灼熱のアスファルト
母が電話をかける。
僕を家から出さないために。
「あ、すみませーん。いつもお世話になっております。裕久の母ですー。」
よし、今だ。一瞬母が冷蔵庫の陰に隠れたその瞬間、僕は手慣れた手つきで二つの鍵とチェーンを外す。
ドアから出る瞬間、横目で母がこちらに向かってくるのが見えた。
心臓が破裂しそうなくらいの心拍数。冷たい汗。
極度の恐怖に陥りながら靴下のまま、僕はマンションの廊下に出る。
靴下では床が思った以上に滑る。駐輪場に続く階段へと走り、駆け下りるというより階段を飛び降りる。
恐怖で後ろが振り向けない。
駐輪場に出た僕はまず、母の自転車のバブルキャップを外す。
効果があるかわからないが、これでタイヤの空気は抜けるはず。
あとはただひたすら走るだけだ。
そのまま駐輪場を突っ切り、中学校の通学路へと出る。
走る。
ただ走る。
早々に僕は運動不足を実感する。毎日をベッドで寝たきりの状態で過ごしていたせいだ。
百メートル程度走っただけなのに僕は汗だくで、横腹が痛くなった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
僕は悟る。このままでは母から逃げきれない。
まさか中学生の僕が体力面で、ここまで弱っているとは思いもしなかった。
頭を使え。どうすれば母を撒けるか。
母が追ってきているか確認しようと思ったが、やはり振り向くことはできない。
顔を思い出すだけで体が震える。またあの狂気に包まれる。
隠れなければ。
僕は敢えて行き止まり道路に駆け込んだ。
そしてしゃがみ込み、できるだけ一軒家の玄関に張り付き、僕という存在を消す。
家主が今出てきたら、なんてことは考えない。
じっと、していたら頭が少し冷えてきた。
汗で体はシャワーを浴びたようになっている。
靴下を履いていても真夏のアスファルトは灼熱だ。
アスファルトの小さなごつごつとした突起を足裏で感じる。
五感を澄ます。母は追ってきているか。僕を見失っただろうか。
もう動き出してもいいだろうか。全く予測がつかない、しかしまだまだ家からここは近い。
動き出すことを想像するとまた恐怖が襲ってくるが、ここに長居するのは危険だ。
僕は一軒家の玄関横にある観葉植物の葉から、恐る恐る顔を出す。
母はいない。
どうやってあそこまで辿り着くか。頭で考えろ。