Episode 3 宿と財布と私
ギリギリ投稿間に合いました!!いやぁ危なかった……。
そしてやっと第3話、主人公の名前が出ます(無理やり感ありますけど…)
日が傾き、影法師が背伸びをする。通り全体が橙色に包まれてどことなく哀愁漂う雰囲気を醸し出すが、その活気は日中よりも勢いを増しているように感じる。露店から届く香りも変化し、ここから先の戦場に備える気配が感じられる。そんな夜に向けてだんだんとボルテージが上がっていく通りの端っこで俺こと盃月シノはふと思う。…流石にちょっと食べすぎたか?
俺としては本当にあといくつか露店を回ってから宿屋に行こうと思っていたのだが、匂いに釣られてふらふらとしていたら、結果として通りの露店を片っ端から回っていて気づいた時には夕方になっていた。いくら何でも夢中になり過ぎだろう…。それにしても、かなり金を使ったと思うのだが袋の中身が一向に減っていない。重さが変わったようにも感じないし一体どうなってるんだ?宿に着いたら一度確認してみないといけないな…。
そんな事を考えながら串焼き屋のおっさんが教えてくれた宿屋「宵空」に向かう。通りを流れる人波をどうにかかき分けて脱出し、隣の通りへ移る。こちらは先程の通りとは打って変わって閑散ととまでは言わないが随分と落ち着いた雰囲気を醸し出している。隣から喧騒が聞こえてくるがそれも僅かで、夕焼けも相まってどことなく哀愁を感じさせる。建物の様相や歩いている人達の服装、話し声から考えるに、ここは恐らく宿屋や住宅の集合地区なのだろう。
おっさんの言ってた宿の特徴は確か、暗めの色で落ち着いた雰囲気が特徴的…だったか?そう言われてもここの通りは全体的にそんな感じの建物ばかりでどれが目的地か見分けがつかないじゃないか……と思ったが、その考えはすぐに訂正された。
視線の先には一つの建物。外壁は宵闇を想起させる藍、入り口にはネオンのような光で書かれた看板のようなものが宙に浮いている。様相自体はファンタジーな特徴を持つが、寧ろ現代的な夜の都市といった印象を抱く。他の建物もおっさんが言っていた特徴とある程度合致していたが、一軒だけ特徴通り過ぎて逆に異質だったのでその建物を見た瞬間にはっきりと分かった。確かにこれは特徴的だ。
言われた宿屋と思われる建物の目の前まで来た。近くで見ると藍の深さをより一層感じる。扉の横には青白い光が空中に規則正しく並んでいる。露店を回った時に見た旗に似たような物が書かれていたのでこれがこの世界の文字なんだろう。ただ、何と書いてあるのかはさっぱり分からないが。もし神様とやらがいるのなら、この世界の言葉だけでなく文字も分かるようにしてほしかったものだ。まあ泣き言を言っていてもどうにもならないし、文字はこれから勉強することにしよう。
言語についても気になる事は多々あるが、今一番気になる事といえばこの文字が空中に浮かぶ現象そのものである。最初にボコボコにした盗賊によると、どうやらこの世界には魔法というものが存在するらしい。通常ならば俄かには信じ難い内容であるが最初の転移といいこの浮いた文字といい、物理法則を無視した事象をこうも見せられたら信じざるを得ないだろう。
ところでこの文字は触れるとどんな感触がするのだろうか?興味が湧いたので文字に手を伸ばしてみる。質感を確かめようと指先を押し当てると、そこに物体らしきものは存在せず、指は文字をすり抜けた。いや、すり抜けたという表現は正しくないのかもしれない。指先が文字に触れたほんの一瞬、ごく僅かに何らかの感触がしたような気がした。感触というよりは温かみ…電球のような感じだろうか?しかしどこか異質で不思議な感覚がする。でも嫌いじゃない。寧ろずっと触っていられる。
文字の前にしゃがみ込んで指先でひたすら弄る。撫でるようにしてみたり、つんつんしたり手のひらを透過させたりなどいろんなやり方で触ってみる。こうしてずっと触っているとだんだんと感触がしてくるような気もする。視覚と温度による脳の錯覚だと思われるが、これのせいで中々触るのをやめられない。
「…何してんの?」
扉が開く音と共に上から女の人の声がする。一度手を止めて声のした方へと振り向く。そこには三、四十代程だろうか…いや、見方によっては二十代前半、なんなら十代にも見えるな…。そんな年齢不詳なお姉さんが不思議な物を見る目でこちらを見ていた。お姉さんのその真っ直ぐで真っ青な瞳に射抜かれるとこちらとしては何だか居心地が悪くなる。
「いや、特に何も」
「そっか。ところで君お客さん?さっきからずーっと扉の前で看板触ってるけど。違うなら邪魔だから帰ってくれない?」
どうやらずっと見られていたらしい。いつもならば必ず気が付くはずなのだが、どうにもこちらに来てから勘が悪い。別の事に集中しているというのもあるのだろうがそれにしてもだ。未知の物に興味津々なのはいいが、知らない土地で何があるか分からないんだしもっと気を張り巡らせないとな…。
「すみません。近くでいい宿屋がないか尋ねた時に宵空っていう所が良いって聞いたんですけど…ここで合ってます?」
「んー合ってるけど…お客さんなら早く入れば良かったのに。看板に店の名前とか色々書いてあるんだからさ」
お姉さんの言葉に苦笑をしながら返答する。
「恥ずかしながら字が読めなくて」
「そっか…。詳しくは聞かない。お客さんなんだよね?だったらとりあえず中入りなよ」
「あ、はい」
字が読めないという発言の直後にお姉さんの顔が曇ったように見えたが、もしかしてあれか…。今までまともな教育を受けさせて貰っていないと思われたのだろうか?ほとんどの露店にのぼりが立っていた事も考えると、この世界ではかなり文字が一般的な物なのだろう。そうだとしたら今の発言で俺が深刻な環境で生きてきたと思われても仕方がないのかもしれない。…実際幼少期は過酷な生活を送ってはいたのだが。
くだらない自己紹介は脇道に置いてお姉さんと宿へと入る。外の雰囲気と比べると随分と明るいが、落ち着いた雰囲気はそのまま。モダンで異質に感じていた外装に対し、内装はレトロで体験したことがないはずなのにどこか懐かしさを感じる。
「いらっしゃい。泊まりのお客さん…でいいよね。何日宿泊の予定かな?」
お姉さんは正面の受付カウンターに入り、腰を掛けて尋ねてくる。彼女の容姿からしてこの場所とは合わないように思えるが、どうしてかこの場所と完全にマッチしているように見える。歴を重ねた結果なのだろうか。
「じゃあとりあえず7日程」
「ん、じゃあ金貨7枚ね」
金の入った袋を開くと上の方に金貨が7枚並んでいた。中から探すのに少し手間取るかと思っていたのだがこれはラッキー。もっと使うべき時に運を使って欲しいものだ。そんな事を思いながら金貨を手渡す。
「丁度ね。部屋は2階の202号室使って。階段左側だから。鍵はえーっと…………これだ。出掛ける時は私に預けて。ご飯は奥のドアが酒場に繋がってるからそこで食べる事をお勧めするよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「もし何か分かんない事とかあったらここか201号室まで来て。多分どっちかには居るから」
鍵をこちらへと投げながら宿利用においての案内をするお姉さん。鍵を見つけるのに随分ガサゴソと物音を立てていたが、カウンターの中とか片付けてないのだろうか?…片付けてないんだろうな。
「ん?何?どうかした?」
「いや…片付け苦手なのかなって」
「……ほっといてよ」
お姉さんがさっさと失せろと目線で訴えてくるので申し訳なさそうに階段の方へと退散する。掃除の話はしないようにしよう。
螺旋階段を上って2階の廊下に出る。部屋番号が読めないのでルームキーに書いてある文字と同じ形が装飾されているドアを1つずつ探していく。……見つけた。廊下に出て手前から2番目の部屋だ。鍵を差し込みガチャリと回す。ドアハンドルを押すと重厚そうな見た目とは裏腹に軽い音と共に扉が開く。
中に入ると一段段差があって靴を脱ぐようになっている。日本を拠点としていた身としては、生活様式が同じだと非常に安心感を覚える。スニーカーを脱いで靴箱に入れ、部屋に上がる。内装は暗めの色で統一され非常にシンプル、しかし上品さを損なわないよう所々に装飾が入っている。バランスが良くて美しい。
ほぼ現代日本と遜色ないような部屋の質に内心驚きながらベッドに腰掛ける。今日は疲れた…。体ではなく精神的に。いい意味でこんなに心を動かしたのは久しぶりだ。俺は俺を感情の起伏に乏しい奴だと思っていたのだが、実のところは起伏を起こすための刺激に触れる事がなかっただけだというのが分かった。それを知る事が出来たのも全てこの異世界に転移してきたからだ。仕事の時は面倒臭いとしか思わなかったカルト教団だが、今となっては寧ろ感謝の念が湧いてくる。それにしても、あの教団が異世界転移の魔法陣を所持していたのは一体何故なのだろうか。偶々だと言われればそれまでだが、どうにも何か引っかかるような気がする。
しかし、考えようにも情報が少なすぎて思考に道筋が立たない。それにあちらの世界の事など転移してきた今考える必要がないように思える。碌にモチベーションが湧かない事に思考を回すのは止めにして、気になっている事について考えよう。
それはずばり、金の事だ。今まで特に考えることなく金を使ってきたが、実際今俺はいくら金を持っているのだろうか。ベッドの真ん中の方へと移動して麻袋を取り出す。パンパンとまではいかずとも程々に中身の詰まったそれの口を開くと金貨、銀貨、銅貨が大体同じくらい入っているように見える。さっき宿泊費を支払った時は上に7枚金貨が現れ、その下は全て銅貨と銀貨だったはずだが、中身を大きく揺すった訳でもないのに配置が変化している。不思議だ。その事については後で実験をしてみるとして、とりあえず今は中身を確認してみる。
ベッドの上で袋をひっくり返す。すると、小さな袋の口から勢いよく硬貨が飛び出してくる。麻袋から流れる金の滝は止まる事を知らず、結果としてベッドのほとんどを埋め尽くしてしまった。薄々感づいてはいたことだが、どうやらこの袋は本来の容量よりも沢山入る魔法の袋だったようだ。にしても沢山入り過ぎじゃないか?袋のサイズ両手より少し大きいくらいしかないんだぞ?袋についてますます気になるがいったん後だ。とりあえず今はこのベッドの上の硬貨達を整理しよう。
……かなり時間を食った。動いた時にちょっとずつ床に硬貨が落ちるし途中で今何枚だったか分からなくなるしで非常にストレスフルだった。ただ、そんな苦痛を耐えきったお陰で何とか効果を全て数え終わった。全く、こんな事をしようと言い出したのは一体どこのどいつだ。俺だ馬鹿野郎。
それはさておき、気になるそれぞれの硬貨の枚数は…
・金貨582枚
・銀貨175枚
・銅貨226枚
となった。露店の品の相場から価値を考えるに、日本円に換算すると銅貨226枚→22,600円、銀貨175枚→175,000円で、金貨を1枚10,000円と仮定するなら金貨582枚→5,820,000円となり、総額6,017,600円を所持している事になる。いやあいつら弱いくせに貯め過ぎだろう。気配を断つ特技を活かしてくすねたのだろうか。なんにせよ、沢山貯めていてくれた事で俺の懐が潤っているのだから、彼らには一応感謝しておこう。
それとついでに気になっていた麻袋についても実験をした。袋の底に金貨を1枚、その上に銅貨と銀貨を10枚戻して袋の口を閉じ、金貨が欲しいと念じて再度開く。すると、底に入れたはずの金貨が一番上に出てきたのだ。つまり、この袋は大量に物が入るだけでなくその中から欲しい物をすぐに取り出すことの出来る超絶便利アイテムだったのだ。これは思わぬ収穫だ。盗賊達にはもう少し感謝の気持ちを抱いておいたほうがいいだろうか。
実験の後に硬貨を全て袋へ戻して懐へしまう。一通り片付けが済むと気が抜けたのか急に睡魔がやってきた。そういえば最後にまともに寝たのって随分前だったな…と既に朧気になっている意識でベッドに倒れ込みながら思い出す。ベッドのすぐ側にあるスイッチのようなものを押すと部屋が一気に暗くなる。便利だなぁ。…あ、部屋にシャワールームもついてたな。……浴びるの明日でいいや。とりあえず…今日は……ねる………。
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ちなみに宵空のお姉さんは〇ケモンのサ〇レさんを黒と青の髪でダウナーにした感じです。癖です。