな。
家でも自分の部屋というものはなかった。
自分だけの空間といえば鍵をかけれるトイレだけだった。
トイレ空間が心地よすぎてずっとトイレに引きこもっていたら母親からあらぬ疑いをかけられたものだ。
疑いとはなにかはご想像にお任せよう。
もともと自分の空間がないに等しいのであれば、一時保護所も難なくこなせるのかもしれない。
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ノックが鳴る。
阿部さんが部屋に入ってくる。
顔つきからして話がまとまったようだ。
僕はこれから話されるであろう内容を想像して、心構えをつくる。
「長い間待ってもらってごめんね。今から裕久君はX市を離れて一時保護所に行きます。一時保護所で生活をします。それについて、裕久君は大丈夫ですか?」
ここまで来て断ることはないだろう。僕はそれだけ覚悟を持っ出てきたのだ。
躊躇はしない。はっきりと。
と思った矢先にでた声はよわよわしく振り絞られた声だった。
「はい……大丈夫です。」
僕は自分の不安にどこまで気付いているのだろう。
いろんなことが起こりすぎてもう感情も、感覚も、なにもかもが理解不能になりつつあった。
「では、これから一時保護所に向かうんだけど、ごめんね。私は次の予定があって同行が出来ません。こちらの斎藤さんが一時保護所まで同行してくれるのと同時に、裕久君の担当CWになります。」
担当、が僕につくのか。なんだか不思議な気分だ。
「わかりました。一時保護所まではなにで行くんですか?」
どこにあるのかもわからない場所にこどもを連れて行こうとすれば大抵は車だろう。
「車で行きます。ここからだと四十分程度かな。車酔いとか大丈夫?」
「四十分ぐらいだったら大丈夫です。」
「そっか、そっか。じゃあ向かおうか。」
「はい」
僕はずっと座っていたソファから重い腰を上げる。
部屋から出るときにちょうど仕事を終えた辻さんと遭遇した。
「あっ、辻さん。僕、一時保護所に……。」
急に離れる悲しみが押し寄せてきた。
「うん、話は聞いてるよ。これからいろんなことがあると思うけどなんとか頑張ってね。いつでもX市で待ってるからね。」
「ありがとうございます。いってきます。」
「いってらっしゃい」
こんなにも仰々しい別れの挨拶をすると、なにか僕が遠いところに行ってしまうようで急に恐怖が湧き上がってきた。
「あ、原さん。裕久君が食べてたものの残り、どうしますか。一時保護所には食べ物持ち込めなくて。」
「そしたらこちらで処分しときますよ。」
「ありがとうございます。」
後ろで原さんと阿部さんの事務的な会話を背に、斎藤さんとエレベーターを待つ。
エレベーターが開き僕が誘導され先に乗り込む。二人が乗り込んだタイミングで、阿部さんが遅れてエレベータにやってくる。一階に着くまでの間鏡で自分の容姿を確認する。
一階に着くとまたも誘導され僕が一番に出ていく。
裸足で横切った警備員の横を三人で歩いていく。
車は図書館沿いの車道の路肩に止められていた。
「じゃあ、私はここまでになるね。あとは斎藤さんに任せてるからね。またね。」
阿部さんはここで別行動になる。
「ありがとうございました。」
僕にはこれしか言えない。
僕は別れの挨拶を済ませ、僕は車に乗り込む。
知らない人の車に乗り込むときはなんとも居心地が悪いのは僕だけだろうか。
初めていく友達の家のような感覚だ。
「閉めるよー」
僕が車に乗り込んだことを確認すると斎藤さんが合図と同時にドアを閉めた。
そして運転席側に回りこみ運転席に座る。
「じゃあ、出発するね」
いつも中学校に通っていた道を他人の車で走る感覚はなんとも言えない気持ちになる。
ここから家までは徒歩で十分ほどの近さだ。
十五年暮らし慣れたこの町は、今やどこへ行っても完全に地形を把握しているほどだ。
友達の家の前を車で通過していく。
この道すべてに思い出があり、これから見知らぬ場所へ連れられることに不安感を覚える。
僕のマンションを少し通り過ぎたところで、見慣れた顔を発見する。
「あっ、お姉ちゃんだ!」
咄嗟に声がでた。僕の目はガラスの先にくぎ付けになっている。
「えぇ!?ほんとう?」
しばらくお姉ちゃんとも会えないのでこの景色が見納めだなと感じる。
「学校帰りかな?」
「そうですね、多分学校帰りだと思います。」
制服姿のお姉ちゃん、よくケンカをして、でもたくさん好きなことで語り合って。
僕は仲がいいと思っているが、お姉ちゃんのほうはどうだろう。
次はいつ会えるのだろう。
ぼーと考え事をしていると、窓の外が少しずつ見慣れない景色になっていく。
昔、お父さんが車を持っていた頃はこの辺の道もたまに家族で通っていたのだが、小学五年生ごろに車が壊れて以来、現在地周辺の道はまったくと言っていいほど通らなくなった。
観覧車が見える。
もう外は暗くなり始めて、観覧車のライトアップが夕暮れを少し過ぎた空に淡く光っている。
もちろんこの観覧車にも思い出はある。
友達やお父さんと、お姉ちゃんと何回か乗ったことがある。
目の前に広がる国立公園を見渡すことができ、周辺の町の果ての果てまで見渡せる景色は圧巻だ。
「裕久君、お母さんの電話番号って知ってる?」
斎藤さんは運転に集中しながらも、僕に質問を投げかける。
「電話番号ですか……。いや、わからないですね。」
はっきり言って自分の電話番号も諳んじることはできないだろう。
「そっか、どうしようかな。通ってる中学校の名前とかわかる?何組とかも。」
「それならわかります。」
きっと僕を保護したということをお母さんに伝えるために、連絡手段をどうとるか考えているのだろう。
「わかった。後で聞かせてもらうね。あと十五分ぐらいでつくよ。乗り物酔いは大丈夫?」
「はい、今のところ大丈夫です。」
「それはよかった」
お母さんが農業を趣味でしていたときはよく山まで車に乗っていった過去がある。
山へ続く道は蛇行していて急だ。まさに乗り物酔いに弱い人には最悪の道路だ。
昔、お母さんに連れられて、山奥に住むお母さんの知り合いを訪問したときにその人の家のトイレで吐いてしまったことがある。本当に申し訳なかった。
お母さんは山で田んぼを各地に借りており、全部合わせると三反ほどになるのだろうか。
各地でそれぞれ違う野菜を育てており、一時期地元のマルシェにお店を構えていたこともある。
趣味がここまで形になると、一種の尊敬が生まれてくる。
お母さんは働き者だ。家で常に何かをしていて、家の中で一番遅くまで起きていて、誰よりも早く目覚める。そして僕たち(生きていた頃はお父さんも)を起こすところから一日が始まる。
そう。いいところもたくさんあるのだ。
完璧な人などいないということは、世の中の大半の人がわかっているはずなのだが、なぜか人の欠点を認めてあげれる人はそう多くはない。
僕は人の欠点も受け入れてあげたかった。
お母さんの二面性も愛してあげたかった。
なによりもお母さんを悲しませたくなかった。
だからいろんな工夫をしたけど、お母さんは苦しんでいく一方で、いつしか僕にも死が付きまとうようになった。
首を吊って逝ったお父さんがそばにいる感覚になり、頭の中で最恐なものが反芻されるようになった。
いつ終わるのだろうと、一点を見つめて、僕は孤独だと殻に閉じこもるようになった。
窓のその景色はどんどん見慣れなくなっていく。
どんどんあたりの暗さも増していき、車のライトが目立つ。
「もうそろそろ一時保護所に着くよ」
斎藤さんの声が車の騒音の中に溶け込んでいく。